2011年

瑣末なことですが、

WBC世界ミニマム級タイトルマッチ(31日、大阪府立体育会館)チャンピオンの井岡一翔(22)が挑戦者ヨードグン・トーチャルンチャイ(21)=タイ=を1回TKOで下し、2度目の防衛に成功した。

だそうです。だそうですっていうかオレも珍しく観てましたが、まずこの試合、早すぎてなにもわかりませんね。

1Rで決しましたが、試合時間の短さイコール実力差とは必ずしも言い切れないので、井岡がどれだけ強いのか、果たして挑戦者の実力がどんだけのモンなのか、など、この試合だけではなんにもわからんちんです。

挑戦者はなにしろナンにも出来ないうちに負けちゃった=ナンか出来てたらまた別の展開もありえたかもよ、というね。そういう意味でね。

ただねぇ、それはともかく、細かいことですが、

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東京都の震災がれき受け入れについて。

なんだ、苦情出してる人がいるんですねぇ。
「岩手・宮古市から震災がれきを受け入れた東京都に苦情が相次いでいることに対して、石原 慎太郎知事が一喝した。」
というニュースに関してですが。

岩手は宮古、って、福島(原発)からはヘタしたら東京より遠いんじゃないですかね。東北ってのは広いんですよ。その辺が在京だとピンとこないですけどね。

ああ、東京に持ってくる際に福島至近を経由するわけなので、その際に「放射能」をくっつけてこられたらカナワン、みたいなことなんでしょうかね。・・・って、そんなわけないかな。

オレ自身は、今回直接的に処理が行われる江東区民だったりするんですが、受け入れには賛成です。っていうか、反対するにはその理由があまりにも乏しいです。反対したくってもできないだろ普通に、と。

震災直後は盛んに「この痛みを分かち合ってガンバろう!」とかなんとか喧しいくらいに言われてましたが、いざ我が身に降りかかってくると(って、
実際のところ何も「こない」わけですが)、やいのやいのと反対する、という、こういう姿勢はそのまんま「偽善」ですよ。なんの益も無い存在です。

がれき処理ぐらいしなきゃダメよ。他人事じゃないんですよ。

・・・とかいいつつ、反対する人の、なんというか、そう、「心理」は、これはわからんでも無いです。

なんとなく思うに、「がれき」に「死」を見てしまうんですよねきっと。「放射能」だナンだ、ってのはむしろその言い訳というか、逃げ道で、ね。

震災時のメディアで繰り返し流された、あの被災地の映像。あれがベースイメージとなって、ほぼ無意識のうちにあの「がれき」を「死」のメタファーとしてしまう、という、そのキモチは非常に良くわかります。

これはもう本能ですから、やはり理解しないとこれまた「偽善」に堕ちてしまうかもしれません。

しかしねぇ、今は「がれき」ですが、3.11以前は、いろんな人たちの、思い出の詰まった品だったり、団欒の場であったりしたわけでね。

それはほぼ一瞬で「がれき」になって、あろうことかその処理さえ疎んじられるモノになってしまう、という。

悲しいことです。

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北杜夫が亡くなった件。

太宰や芥川、漱石、そして北杜夫や遠藤周作や吉行淳之介やいわゆる「第三の新人」の方々は、若き日のオレにとっていわばアイドルで、やみくもに・手当たり次第にその著作を買い捲った りしたものです。丁度嵐やAKBファンにとってのCDやグッズetcと同じ感じです。

でも、例えばAKBのファン(の一部)のように、それを買うこと自体が目的化してたりしたわけではなく、どれもガッツリ、しかも複数回読みまくり・味わいまくりでした。いわゆる「積ん読」は一切ありません。「青春記」なんかはもう何度読み返したかわかりません。

 

