2012年

空から”糞便の氷”落下相次ぐ、ドイツでの外出時は上にも注意?

空から”糞便の氷”落下相次ぐ、ドイツでの外出時は上にも注意?
http://www.narinari.com/Nd/20120317484.html
だそうです。

・・・我が国におきましても、昭和40年代くらいまでは新幹線etcの鉄道や旅客機も「タレ流し」だったはずですね。オレ自身が体験したわけじゃないですが、と
にかく走行中の急行列車に近寄ると否応無しにミスト状の「糞便の水」を浴びることになった由。さながらグレート・ムタの毒霧のごとし。

飛行機も同様で、この場合は落下の際に雲散霧消しいてしまうので問題無い、みたいな次第だったように思います。

いくら「雲散霧消」したところで、どこまで行っても糞便は糞便以外のナニモノでもないので、昭和50年代頃になって、乗客の糞便は必ず全てタンク
に貯めるべし、外部に撒き散らすべからず、ってなことに定まったようですが、なにしろある期間において、我が国でもウンコ、オシッコをなんのためらいもな
く撒き散らしてた、ってことには変わりありません。

でもって、その時期にいわゆる乳幼児だったオレなどの世代において、特にそれに起因する症例が頻発してたりといった話も聞かないので、まぁ、なんというか、案外ニンゲンの身体というのは頑丈だったりするんだね!という。

衛生観念というのはその時代ごとに異なるものでありまして、大昔のホームドラマ「ありがとう」シリーズなど観てますと

“今日はお風呂どうする?”

“ああ、昨日入ったから今日はいいよ”

なんて会話が当たり前にありますね。オッサンの会話じゃないよ、20歳代前半の女性という設定の2名の、だったりします。

うら若き女性でも、毎日なんか風呂入らないのが当たり前、だった時代があったってわけですよね。

(関係無いですが確か野坂昭如は物心ついてから石鹸で体を洗ったことが無いとかいう話ですね。必要以上に体の油分を除いてしまうのがよろしくない
のだ、とかいうコダワリでした。なんでそんなことにコダワってんのか意味不明でしたが、反駁する根拠も無いので、ああ、そうなんだぁ、へぇ、というね。)

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“キラキラネームの増加で「名前の3分の1も読めない」と教師”な件について。

http://www.news-postseven.com/archives/20120302_91724.html

まず、なんだかムリヤリな記事だなぁ、という印象です。

そもそも、

> 「し水」「中の」「わた辺」…いったい何と書いてあるのかと思いきや、これらは小学生たちが

> 書いた自分の名前だ。「習っていない漢字は平仮名で」──そんな学習指導要領に”縛られた”

> 結果である。

このことと、

> また、「希星(きらら)」「来桜(らら)」「絆星(きら)」「月(あかり)」など、いわゆる”キラキラネーム”と

> いわれる難読の名前も増えており、「天響(てぃな)」など、ルビをふってもらわなければ、とうてい

> 読めないような名前も多い。

このことは、並列に論じるべきことではないんじゃないか、と思う次第です。

> 平仮名と漢字を交えて名前を表記することを「交ぜ書き」というが、このような表記の仕方が

> うまれた背景には、当て字など、読み方がわからない名前が増えていることもあるようだ。

こんなことシレッと書いてますが、キラキラネームがどうとか言われるはるか以前から、「「習っていない漢字は平仮名で」──そんな学習指導要領」
に関しては、オレが知る限りもう30年も前から丸谷才一などが指摘していたはずです。いわく、日本語として美しくない、引いては、もはや日本語として正し
くない、云々。

上記の2件は、並列に論じるべきことではなくて、どっちかっていうと時間軸的には

> 「習っていない漢字は平仮名で」──そんな学習指導要領







> いわゆる”キラキラネーム”といわれる難読の名前も増えており

・・・・・・すなわち、この「学習要領」によって、あるべき日本語(の体裁)が蔑ろにされ続けた結果のワンノブゼムがこの「キラキラネーム」の出現、なんじゃないかと思う次第です。

日本語を有る程度でも正しく理解していれば・・・正しく理解することの意義を認識していれば、こういうアホみたいな名前をつけちゃおうなどとは考えないはずです。

普通、自分の「大切なもの」につける名前ってのは、それがなんであれ熟考してつけるモンでしょうよ。

で、かの親たちは、自分の大事な子どもに対して、熟考した結果として「希星(きらら)」「来桜(らら)」「絆星(きら)」「月(あかり)」などという名前を付けちゃった、と。

誰も「ウチの子にはバカ丸出しの名前を付けよう!」と思って付けたわけじゃないでしょうからね。これが良い、ベストだ、と思って付けてるんでね。

なんで、かの親たちは、こういう名前を「良い!」と思ってしまったか。

ひとつには、間違いなく、彼等の日本語能力に重大な問題がある、と思ったりするんですよオレは。

で、その原因の、これまた重大なひとつには、

> 「習っていない漢字は平仮名で」──そんな学習指導要領

これがあるんじゃないか、と思う。 「し水」「中の」「わた辺」という字面の違和感と、「希星(きらら)」「来桜(らら)」「絆星(きら)」「月(あかり)」という名前の違和感とは、同じベクトルにある気がします。

