2011年2月

あんなことまで書いておきながら「あしたのジョー」を観に行く。

表題の通りです。前回ああいうことを書いておきながら、臆面もなく観に行ってまいりました「あしたのジョー」。

結果から言うと、非常に楽しめる作品でした。

また、その面白さの種類が原作のそれとほぼ同種同一、という、極めて稀有な作品に仕上がっておりました。

原作は面白かったのに映画はダメ、とか、映画も面白かったけど原作とは別物、ってのが多いですが、こういうのは珍しいですね。

原作ファンも、原作を知らない人も、総じてみんな楽しめる・・・こういう惹句に何度騙されたかわかりませんが、この作品に関してはそこにウソはありません。まさにその通り、そのまんま、です。

とにかく、よかった、よかった。楽しめる作品でホントによかった、という感じでいます。

またもやこの作品が前回挙げたようなクソ映画だったら、オレはもう金輪際邦画なぞ観まい!となったろうし、また特に原作が原作なので、そのファン
であるオレは恐らく半年くらいヘコんで立ち直れなかったと思います。あの崇高なる原作を台無しにしやがってアホンダラ!という感じで。

とにかくそういう不安ばかりの中で観に行ったのですが、見事に全て杞憂、客を選ばない、かなり多くの人が純粋に且つシンプルに楽しめるであろう良作に仕上がっておりました。

ただねぇ、2点ほど、ちょっとどーなんだ?という事柄がありました。

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「話題の映画」について(暴論且つ長文)。

今年の日本アカデミー賞は「告白」が作品賞でした。「告白」は観てませんが概ね好評なようですね。これだけ好評なんだからそれなりに面白い・楽しめる作品なんだろうと思います・思えます。

しかし・・・いきなり話は「告白」から離れますが・・・特にここ数年、この「好評」や「人気」、「評判」というヤツに思いっきり裏切られるケースが非常に多いのも事実です。

“これだけ話題になってるんだから、それなりに面白いんだろうな”ということで少々でも期待して観に行くと、それが強烈に裏切られることがやたら多い。多いどころか、オレ的にはほぼ100%です。

オレはこの30年近くでもう1000本は観てますが、これほど裏切られ続けたことは過去にありません。

年がら年中見てるんで、そりゃタマにはダメ映画に当たることもありましたが、これだけの「話題作」で、しかもこれほど続けて、ってのは記憶にありません。

これは一体どうしたことか・・・というわけで、オレはもはや、特に邦画に対してある種のトラウマさえあります。

オレが映画を観始めたのは’80年代の頭。当時からいわゆる「鳴り物入り」の映画作品は数多有りました。

興行成績が話題になってるもの、広報・宣伝がスサマじく、それ自体が話題になってたりするもの、各種レビューでの評価が半ば異常なほど高いもの、などなど。

「三人娘」以降の角川映画しかり、フジテレビ制作の諸作品しかり、です。

で、これらは一部例外はあるものの、総じてそれなりに楽しめるものでした。

“まぁ取り急ぎ、これだけ話題になってるだけのことはあるなぁ”という感じ。

どの作品も、ある程度のクオリティには到達していたように思います。

しかしながら特にここ数年、クドいようですが、ホントに裏切られる。

なんでこんなモノが好評なんだろう、とか、どうしてこれが好意的に捉えられるんだろう、とか、どういうわけでこの人らはこんな作品で泣けたりできるんだろうか、とか・・・そんなんばっかしです。

決して斜に構えて鑑賞に当たってるわけではありません。オレくらいシンプルかつストレートな心持で映画観に行ってるヤツはおらんと思います。それにはカッコたる自覚と自信があります。

批判ありきで鑑賞に当たるほどヒマでは無いし、そういうスノッブさをオレはむしろ憎みます。

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白黒ハッキリさせりゃいいってもんじゃないのだ。

なんでもカンでも白黒ハッキリさせればいいってもんじゃない、と思うのです。世の中には、「白」、「黒」と同列且つ同格でもって

「白なんだか黒なんだかよくわからないけどまあいいか!」

という価値観が存在するのであります。

「大相撲」なんてのは、この3つ目な価値観の極北です。

“八百長のウワサもあるねぇ、でも取組みるとガチっぽいなぁ、でも・・・まぁその辺は、ねぇ”

というのが大相撲の醍醐味の大きなひとつだったりするんですよ。

むしろ「なんでもカンでも白黒ハッキリさせればいい」という価値基準、これの方がオレ的には摩訶不思議です。

っていうかね・・・あくまでも私的にですが、この「白なんだか黒なんだかよくわからないけどまあいいか」という価値観を理解できるかどうか、若しくはどこまで咀嚼できるか、そこんとこでそのニンゲンのインテリジェンスの多くが問える、と思います。

なんだかよくわからん、な事柄をいかに・どこまで具現的に捉えられるか。ここが豊穣な人生を送れるか否かの分水嶺ですよ。

もっとハッキリ言っちゃいますとね・・・「なんでもカンでも白黒ハッキリさせればいい」なんてのは、これはアホの発想ですよ。そう思えてなりません。

しかし、この「白黒ハッキリ」という思想、いったいどっから来たものなんだろうか。西洋的な思想かっていうと必ずしもそうでもない気がします。
WWEに熱狂してるアメリカ人たちのうち、それがガチ試合だと思って観てる人は恐らく皆無でしょう。リング上の選手等がガチで闘ってるわけではないことを
理解しつつ、それでも彼等は赤・青コーナーの選手の応援に熱中しています。で、そんな様を「非常にアメリカ的だ」なんていう目でワレワレは見ています。

そんなわけで、どうやらアメリカ文化の影響ってわけでもなさそうです。じゃあなんなんだ、と。どっから湧いてきた発想なんだろうか。

とにかく、こういうルーツもよくわからん思想・発想に踊らされてはイカンです。

とりあえず、世の全ての「試験」で、マークシートを廃絶することかは始めなきゃイカンですかね。

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