時にちょっとどうかと思えるような下ネタや罵詈雑言の類も見られる氏の作品ですが、どれも決して野卑に堕ちることなく、必ず一本筋の通った清廉さがありました。


の理由として氏の育ちの良さを挙げたりする方もいますが、濫読していたオレとしては決してそればかりではなく、やはり多くは氏の技巧に拠るものだったかと
思えます。後天的な研鑽によって得た技巧。そういう事柄も含め、実は非常に「大人」な文章をモノする作家だったと思う。で、パッと見そう思わせないのがス
ゴいところでしてね。

例えば、「幽霊」、「木精」、「航海記」、「青春記」、「医局記」、そして「酔族館」シリーズ、そして「回想記」という順で読み進めてみたりすると、そのあたりの変遷も朧に見えてきます。サンザン読みまくったオレが言うんだから間違いない。

でもって同時に、その順で読み進めた上で改めて「楡家の人びと」を読むと、氏の生きた世界が興味深く見えてきます。

 

もう20年くらい前には既に「オレはもう死ぬ、もうダメだ」とか事有るごとに仰ってた氏ですが、死ぬ死ぬ言いながらなかなか死なない・どころかなんだか妙に元気、というネタだと信じてました。

かなり最近まではその通りだったと思うのですが。

 

とにかく、オッサンになる前に氏の著作に触れることが出来て幸運でした。

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「放射能問題」で右往左往。

先日twitter上で、ホントにわけもわからず突然に

「このアカウントは自分たちが広告屋であると堂々と名乗っている。金をもらって反原発潰しの世論工作をしていると自白しているようなもの」

なんて書かれましてね。

ホントに全く心当たりが無いので、ネット上では基本的にスルー・リアルでは格好のネタとしてあちこちで吹聴して使わせてもらってる次第なんですが、とにかくそのお陰か、ここんとこ知らない人からダイレクトメールをいくつか頂いています。

「そういうあなたは体調に問題ないんですかっ!健康被害はないんですかっ!!!!」(原文ママ)

ってのも頂いたんですが、この場合、なんも無い、って返信すると逆上されそうでね。でもホントになんもないんですけどね。

そもそも問題なのは、放射能による障害というのが往々にして5年後10年後、引いては子々孫々の代になって出てくる、ってとこだと認識しているの
ですが、twitterのTLを覗いてみると、やれ鼻血が出たとか眼が充血してるとか、そういう類を放射能による健康被害としてしまってたりするんです
ね。

「ウチの子(4歳)、今まで出したこと無いのに鼻血が出た!」

とか、

「あの事故以来、なんか体が重いんです!」



とか、

「突然、顔にできものが出来た!」

とかね。

オレは当然ながらそのスジの専門では無いのでいい加減なことは書けませんが、4歳くらいの子が鼻血出したりするのは自然だろう、と。

事ほど左様に、ナンでもカンでも「放射能」と結びつけちゃうのは、はてさて・・・です。

ナントカって精神医学者の方も仰ってましたが、この度の原発事故に関しては、確かに「正しく怖がる」という姿勢が大切なわけですが、過度のリアクションによる精神への負荷、この方がよっぽど問題なんじゃなかろうか、と思うわけです。

先日、新聞だったかの記事にありましたが・・・どっかの小学生(女児)がお母さんに、

“もう放射能のことは言わないで!学校でそんなこと言ってるのお母さんだけ!”

“私もみんなと同じ給食食べたいし、みんなと外で遊びたいの!”

とキレてしまったそうなんですが、それに対して当のお母さんいわく

“ごめんね、でも、あなたを守ってあげられるのはお母さんだけなのよ。だから我慢してね”

と。・・・こういう話は悲しいねぇ。悪意が介在せぬまま、ひたすら傷つく人がいる、というね。

あと、東京から沖縄に「避難」した女性が、引越し先での生活費を東電に請求した、なんて記事もありましたね。

こんなんが許されるなら、オレも「避難だよ!」と言い張って沖縄移住しちゃうところですが、この女性は「本気」なんですね。本気で「放射能」からの避難を考え、実行した、という。

