あけましておめでとうございます。

ボーッとしてたんじゃバカになるばかりなので、おいそれとバカ化しないようにこの新年からなんか書いていこうと思います。「書いていこう」ってことは、継続していこう、という意味です。

尾張徳川家の家臣だった朝日文左衛門重章は17歳から44歳で亡くなる間際まで、約27年間という長きにわたって「鸚鵡籠中記」なる日記を書き続けておられた由。内容はやれどこそこで心中があったとか辻斬りの後始末がメンドいとか昨日見た芝居は役者がヘタだとかそういう些末事のオンパレードな感じですが、この際書き続けるってことが肝要であって、中身は二の次三の次なのであります。

朝日文左衛門は享保から元禄の人物で、時代的に当然ながらこの日記も端紙と筆で書かれておるわけで、キーボードで気安くDELETEしたりUNDOできる現代とはその労力も桁違いなはず。まぁちょっとは見習おう、と。

それにしてもこの「鸚鵡籠中記」というタイトル、これは朝日文左衛門自らの命名だそうですが、これはなかなかオツなものだと思う。カゴの中の鳥が安全地帯からピーチクパーチクやってるだけみたいなものですよ、その鳥もオウムだからひたすら又聞きばかりですよ、という。

タイトルで思い出しましたが大昔の伊藤大輔作品に「御誂次郎吉格子」ってのがあります。「おあつらえじろきちごうし」。呉服屋に着物注文するとコヨリで結んだ紙に包まれて納品されますが、その真ん中には必ず「御誂」とありますよね。この作品は観りゃわかるんですが金持ち&貧乏人、次郎吉&色女という様々な軸が、ああだこうだと、さながら格子柄のように交差します。だから当作品は「次郎吉格子」の「御誂」だってわけですね。タイトルのヒネり方のベクトルがいい感じです。中身は置いといて「いま、会いにいきます」とか「チア☆ダン 女子高生がチアダンスで全米制覇しちゃったホントの話」とかいうのより気が利いてますな。

関係ないですが主演の大河内伝次郎、壮年以降の作品では異様な存在感と貫禄をみせますが、これはオッサンになって身についたものではなく、若年だったこの作品当時には既に貫禄たっぷり。いろいろバグってる感があります。

あと「忠臣蔵」。「忠臣」のエピソードがさながら蔵の中のようにいっぱい詰まってるよ、という意味ですね。これは実際その通りで、そういう意味で、忠臣蔵映画作品は数多ありますが、どれも一種のオムニバス作品だと言えましょう。だいたい歌舞伎なんかだとこの蔵の中からひとつふたりエピソードを引っ張り出してきて、そこだけ演じる、というスタイルですよね。ちなみに歌舞伎座の3月は天川屋ナントカの場をやりますよ確か。

そういった事柄を諸々踏まえ、もう寝ます。

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