2017年

アルバムの件。

学校の「卒業アルバム」って何のためにあるのでしょうか。言われてみればオレの周辺で、小・中・高校の卒業後にアルバムや文集を改めてひもといた、なんて話を聞いたことがありません。オレも昨日だいたい30年ぶりくらいに中学のアルバムを開きました。
昔は卒業生全員の住所に電話番号が載ってたりしましたので、それをまとめてデータベース屋やブルセラショップに売っちゃうやつがいた由。でも昨今じゃそういう個人情報は載らなくなったと聞きます。こりゃいよいよもって納戸の肥やしでしかなくなってんじゃなかろうか、と。

昨今じゃみんなスマホやらチェキやらで学内でも日常的に写真撮りまくりで、それらは直ちに安価もしくは無料のストレージに保存されるか、都度ヨドバシやら55ステーションあたりでプリントアウトされて保存されるのが常だそうです。
オフィシャル?な卒業集合写真も間違いなく2L版とかで全員に配られる由。そうなると改めてのアルバムの必要性はもはやゼロなんじゃないかと思うのですが、その辺どうなんでしょうか。

個人的には、ある種の「〆(締め)」として有って良いんじゃないかとも思えるのですが、なんとなくそんなオレは少数派な気もします。

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指導者が大事である、ということ。

高校時代の部活の練習試合に招かれまして、馳せ参じました。

チームを見て驚いたのは、ちゃんとした指導者がいる、ということです。オレの在部時はなにからなにまで、良く言えばセルフオペレーティング、ぶっちゃけてしまえば完全自己流が当たり前でした。
どうやったら本塁から二塁にまで効果的に送球できるかとか、軸足をどう使うと打球が伸びるかなど、部員同士でアレコレ試行錯誤したものです。懐かしい思い出で、そういやこないだのOBOG総会でこの辺の話をしたのですが、また「そもそもオマエ以外はみんな出来てた」なんて言われるかと思ったら、モノスゴク共感されて逆にビビったものです。

初めて我が心中から表に出すのですが、部活を妙なタイミングで辞めたのは、実は肩が猛烈に痛かったからなのです。
日常生活を送る分にはなんともないのですが、いざボールを投げるとダメダメ、だいたい3球で、思わずその場にうずくまっちゃうくらいの激痛が走るのです。
いつだか当時使ってたグラブというかミットとボールが出てきたので、戯れにちょっと投げてみたことがあるのですが、やっぱし3球でダメでした。要するにオレはもう「ボールを投げる」ということが出来なくなっちゃったんだなぁ、と、些少ながら感傷に耽ったものです。

ところが、確か横浜ベイスターズのサイトだと思うのですが、ある日「工藤公康の野球教室」なるコンテンツを見つけましてね。
ページ閲覧者からのメールに工藤が答えるという趣向だったのですが、その中に、ウチのセガレが、ちょっとキャッチボーールするとすぐ肩が痛くなって・・・、なんてのがありまして、その工藤の答えが非常にシンプルなもので、

“いろんな要因が有りえますが、まずは正しくボールを握っているか見てあげて下さい”

と。
なんでちゃんと握らないと肩を痛めるのかも書いてあったのですが、ここでは割愛します。

なにが言いたいかというと、要するにオレはボールの握り方を間違えてたのですね。
で、また試みに、その返答に添えてあった「正しいボールの握り方」図の通りに握って投げてみたら、驚いたことに肩が痛くならないのです。ホントにウソみたいに痛くならない、どころか痛くなったりする前と同じ感覚で、球が伸びるのです。
大げさでなくオレは驚愕しましたね。

しかし、既に40歳過ぎてしまってましたので、今さら肩がOKになったところでなんの意味も無いのでした。
30年前にこのページがあればなぁ、と思ったですね。心から思った。
若しくは、誰かに正しい握り方を教わってればこんなことにならなかったんだよな、と。
まぁちょっとだけまた感傷に耽ったものです。

なにしろ指導者は必要です。このことは部活であろうが社会人であろうが変わりありません。指導されることに依存してはいけませんが、そうならないようにバランスを見極めることも指導者の重要な資質でしょう。なにしろ「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、 ほめてやらねば、人は動かじ」です。「見て覚えろ」オンリーなんてのは今日び流行りませんね。

こういうヤカラが我が業界には残念ながら多いのですが、大した能力も資質も無いヤローに限って新人イジメしたりするのです。でもって往々にしてそれが「美徳」とされたりもします。ロクに教えもせず、ただ陰湿に苛める、という。
そもそも映像制作を志すような人が体育会系オンリーの気質であるわけもないので、そういうノリでモノゴトが上手くいくはずも無いのですが、こういうのはやっぱしある種の「体育会系的な事柄に対するコンプレックス」なんだろうな、と今は思えます。
ワカモノというものは押並べて無能なものでありまして、またそれで当たり前なので、そりゃ時には至らない部分について怒ったりもしますが、教えて無い事が出来なかったりしても怒ったりはしませんね。オレは、というか弊社は。

90年代頭くらいがこの手のネガティブなベクトルの理不尽さを「美徳」扱いする傾向のピークだったそうなのですが、そういう非合理極まりないカリキュラムによって育った、というか生き残った面々が今テレビ番組なんか作ってるわけで、だから昨今のTV番組はどれもこれも面白くもなんともない、大味なものばかりなわけですね。適切的確な指導者に恵まれないとロクなニンゲンにならない、といういい見本ですね。