「放射能」によって我々はどういう被害を被るのか。この辺についてはいわゆる閾値があるわけでもなく臨床実験結果があるわけでもなく、要するに
「誰にもわからない」というのが正しい現状認識だったりするわけで、それは即ち、少なくとも当分の間我々は「右往左往」するより他に術無し、ということに
なります。

だとすると、我々は、なんですか、トットと「右往左往」に慣れるしか無いってわけですか。なるほど。

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難しい問題である。

以下は2011年9月20日11時46分読売新聞からの引用です。

埼玉県警草加署は20日、同県八潮市新町、無職熊田盛容疑者(55)を廃棄物処理法違反(不法投棄)容疑で現行犯逮捕した。



 発表によると、熊田容疑者は同日午前2時50分頃、自宅から約250メートル離れた同県草加市稲荷の市道沿いにある民
家の塀の前に、半透明のビニール袋に入れた自分の排せつ物8個(約1キロ・グラム)を投棄した疑い。塀の前には空のドラム缶1本と花のプランター3個が置
かれており、熊田容疑者は調べに対し、「排せつ物を捨てれば、片付けてきれいにすると思った」などと供述している。


 この民家の前では6月から今月1日にかけて、同様の不法投棄が12件あり、警戒にあたっていた同署員が、排せつ物を捨てる熊田容疑者を発見、取り押さえた。

> 自分の排せつ物8個(約1キロ・グラム)を投棄した疑いとあるけども、「排せつ物」、要するにウンコを指しているのだと思うのですが、これの数え方は果たして「個」で良いのでしょうか。

“ウンコが○個”という表現は適切なんだろうか。

「本」とか「切れ」とか、場合によっては「発」とかでもいいんじゃなかろうか。

若しくは、「○回分」でもいんじゃないですかね。ただこの場合、一回の排便における総排出量を平均化する必要がありますね。これは性差や世代差などもあってかなり難しいと思われるので、やっぱダメかもしれない。

そういう意味からも、

> 自分の排せつ物8個(約1キロ・グラム)

とありますが、これは必ずしも「8回トイレに入った分」では無いんですよね。一回で2「個」とか3「個」排出する人もいるでしょうからね。

場合によっては。、、2、3回トイレに入って、やっと1「個」排出、ってこともあろうかと。

以下は余談というかちょっと思い出したのですが、先日、都内某所の某喫茶店チェーン店で、あろうことかフロアにウンコが落とされた、って「事件」があったそうです。そこで働いてる・・・っていうか実際それを片付けた人から聞きました。

レジで金払って”あちらのテーブルで受け取ってください”とかいわれますが、その卓の前に、ひと塊、落ちていた由。

どうして「塊」の形状を保ったまま落とすことが出来たのか、ズボン(スカート)の裾から落としたのか、もしくは外部から持ち込まれたのか、真実は闇の中、だそうです。

(ちなみに、しばし営業を止めて、洗剤やらアルコールやらで死ぬほど掃除処理したそうです。泣きながら。)

さぞかし店内は臭かったろうな、と思うのですが、コーヒーの臭いにごまけて、臭い自体はさほど気にならなかった由。

そういや各種の麻薬を海外から運び込む際、コーヒーの中に紛れ込ませたりするとか聞きます。さしもの麻薬犬のハナもこれにはお手上げ、なんだそうで。ホントかどうか知りませんが。

コーヒーの消臭力はバカにできない、ということになりますね。

ところでこのオッサンは、どうやって「半透明のビニール袋」にウンコ入れたんでしょうか。

シャベルとかで掬ったんでしょうか。もしくは、じかに、でしょうか。どういう形状の袋なのかわかりませんが、じかにそれを行うのは結構難しいですよこれは。ちょっとズレたら悲惨ですよいろいろ。

