5月1日の続き。
・・・と思ったのですがその前に、また例によって無断転載で申し訳ないのですが、
原田知世さんが結婚、38歳イラストレーターと
女優の原田知世さん(37)が、イラストレーターのエドツワキさん(38)と1日に結婚した。
原田さんが自身のホームページで2日、明らかにした。
エドさんは広島生まれで、1986年からイラストレーターとして活動を開始、国内外のファッション誌などで女性の肖像を描いている。2人は結婚後も仕事を続ける、という。
(読売新聞)
だそうです。
いやはや。最初「江戸アケミさんと結婚」かと思って、縁起でもないミス記事だなぁと思ってしまいました。
それはともかく「時をかける少女」での彼女はカワイかった。
また、白のブルマーなんて、世の中にあるんだなぁ、とも・・・あれは映画オリジナルなんですかね。ありえないだろあんなの、と。
・・・なんでこんなこと最初に書いてるかというと、ショックだからです。
ああ、ショックだなぁホント。
閑話休題。
このGW中に観た映画・・・いや、もはやその枠をかなり踏み出しそうな感じになってるオレがいますが、1日分の続きです。
黒澤監督は「どですかでん」のクランクアップ間際に「非常に淋しい思いをした」のだそうです。
この役者さんたちには再会できてもクランクアップしたらもう六ちゃんやブラシ職人の「とうちゃん」や「かつ子」や「たんばさん」に会えなくなってしまう、ということで。
・・・黒澤監督ならずとも、私も上映時間の終わりが近づくにつれて、彼らとのお別れが淋しく、いつまでも続けばいいのに、とか思ったもんです。
同時に、この人たちはこの後どうなっていったのかな、と、勝手に想像したりしたもんです。そう思わずにいられないくらい、この作品の登場人物たちは、実にいきいきと、自由闊達に「生きて」いましたです。
興行的には大コケだったそうで・・・まぁ確かにヒットする種類の作品ではないかもしれませんが、こういう珠玉の作品の積み重ねが、その国の映画文化、引いては「文化」そのものの底上げをする、と思うのです。
「文化」というものは、カネになるか否か、という次元とは別のところにあるはずです。
でも、映画がひとつの「産業」である以上、カネにならないものは淘汰される・・・もしかしたら、されなければならない、というのが現実なのかもしれません。
「カネになるか否か」ということと、この「文化」という概念は、それぞれ別の次元にある問題である・・・しかし、言い換えれば決して同次元における「相反する2者」として存在するものでは無いはずなので、この2者を両立させることも決して不可能ではない・難しいことではない、と思うのです。
ワタシも矮小ながら「作り手」の一人でもありますので、この辺への意識というか自戒というか、なんにしろ想いを忘れずにいたいもんだと思います。
そういえば、小津監督作品の、特にカラー化以降のものは、総じて興行的にはヒットしたみたいですね。
1日にも書きましたが、小津の各作品は極めてオーソドックスな振りをしつつ、その実非常に前衛的というか独特というか、要するに(悪く言うと)妙チクリンな作品ばかりですので、とてもヒットするタイプの作品では無いように思うのですが、これがそうでもないんですね。
当時のポスターなどを見てみると、例えば「彼岸花」には、豪華オースルター競演、といったようなコピーがあります。こういうのはヒット狙いで満を持して公開される作品に付くものなはずですからね。
小津作品は、例えばいわゆるイマジナリーラインをかなり無視したカット割だったりなど、映画表現の基本とされてる事柄をかなり無視して作られていますが、それでも我々はそんなことにはトンジャクすることなく、どの作品も非常に堪能することが出来ます。
小津の言葉に
何でもないことは流行に従う
大切なことは道徳に従う
芸術のことは自分に従う
というのがあります。
例えそれが既成の常識から外れていようとも、自分が作り手として「これで良い!」と思ったことには、素直に従わなくてはいけないですね。
例えイマジナリーラインを超えちゃってるとしても、本当に「これでいいんだ!」と思ったら、それはそのとおりに突き進まなくてはいけないのかもしれません。
それくらいの胆力が無いと、他者を引き込んで魅せることは出来ないのかもしれません。
小津作品を観る度そう思います。