今日の「天声人語」も阪神・淡路大震災が題材でしたが・・・今日は心震える内容でした。ちょっとご紹介します。
明治末、当時の報知新聞に賞金付きの川柳投稿欄が設けられまして、社会部長で小説家でもあった野村胡堂が自ら選者を務めた由。
で、彼が「不朽の名作」としたのが、下記の一句です。
「するが町広重の見た富士が見え」
「するが町」というのは今の日本橋のあたりですが、関東大震災でもって界隈に立ち並ぶ高層の建物が軒並み崩れ落ち、その結果かつて広重が見た・描いた通りに富士山が心ならずも望めてしまう、その様子・・・そうなってしまった町並みの様子を詠んだものだそうです。
俳句だ短歌だ川柳だ、というものにオレは丸っきり門外漢ですので、この句も”なんのこっちゃ?”と言う感じ・・・いや、そうさえも考えなかったくらいなのですが、この解説を読んで、思わず背筋が伸びましたね。
あるべきもの・・・単にそこにある建物だけでなく、それも含めた町の世界観というものが一瞬で瓦解してしまった、その後で呆けたように立ち尽くす、放心状態の空気感。なんと恐ろしい句か、と、朝から震えました。
しかし、後段の紹介される句で感じた恐怖感は、まだ記憶が生々しいだけにそんなレベルじゃなかったです。
「平成七年一月十七日 裂ける」
阪神・淡路大震災の、まさにその朝、地元神戸の川柳作家の方が詠んだ句だそうです。
都内在住のオレとしては、そうか、あのとき、なにもかもが「裂けた」んだな・・・と思うしかありません。
さてさて・・・オレは当時も在京でしかも今以上に愚かな大学生でしたが、
これは観ていました。
その後メディアに関わる仕事に就き現在に至りますが、番組中の発言については自戒するばかりです。