普通にトイレでしたほうがラクに片付くと思うんだけどな。

あと、オシッコはどうしたんだろうか。別の形でどっかに「不法投棄」したんでしょうか。

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かくも不思議な。

めったにTVも観なきゃラジオも聴かない、すっかりいわゆる「最先端」から隔絶されて久しいオッサン(の一人)であるオレとしては、「AKBの歌」と言わ
れてすぐ思いつくのは、あの「会いたかった~!」とかいうのと、ポニーテールがどうとかいうヤツだったりするのですが、CDセールスでいうとこの2作は特
筆されるほどの値を示しているわけではないんですね。5万だか10万枚だか、まぁそんな感じだそうで。

立ち返って、AKBの最新シングル&前作は揃って150万枚を超えている由ですが、どっちもオレは知りません。5万だか10万枚だかの歌はなんとなく知ってても、150万枚の歌はどっちも知らない、という。

知名度というか伝播の度合いっていうの、はそれが世の中に存在している時間の積分に拠る部分も大きかろうと思うので、CDセールスが即ちそれに比
例するってもんじゃないというのはわかりますが、それにしてもこの乖離。CDが売れてりゃ即ちヒット曲・流行歌、という図式の崩壊っぷりに瞠目する次第で
す。

このことは「AKB」に限った話ではなくて・・・何百回もここに書いている通りオレは紛う方無き嵐オタであるのですが、例えば「Love
Rainbow」とか「Lotus」とか、パッと言われてすぐメロディetcが出てくる人は少ないと思います(ちなみにオレはすぐ出てきます)。

でもこの2シングル、やたら売れてるんですよね。

オレの感覚だと、タダでさえメディアの多様化etcによって「コンパクトディスク」が売れないこの時代、100万枚も売れるような曲は日本国民老
若男女全ての愛唱歌であってしかるべし、と思っちゃうんですけどね。21世紀に入った頃くらいからそんな図式は壊れちゃってるわけですが、オッサンである
オレには、そこんところがいまいちピンと来ないでいます。

以下はまるで余談ですが・・・なんかAKBの握手会だかなんだかで、メンバーに「いやがらせ」するファンがちょっぴり問題になってる由。

こういう手合いはファンでもなんでもなく、単なる「ベクトルのずれたスケベ」でしかないのでもう論外っちゃ論外なのですが、その反面、未成年~20歳代前半の「女の子」に、握手だかハグだとかいうような直截的な接待業務を強いる商法っていうのは、これはどうなんですかね。

握手とかハグとかに限らず、事ほど左様に・・・例えばおさわり禁止のキャバ店が並ぶ中で、「ウチはちょっとならOKですよ!」っていう店がポコンと出てきたら、そりゃ取り急ぎ流行りますわなぁ。あの商法は要するにこの手の「反則」で支えられてる部分が大きいんですよね。

そもそもそんなことで支えられてるようなシステムが長続きするわけも無いんですが、はてこの先どうなるのやら。

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広島原爆の日。

また以下、毎日JP、毎日新聞2011年8月6日大阪夕刊からの一部引用です。

広島原爆の日:今問い直す「核」 首相「原発安全神話を反省」


 広島は6日、米国による原爆投下から66回目の原爆の日を迎えた。東日本大震災と福島第1原発事故を受け、松井一実・広島市長(58)は平和宣言
で「今なお続いている放射線の脅威は、原発に対する国民の信頼を根底から崩した」と指摘、早急にエネルギー政策を見直し、具体策を講じるよう日本政府に求
めた。菅直人首相は平和記念式典のあいさつで「原発に依存しない社会を目指す」との考えを改めて示した。平和記念式典で広島市長と首相が、核兵器廃絶だけ
でなく原発に言及するのは異例で、核と人類のあり方を問う「8・6」となった。

中略 

 菅首相はあいさつで東京電力福島第1原発事故に触れ、「これまでの『安全神話』を深く反省し、原因の徹底検証と安全性確保の抜本対策を講じ、原発
への依存度を引き下げ、原発に依存しない社会を目指す」と表明。「今回の事故を人類にとっての新たな教訓と受け止め、世界や将来の世代に伝えることが責務
だ」と強調した。


