ボクサー

「沢木耕太郎氏の全集読みまくり」もそろそろ終盤に入ってまいりました。昨日「深夜特急」を読了、そのまま続けて「一瞬の夏」に入りました。
「一瞬の夏」は、著者とカシアス内藤というボクサーとの「関わり」を綴ったものです。
陳腐な言い方ですが、ある才能あるボクサーの栄光と限りない挫折の物語、と言えようかと思います。

この作品を読むのは何度目かになるのですが、今回フト思い出しました。
むかーし住んでた家の隣がボクシングジムで、そこには、当時小学校低学年だったワタシにとってちょっと怖い感じの「おにいさん」らがたくさんいたこと。

小学生時代。当時私は江東区南部のとあるアパートに住んでたのですが、隣が世界王者を何人も輩出してる高名なボクシングジムでした。

・・・隠すような話ではなかろうと思うので書いちゃいますが、それは三迫ジムというジムで、当時は世界王者の輪島選手、東洋王者の門田選手といった選手が「看板」だった・・・はずです。
「はず」というのは、当時ワタシはなにしろ小学校低学年、いや、幼稚園だったかな?とにかくそういう年代で、有名な選手がたくさんいるということはわかってたものの、それがボクシング業界的にどんなレベルだったのかまではわかってませんでした。
しかし、時折テレビの取材や、タレントなんかも収録に来たりしてたので、輪島さんや門田さんは有名なんだな、くらいは理解してたような気がします。
そういうトップレベルの選手がいたこともあってか、ジムには若いボクサーたちが大勢いました。

ジムの中は極めて暗く、なんかオッカないオッサンの写真の額が飾ってあったりしまして(今考えるとそれは三迫会長の師匠であるライオン野口の写真だったのかもしれない)、とてもワタシのようなガキがオイソレと近づける雰囲気ではなかったのを覚えてます。

誰もいない時などにコッソリ中をのぞいたりすると、ジム内はトンでもなく汗臭く、なおさら近寄り難かったように記憶しております。

薄暗いは臭いはで、ジム周辺にはあまり近づく事も無かったのですが、唯一比較的気楽に近寄れるところがありまして、そこはどこかというと、ジムの裏になぜかあった、大きなハト小屋。
子供が3、4人入れるくらいの本格的なもので、整然とエサ箱などがレイアウトされ、ハトが10羽くらい飼われてたように思います。
金網越しに、よくボーッとハトを眺めてたりしたもんです。

このハト小屋の管理人(?)は、ジムの中でもとりわけ若いボクサーで、ジム内でもかなり期待されてる選手だったそうです。
前出の門田選手、たまに我が家にチケット売りに来てたりしたらしいんですが、そのたびに

“こいつは強くなります。宜しくお願いします”

と言ってたらしいです。

あれから30年も経ったというのに、我が実家の面々がこういうことをしっかり覚えてるというのは、それがよっぽど熱いものだったからに相違ありません。

門田選手と、このハト小屋管理人選手、どちらもいわゆる「みなしご」だったそうで、ハト小屋の選手は故郷からボストンバッグひとつで上京し、そのままジムに住み込みで練習してる、とのことでした。

ご本人は非常に無口で、普段はなんとなく影が薄いというか、地味で、色白かつヒョロヒョロな感じの青年でした。
天涯孤独で、10歳台で単身上京し、ボクシングに賭けてる若者・・・いわゆるハングリーボクサーの見本みたいな選手だったようです。
夕方、ひとりで小屋の掃除などしているこの選手の姿を何度か見かけました。

ずいぶん長い事、このハト小屋は稼動(?)してたのですが、ワタシの学年が増すにつれて少しづつ寂れ、いつのまにか小屋内はカラッポになり、やがて小屋そのものもいつのまにか無くなってしまいました。

管理人だったその若いボクサーも、いつのまにかその姿を見なくなりました。

そして、ジムもいつのまにかどこかへ引っ越していきました。

さらに我が家も引っ越しまして、その結果、ジムや、選手達、あのハト小屋も、ワタシを含めたホンの数名の記憶の中にのみその存在の痕跡を残している、というのが現況です。

あの管理人のボクサーは、竹森三城といいます。

当時のボクシングマガジンなどをひもときますと、かなり・・・世界王座までもの期待をされてた選手だったみたいです。

ヒョロヒョロで地味な印象しか無いのですが、ファイトスタイルは典型的なブルファイターだったそうで、ちょっと意外な感じがします。
もう50歳代の、いいオッチャンになっておられると思うのですが、どうされているのでしょうか。

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