なにしろ当サイト管理人は年に1日程しかTVを観なかったりするので、この作品がチマタでこれほど大好評だとはゼンゼン知りませんでした。
今しがた帰宅しまして、さっそくネットでもって検索してみまして知った次第であります。
…ここまで書いて、当サイト管理人はアゼンボーゼンとするべき事実に気付いてしまったのですが、考えてみると、いわゆる「ロードショウ」でもって映画作品を観たのは、実に1985年公開、ダドリー・ムーア主演の「サンタクロース」以来。
「映画館で観た」ということであれば結構最近も観てはいるんですが、こと「ロードショウ」ってことになると、今回がなんと約21年ぶりになります(ちなみに、この人が未だに嫌っているIくんと観に行ったのでした)。
…こんなアリサマでありながら、昨年の5月1日から7日までこのサイト上にて私的映画評など書きなぐったりしてたわけで、いやはや恥ずかしいやら、情けないやら、なによりこのサイトの駄文を読んだりしてくださった皆さんにもうしわけない限りです。
話はコロッと変わりまして・・・これはミフネと分かれたずっと後に出されたコメントだと記憶しているのですが、かのクロサワ・黒澤明監督は、記者だったか、もしかしたら土屋嘉男だったかによる“監督はもう時代劇を撮らないんですか?”といった問いに対し、
“いやぁ、とりあえずそのつもりは無いよ”
“もう撮らないかな…うん、撮らないかもしれないね”
“もうね、役者がいないんだよ、あの時代を演れる役者が、ね”
“あの時代の侍を演れる「顔」を持ってるやつがいないよ、もう、ね”
・・・などとおっしゃってました。
その後「影武者」だとか「乱」だとかをガンガン撮ってるので、もしかしたらまるっきり別人だったかもしれませんが、確かにどこかでそんな言葉を聞いた・読んだ気がします。
で、これは、確かに一理あるコメントだ、と思う。
「ALWAS 三丁目の夕日」は、「昭和33年の東京」というものを、大道具・小道具、そしてセット、もちろんシナリオや演出などなどにおいて、微に入り細に渡り非常に忠実にこの時代を再現しています。
それらはほぼ大成功で、映画内の空気感を充実させるのに大きな役割を果たし、そしてこの作品を非常に感動的なものに仕上げるのに大きな役割を果たしています。
しかし、唯一違和感を感じたのは、やはり役者さん方が、「平成人」なのですね。
子供達は主たる二人のみならず、いわゆる「その他大勢」の面々に至るまで、ちょっと驚嘆してしまうほどの名演技でしたが、やはり彼らの醸すのは「平成の子」の雰囲気でした。
事ほど左様に、大人たちも、どなたも非常に魅力的な演技表現をみせてくれていましたが、どうしてもここにあるのは「平成を生きる大人」。
例えば、多少年次はズレますが「ニッポン無責任時代」に登場していた方々とは、やはりどこかが違う、と感じてしまいました。
いわゆるマゲものの時代劇は、当時を知る人が皆無な現在、ぶっちゃけその内容etcは「なんでもあり」で、クロサワなどのように偏執狂的なコダワリまでをみせなくても、それなりに「リアル」なものとして成立し得ます。
しかし、「昭和33年」は、そうはいかない。
当時を知ってる人がバリバリ残ってる…どころか、まだまだ前線で活躍中だったりしますから。
だから、ともすればこの「人間の違い」は、この作品にとって致命的な欠陥になり得る重要な命題だったはず。
まだまだ近い過去であるこの時代を設定するにあたり、ここでの食い違いは全てをいブチ壊しにしてしまいます。
その辺を意識されてなのかどうか、この「ALWAYS…」は、なんだか“当時の雰囲気を忠実に・リアルに再現・・・”みたいな部分ばかり強調されていますが、じゃあリアルな時代劇なのかというと決してそうではなく、実はあくまでもファンタジー、寓話として構築されています。
形而下の部分、具体的な部分は確かに極めて忠実に往時をトレースしていますが、物語、そして引いては作品そのものはあくまでファンタジー、空想物語。ワンス・アポン・ナ・タイム・イン・ジャパンとでもいいいましょうか。
この作品は「ファンタジー」「寓話」という体裁を取った(もしくは、そういう原作を得た)ことと、具体的な再現が可能な部分において、呆然とするほどの忠実な再現に成功した、というこの2者により、今や貴重な、上質なウェルメイド作品として大成功をおさめることができた、といえるように思います。
思うに、「ファンタジー」「ウェルメイド作品」というものは、その構成者・登場人物になんらかのポジティブな姿勢があって初めて成り立つもののような気がします。
登場人物に確固たる前向きな思想・行動があるからこそ、観客は彼自身や、彼がたどり着く道程そのものに感情移入できる、というか。
「昭和33年」当時の日本人は、ホントに、メチャメチャにポジティブだったんですねきっと。
良い意味で単純・ストレートな「ファンタジー」が作れるほどにポジティブだった時代というのは、それは間違いなく良い時代だと思います。
そんな良い時代を実際に経て来た・・・場合によってはそのポジティブさの担い手だったりする当事者がまだ現役だったりするわけですから、作品としても上質に仕上がっているこの作品が興行的にも大成功しているのは、当然ですね。
当時キチンと生きてきた人がこれを観たら、間違いなく感動するでしょう。
往時の再現の忠実さよりなによりも、ここにある「ファンタジー」からの感動を最も享受できる人たちなわけですから。
逆に言うと、この時代を題材に採ってる以上、そういう人たちにはヘタな小細工は通用しないわけで、上記の様な「あざとさ」を彼らに感じさせないだけの見事な演出がここにはあります。
・・・ここで考えた。
じゃあ、あと20年くらい経って、例えば’80年代という時代に同種の企画が成立しえるだろうか?
・・・いろいろ考えたのですが、この作品ほど、直截的に感動できる作品は作れないように思いました。
もう少しギスギスした、というか、ヒンヤリした触感の作品になるような気がします。
この作品のような、良い意味で単純・ストレートな「ファンタジー」にはならない、と。
感動をもって振り返れる時代ではなかった・・・というと、言い過ぎですかね。