 昨年参列した潘基文(バンキムン)国連事務総長からは「核兵器のない世界を追求することを改めて決意する」とのメッセージが寄せられた。


 式典では、松井市長と遺族代表2人が、この1年に亡くなった被爆者ら5785人を登載した原爆死没者名簿を、原爆慰霊碑下の奉安箱に収めた。名簿
は3冊増えて100冊となり、名簿登載者は計27万5230人になった。原爆投下時刻の午前8時15分には、参列者は1分間の黙とうをささげた。


 「こども代表」として小学6年の福原真拓(まさひろ)君(11)と藤田菜乃歌(なのか)さん(11)が「夢と希望があふれる未来をつくるために、行動していく」とする「平和への誓い」を読み上げた。

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本質のところで「米国による原爆投下」と「福島第1原発事故」とは別物です。そう捉えなければいけない。じゃないと双方の被害者に礼を失することになるんじゃなかろうか、と思うわけです。

前者は「戦争被害」で、後者はあくまでも「不幸な事故による被害」。この2者は必ずしも同じ土俵で語れるものでは無い、と。

「不幸な事故による被害」と書きましたが、それはイコール「仕方の無いこと」では無いですよ念の為。両者とも事前に人知で抑える事ができたはず
で、それが結果論的にみるとどちらも非常にチンケな「思惑」でもって叶わなくなってしまった、そういう意味ではいずれのケースも「あってはならないこと」
です。それに違いはありません。

ただ、

・圧倒的優勢にある戦局下、ダメ押し+今後を見据えた「実験」として放たれた「バクダン」の「バクハツ」

と、

・「究極の平和利用」(という名目)として作られた「発電所」の「バクハツ」

とを、同じベクトルと見るのには違和感があります。震災慰霊堂で戦没者も一緒に祀ろう、ってのと同質の違和感があります。それはそれ、これはこれ、ではないか、と。

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このたびのこと。その2、リアクションについて。

以下、毎日JP(毎日新聞2011年8月5日東京夕刊)からの記事引用です。

東海テレビ放送(本社・名古屋市)は、岩手県産米を中傷するような不適切なテロップを4日流した情報番組「ぴーかんテレビ」の5日午前の放送を休止
した。番組開始時刻だった午前9時55分、アナウンサーが「ふざけ心ですまされない大変不謹慎な表現に大きな問題があった」などと岩手県や福島県の関係者
らに改めて謝罪した。東海テレビは4日夜、浅野碩也社長を本部長とする対策本部を設置、テロップが流れた原因究明などを行う。

 約2分30秒の謝罪放送では、「担当者がふざけ心で作製した仮のテロップを、操作ミスで放送した」とし、ディレクターらの管理体制に甘さ
があったとした。また「風評被害を食い止めるべく、細心の注意を払わなければならない私たちが、あたかも岩手県産ひとめぼれが安全ではないような誤解を招
きかねない放送をしたことを深く反省しています」と関係者にわびた。


 同社は4日の番組で、岩手県産米「ひとめぼれ」のプレゼント当選者を「汚染されたお米 セシウムさん」などと表記したテロップを流した。

震災直後にも、スタジオでのOFFの音声・・・”また原発ネタ?””もう笑えてくる~”なんてのがOAに乗っちゃったりしたことがありましたね。

今回の件も、岩手県のサイト(http://www.pref.iwate.jp/view.rbz?cd=33867)によると、当該のテロップが「23秒間放送された」とあります。一瞬映り込んじゃった、では無いんですね。23秒ってのは、結構な長時間ですよこれは。

