太宰(フォロー編)

昨日は編集の修正したり打ち合わせに行ったりして疲労困憊しており、またとにかく眠かったので、その勢い?にまかせて太宰について、やれ中二病だ、恥ずかしくって読めたもんじゃない、などと思わずボロクソ書いてしまいましたが、その後12時間近く寝てさらにユンケルもキメて復活した今になって振り返るに、それはさすがに少々書き過ぎであった、筆が滑ったにもホドがある、ということで目下少々反省しておりまして、といってオレは太宰にはこんなことする縁もゆかりもないですが、ここでちょっとだけフォローしておきたいと思います。
 
恥ずかしくって読めたもんじゃない、とまで書いておいてナンですが、太宰は面白いです。
 
伝記などをひもとくに太宰は非常に「座持ち」のする人だった由。
中学1年のとき、産休の代理で来た国語の先生が、おしゃべりな人の文章というのはとにかく1文が長い。漱石なんかは寡黙な人だったそうで、確かに一文がバシバシと切られて短い、野坂昭如はテレビであんな感じである通り作品も冗長でダラダラ長い、なんてな話をしてくれました。
今思えば12、3歳のガキによくそんな話をしたもんだと思うのですが、とにかく当時のオレはいたく納得したものです。
 
その伝でいうと、太宰の諸作品は、やたらめったら一文が長い。文庫本見開き2ページにおいて「。」がひとつだけ、なんてこともままあります。要するにやたらめったらよくしゃべるオッサンだったんだろうと思う次第です。
で、これは疑う余地もなく、太宰は猛烈な遊び人だった由。要するに「よくしゃべる座持ちの良い遊び人」だったというわけですが、そういう人の話や書いたものがつまらないわけが無いのでありますよ。
 
でもって、そこはやはり「走れメロス」を書いた人なわけで、ベラボーな物語創造能力のある人でもあった、という。
そういう能力を持つ人が、生涯ほぼ全身全霊を賭して、「座持ち」=見聞きするひとを飽きさせずに面白がらせる、ということに腐心しまくってたわけですから、そりゃ名作が産まれますわ。
 
「晩年(関係無いですが処女作品集にこんなタイトルを付けちゃうところがいかにも中二っぽくてイイ)」から「グッド・バイ」までを並べてみると、ある面においては、「座持ち」能力の変遷記録、という見方もできるんですね。当然ながらそれはさながらメロラップのごとくガンガン・ズンズン・グイグイ上昇しておりまして、「グッド・バイ」などは、未完ながらこれはもう大傑作ですよ。太宰の「座持ち」力の頂点ですね。未読の方は一度読んでみたらおわかりになると思います。
しかし残念ながら、恐らくはいつものように「カフェ」の「女給」を、オレはもうダメだ、一緒に死んでくれ、とか言って口説いたら、いつもなら「大人の対応」されるところ何故か本気にされてしまい、行きがかり上心中しなきゃなんなくなってしまって、結果未完となってしまったわけで、非常にもったいない話だなぁ、と思う次第です。
 
 
ということで、現在第11校目となる編集修正指示の待機中です。

コメントする