川嶋勝重、見事防衛に成功しました。以下日刊スポーツの引用。
<WBC世界スーパーフライ級タイトルマッチ>◇3日◇東京・有明コロシアム
王者の川嶋勝重(30=大橋)が挑戦者のホセ・ナバーロ(23=米国)を2-1の判定で退け、2度目の防衛に成功した。川嶋の戦績は31戦28勝(18KO)3敗。
・・・ナバーロは戦績も良く、川嶋は王者ながら不利の予想も立ってましたが、見事にそれを覆しての勝利でした。
試合序盤で目を切ったこともあり、見た目以上の苦しい試合だったろうと思うのですが、小差での判定勝利はまずは妥当な裁定だったかと思います。
今月出るボクシングマガジン、久々に買ってみようかな、とか思ってます。
で、ちょっと当該誌について調べたりしましたら、なんと!編集長が知り合いでびっくり。
・・・当サイト管理人はいくつかの「マイブーム」を持ってまして、それらがかなり規則正しいサイクルで廻っています。
今は、人生何度目か、数年ぶりの「ボクシング」の時期です。
「何度目か」ということは即ち過去にも「ボクシング」熱発症の時期が何度かあったということなのですが、過去最大の発症は大学時代でした。
最初は極軽い症状だったのですが・・・あれは大学の英語の補修授業中、ワールドボクシング誌を教室で広げてたワタシのもとに、話し掛けてきた人がいたんです。
ボクシング雑誌を見て話し掛けてくる人というのは、例外を除いてほぼボクシングファンであることは間違いないわけですが、その方はそうであるばかりか、なんとジムに通ってらっしゃる、という。
しかも、間もなくプロテストを受験する、などとおっしゃる。
そういう人の出現により、症状は急速に進んだのでした。
その方・・・Hさんとしますが、自宅も我が家の近所で、よく遊びにオジャマしたりしたもんです。
通っておられたジムも近所、ってことで、ジムにも何度か行ったりしました。
会えば当然ながらボクシング談義、また、そこから派生して、いや、色んな話で盛り上がったり、考えたり・・・考えさせられたりしたもんです。
プロテスト受験から、4回戦デビュー、最終的には6回戦に昇格して数戦で引退されたのですが、全ての試合を後楽園ホールまで観に行った(はず)です。
試合前は、試合に向けての心構え・作戦、心境、相手選手のこと、試合後は「あの時のあれはああだった」的な「反省」などなど、話のタネはつきまじ、でした。
そういやボクシングマガジンで紹介されたこともあったですね。「現役の日大芸術学部学生ボクサー」ということで・・・考えたら当時はまだ大学生ボクサーそのものが今より珍しかったのかもしれません。
学年がひとつ上でしたので、私より一足先に卒業され、確か映像制作会社に就職されたのでしたが、請われてボクシングマガジン誌に戦記など寄稿されているうち、いつのまにか記者になられた、ってことは知ってました。その直前くらいまでは、社会人&学生ってことで従前程の密度では無いにしてもお付き合いは続けてましたので。
その後ワタシも卒業・就職しちゃいますと、完全に生活サイクルも違ってしまい、いつのまにか疎遠になって現在に至る、という感じなのですが、いや、ボクシングマガジン誌に今でも関わっておられるどころか、編集長になられてるとは!!!
疎遠になって12、3年は経つのですが、人間、どこでどうなってるかわかんないもんです。
正月も明けましたら連絡してみようかな、などと思うのですが、なにしろワタシは恥ずかしきことのみ多き大学生活でしたので、正直よく覚えてないのですがもしかしたらトンでもない不義理を仕出かした末の「疎遠」である可能性も無くはなく、そんなこんなで二の足を踏んでる今日この頃です。