その23秒間のあいだ、誰も”ヤバい!消せ!”とならなかったんでしょうか。ならなかったんでしょうね。

つまり、一事が万事、彼等のマインドはこういうところにある、というわけです。それに他ならない。

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このたびのこと。その1、当日など。

リアルに迫り来る「死」、それに対して人間はどう反応するか。どのようなリアクションをとるのか。このたびの震災と原発事故によって、その類型をさまざま
見せられてきた感じがあります。特に震災発生から数日間には、ネット内を見ても、怯える人、なぜか居丈高になる人、虚無に落ちる人、やたら粗暴になる人、
と、実にいろんなリアクションを見ることができました。

まるでハリウッド映画などのCGのような「津波」や、無残に瓦礫化した街の風景がクドいほとメディアに流れ、そしてなにしろ「原子力発電所」が、
あろうことか複数回に渡って「爆発」したりしてるわけですから、こういったリアクションを笑える人など一人もいないはずです。これで多少なりとも「死」を
意識しないでいられるような人はそう多くないでしょう。ビビって当然、このたびの諸々は、それほどの・・・各々の死生観が露呈してしまうほどの大事だ、と
いうことです。

早いもので震災発生からまもなく4ヶ月にもなります。ホントにアッという間の4ヶ月でした。そういえばここ数日、やたら寒かったあの頃がウソのよ
うな酷暑が続いています。季節が180度入れ替わるくらいの時が経ったんだなぁ、と、エアコンのフィルター掃除などしながらフト思いました。

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ディア・ドクターを観る(た)。

mixiなんかに書き殴ったモロモロと当ブログとを連携させたいと想っております。ナニゴトか思いついたら、そのとき目の前にあるモノに都度書き殴るってのも・・・まぁ別にそれでなんの問題もないわけですが、とりあえず整理していこう、と。

で、さっそくmixiの過去記述分を見返してみましたら、なんか映画のレビューなんぞ書いてたりしました。
2009年09月23日、というタイムスタンプがあるので、当たり前ですがその日に書いたんでしょう。
「ディア・ドクター」。公開当時話題になってたんでそれなりに期待して観に行ったんですが、見事に・・・そう、あまりにも見事に、木っ端微塵に裏切られたので、帰宅後その怒りの赴くままに、まさに書き殴ったものです。

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全編「思わせぶり」で、「どっちつかず」なだけの映画。評価が高いのが本当に不思議です。どう考えてもこれだけの評価が得られるだけの作品ではない。

要するに当作の映画作家は、この際、殊更何も言いたい事など無いんだろうと思う。

過疎の村で慕われていた医者が、実は偽医者だった、というクラシックで手垢まみれな設定のもとで、恐らくうすっぺらいテーマしか得られなかったと
ころを、非常に表層的な手練手管でもって、それをさも深遠なテーマを内包してるが如くに纏め上げている、という、それだけのものです。そう思えてなりませ
ん。

ホントは大した内容でもなく、作者に大した思想も無い。

恐らくその自覚だけは作者にあって、そこをなんとなく思わせぶりにごまかしきった、という感じです。

鶴瓶さん、余さん、香川さん、八千草さん、井川さんという錚々たるメンツが珠玉の名演を観せてくれてますが、これらがその為の手段として「しか」機能していない。こんなもったいないことはありません。

少なくとも、大人が観て面白い作品では無い、と思います。

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・・・なんだかムチャクチャ書いてますが、今でもこう思ってますよ、ええ。
例えば小津の諸作品は、極めて乱暴に言っちゃうと、表面的にはいかにもなーんにも考えてませんよ!みたいな顔して、その実恐ろしく深遠な事柄を描いてたりするわけですが、この作品はそういう日本(人)的な奥ゆかしい美意識の対極にありますな。
というかですね、この意味も含め、なにしろこの映画は「美しくない」んですよ。いやホントに。

まぁオレは北野武作品の最高傑作が「菊次郎の夏」だと信じて疑わないようなニンゲンですからね。こういうレビューにも汎用性?はありません。ありていに言って「参考にならない・使えないレビュー」だと思います。自覚有り、です。
でも、こう思った(てる)んだからしかたがないのだよ。

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