この違和感を感じないような人は、本質的に「日本人」としてヤバいと思うのですが、当の文部科学省がそれをいわば推奨しいてるわけで、こりゃタチが悪いですな。

「希星(きらら)」「来桜(らら)」「絆星(きら)」「月(あかり)」

・・・こういう名前を付けた親、付けられた子どもが増えてるってのは、あくまでも表層の事柄であって、その水面下にはもっとトンでもない亡国的な事象が潜在しいているように思えます。

母国語を蔑ろにすることの危険性、ね。

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改めて「死刑」について。

山口県光市の母子殺害事件、明日、2012年2月20日に、差し戻し上告審判決、な由です。

以前も書いた気がしますが、「死刑」については、オレ的には揺れる部分があります。全面的な否定も肯定もできません。

まず、人間が人間を裁くに当たって、「死」がその選択肢に在って良いものだろうか、という疑念?が拭えません。

ただ反面、大抵の・・・ほぼ全ての「死刑囚」に対して、こいつはもう殺しても飽き足らない、と思えてしまうのもホントです。死刑囚のほぼ全員は例外無くそのレベルの「重罪人」です。ぶっちゃけてしまうと、オレの中でこの件の「犯人」はその極北です。

・人間が人間を殺すことが肯定されていいのか

・でも、殺されても仕方ないようなことしたヤツだからね

・大体にして、死を以って償うということにそもそも意味があるか否か?そいつが死ねば

 OKなのか?

・じゃあ、生かしてどうするってんんだ?

・・・こんな感じです。

なにしろ、千路に乱れる我が心情、だったりします。

ただねぇ、死刑を望む・・・他人の死を希望する、という発想ね。

こういうマインドが人間の心中に実存する限り、死刑判決を受けちゃうような大罪を犯す人間も必ず存在する・未来永劫いなくならないんじゃないか、と思ったりします。

少なくとも「こんなヤツは死刑だ!ペッ!」みたいなことを、簡単に発言するべきじゃないかな、と。

とにかく・・・判決は明日20日な由ですが、まぁ「死刑」でしょう。最高刑に処されて当然。それだけのことをこの「犯人」はやらかしました。

現状の最高刑が「死刑」である以上、まぁそりゃ死刑判決が出るでしょうよ。そのこと自体は異常な、不自然なことではありません。

※余談ですが・・・本来押さなきゃいけないはずのハンコ押印を、個人的な心情でもって拒んでる大臣さん、これはダメだよね。そう法律で決まってるんだから守らなきゃダメです。法治国家ですからね。法務大臣が遵法せんでどうする、というね。死刑の是非云々はまた別の話です。

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もうすぐ一年。

表題の通り、もうすぐあの震災から一年が経過します。
このタイミングで、なんだか福島第一原発2号機の「温度上昇」について盛んに言われております。

さてさて・・・この件、決して東電「だけ」が悪いわけでも、政府「だけ」に責任があるわけでは無い。東電も保安院も政府も、そしてほぼ無自覚無意識に電源供給を受けてい
た我々も悪いです。要するにみんな悪い。少なくとも、単純にどこか・誰かを叩いてるだけでオッケーな、そういう資格のある者は誰もいないはずです。

どこか一ヶ所、若しくは誰か一人だけ叩いて、それでなんとなく収まっちゃったみたいな気分になる・・・誤解を恐れず言うならそんなことで「自己解
決」してしまうのは、あんましよろしく無い傾向に思えます。コトは誰か(どこか)ひとり(一ヶ所)だけが悪い、ってことで済むような、そんなに単純なもの
ではないはずです。ロス疑惑の三浦某や、大林雅美さんじゃないんだからね。例えが古いですが。

非常に素朴なる理想論ですが、みんな悪いんですから、みんなして反省せねばなりません。

でもって、その上で、もう少しポジティブな論点で歩みを進めていきたいものです。

例えば、工業製品・農産物輸出のライバル国は、この機に乗じて攻勢をかけてくるでしょう。その際、日本のは汚染されてるかもよ〜!くらいの事を言
い散らしたとしても不思議じゃありません。また、昨日だかの記事にありましたが、某ご近所の国が、もはや日本政府は信用に足るものではない、とかなんとか
言ってる由。

・・・言い換えると、誰が悪い・どこの責任だ、ってなことをローカルで喧々諤々していられるほど、世界は悠長じゃ無い、ってことですね。そんなことにとらわれてるバアイじゃ無い、と。

もうひとつ。

この件に限ったことじゃないですが・・・放射線数値がどうとか、容器温度がどうだとか、そういうことももちろん大事なことではありますが、なにより重要なのは、特に若年層がペシミズムに堕ちてしまうことですよ。

アレコレ、イロイロある我が国ですが、我が国は現状において例えば対外債務を抱えてるわけでもなく、要するに若年層がその気になれば先々どうにでもなる「国力」がまだまだあるわけです。若いモンがやる気だしたら、普通にこの国は上昇するはず。

オレのようなオッサン、オバチャンが、そんな若いモンのやる気を殺ぐようなことをしちゃイカンねぇ。

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