メディアへの携わり方など。

先日いわゆる「ギョーカイ」(この言い方も古いなぁ。でもまだいるんだよなぁこういう自称を恥ずかしげもなくする人って)の方のご意見を聞く機会があったのですが、その中でどうにも引っかかったことがひとつ。
いわく、
“AD(アシスタントディレクター)として一番大事なことは、バカであること、それも愛されるバカであること”
とのこと。


この方はどうやら何らかの形でTV番組制作に携わってるらしいのですが、オレ的な結論から言うと、臆面もなくこんなこと言ってるヤツがいるから最近のTVはダメダメなんだな、と。
「メディア」というものを”不特定多数に対して何らかの(広い意味での)情報を発信するもの”と仮に定義するなら、そのコンテンツの制作者として最も相応しくないのが「バカ」だと思うんですが、どーなんでしょうかね。
“愛されるバカ”として優秀なADに成りえた人が、やがでディレクターとしてメディアを通じてナニゴトかを不特定多数に発信している・・・場合によっては、これはちょっと怖いことです。
オレ的には”愛されるバカ”が作ったものなんか観たくないし、”愛されるバカであれ!”とか言ってるヤツが跋扈しているTVにはなんの魅力も感じません。
・・・ただ、現実的に、現状ではちょっとバカなくらいでなきゃあの過酷な現場には耐えられない、ってことも言えるかもしれません。
小津は、マトモなレベルで創作し続けられないという理由から、決して1日8時間以上は撮影を行わなかったそうですが、今の、特にTV番組製作現場において、その論理は通用しないらしいです。
しかし「愛されるバカ」とは・・・創作者は本来殊更に愛される必要など無いと思うのですが。
営業マンならばこれは愛されなきゃダメで、そのために時には「バカ」にならなきゃならない状況もあったりするでしょうが、純粋に「創作」という側面において、この辺は無意味というか、場合によってはジャマになったりするんじゃないか。
ここでふと我が身を振り返る。
オレは確かに映像etcを作って・売って、それで喰ってるわけですが、実際的には営業マンとしての側面も多くあるので、時には”愛されるバカでなければいかんなぁ”とか思うこともあります。
しかし、撮影にしろ演出にしろ編集にしろ、モノを作ってるときにそんなことは全く持って二の次になるし、それでなんの問題も無いです。
バカって言えば、TV番組ってのは、バカでも理解出来るように作る、ってのが基本スタンスだそうです。
まぁこれは考えたら当然で、TV局が営利目的である以上、老若男女誰でもが楽しめるように作らないと=とにかくより多くの人に楽しんで・支持してもらわないと成り立たないわけですからね。
利口な番組はバカにはわかんないけども、バカな番組は(面白いかどうかはともかく)利口にも理解は出来ますから。
ただ、バカが考えるバカ像ってのは確実にそいつよりさらにバカなわけなので、どうしたってバカが作る番組は、これはもう思いっきりバカバカしくなるに決まってます。
で、まだなににも染まってないマッサラな子供がそういうバカ番組を観て、そのまま育ったとしたら、これは即ちバカが考えるバカ像=moreバカが標準になっちゃいかねない、と。
マッサラな子供たちは、この「moreバカ」的な世界観を、ああそういうもんなんだな、とかいって素直に受け取っちゃうでしょうから。
かくして・・・大宅壮一じゃ無いですが、「一億総白痴化」が達成されちゃうわけですね。
むかーしにblogで、16歳未満はネット禁止にしたらどうか、とか書いた事がありますが(ちなみにhttp://www.ageof80s.com/mt/archives/000014.htmlココ)、TVも16歳・・・いや20歳くらいまで禁止にしたらどーですかね。いやホントに。

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