まぁそういうわかりきったことは置いといて、練習試合の見学の後、諸々の打ち合わせのために我が母校にお邪魔してきました。
在学時にはほぼ新築だった校舎がすっかりオンボロになってて驚愕しましたが、30年も経ってるのでそれもむべなるかな、です。
月日は百代の過客、若しくはぶっちゃけ「国破れて山河在り」かもしれません。

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江東区についてもう時効だろうってことで書く。

ウチの妹も先年結婚して第一子をもうけましたが、江東区在住で新生児を育てるのは無理ゲー、ってのはもはやママ友連中の間では定説化してる由。妹も当たり前のように出産前に他区へ引っ越していきました。
マンションの積極誘致による急激な人口増で目先の実入りは増えたでしょうが、受入態勢の不備が悪評となり現在に至っています。ああ、江東区はそんな感じなので、という。

赤ん坊が生まれたはいいけど保育園は無し。のみならず小学校も、巨大マンション誘致してるのにも関わらず「積極的な統廃合の推進」ってことでドンドン間引きされてしまいました。
その年度での廃校が決まった小学校、その隣の空き地に高層マンションの建築計画が貼りだされてたのを見たときは、ああ、この区の行政には昭和イメージの「お役所仕事」が横溢しておるな、と思ったものです。部署間の横のつながりってのは無いんだな、と。
結局このマンションの子らは徒歩20分かけてよその小学校に通っておられるそうです。遠いなぁ、遠い、遠い。

ついでにいうとオレが昔、初めて「江東区議会議員選挙速報特別番組」(長い)を担当した際は、速報内容は選管から送るFAXを、無加工でそのままカメラで撮って流せ、キャスターや解説者の設定等はもってのほか、ナレーションやテロップの付加もまかりならん、と言われました。
なんでそんなことになっちゃったのかというと、テロップ誤字やキャスター・ナレーターのコメントミスの可能性を極限まで減らしたい、とのことですが、まぁ要するに「前例が無いから」ということです。他に合理的な理由が見当たらないってことと、次の選挙時には殆どなにも言われなかったですんでね。

当時FAXはロール感熱紙仕様で、送られてくるのはいいけど原稿がどうしても丸まっちゃうので、せめてコピーを撮らせて欲しい、コピーしたやつを撮影したい、と現場から要望しましたが、かなりあからさまに難色をしめされたりしましてね。
まぁこれはどうにか許可してもらいましたが、なにしろ言われた通り、送られてきたFAXをスタジオの壁に貼って、それをそのままカメラで撮って流しました。

かくして視聴者の皆さんは、選管からの開票結果FAX紙面を、著作権フリーのBGMとともに観る、という、稀有なスタイルの「選挙速報特番」をご堪能頂く次第と相成ったわけです。当り前ですが視聴者からは“いくらなんでもセコすぎる!”とのお声を頂きましたが、選択肢が無いんだものこっちには。

江東区にも良いところは多くあります。よっぽどの大雨でも、大横川、小名木川、荒川、隅田川の堤防は決壊しません。よそじゃこうはいかないでしょう。そこんところは我が区のいわゆる治水事業に感謝するところです。九州の大雨災害の報に触れて改めて思います。
ただ、要は、全てが全て「バッチリOK!」では無いってことです。

あと、ぶっちゃけた話、前述のように「江東区在住で新生児を育てるのは無理ゲー」ってのは想像以上に広く知れ渡ってるようで、そのことはさすがに区行政の方でも把握してると思います。
昭和イメージの「お役所仕事」と書きましたが、その特徴のひとつに、体面を気にする、という事柄があります。メンツにこだわる、といってもいいでしょう。
なので、さすがに本腰を入れて保育園やら学校やらの「改善」が進むんじゃないか、と思っています。
このタイミングで、リアルな数値としてそれを為せば、逆にセールスポイントにも成り得る、くらい考える為政者がいたって不思議じゃ無いですしね。

またそもそも上記したアレコレはもう20年も前のことなので、今はずいぶん改善されてることでしょう。

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「釣りバカ日誌」を観た。

結局「釣りバカ日誌」を1~3作目までイッキに観てしまいましたが、存外テンポがトロいというか、冗長なので驚きました。
まぁ30年前の作品なのでそんなもんかな、とも思えますが、そこからさらに20年程遡る「男はつらいよ」はもっとずっと展開がリズミカルで勢いがあります。
あとこれもかなり意外だったのですが、かなり脚本が苦しいというか、無理があります。なんというか、ここまで押せるキャラじゃないだろ!というか、なにしろ無理が目立ちました。
 
当時の松竹では「男はつらいよ」後の継続性のある「屋台骨」の確立が急務だったはずで、そのつもりだった「虹をつかむ男」が盛大にズッコけたあとのこの作品に賭するところは大だったように思う。特に2作目などはそういう、よく言えば意気込み、悪く言っちゃえば気負いが目立ちます。
そういうものに脚本が耐えられてない、という印象です。
 
そういえば松竹はいまは何が「屋台骨」なんですかね。
またコケたらすかさず「砂の器」を併映にしてしのいでる、とかそういう感じなのでしょうか。良く知らんけど。

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