「クリント・イーストウッド」について。

クリント・イーストウッドがなんかまた新作の準備に入ったとかなんとか。たぶん今年93歳になるはずですが、いやぁなんともお元気な。リーフェンシュタールは確か100歳で作ったのが最後の作品だったと思いますが、目指せリーフェンシュタール!ですね。いやホントに。っていうかリアルに。

もちろん天賦の才の所持者であるってことはそうなんでしょうが、イーストウッドにつきましてはそれに加えて非常な勉強家なんだろうな、と思えます。どの作品からも、過去の名作と呼ばれる諸作品のエッセンスをそこかしこに感じられます。

「グラン・トリノ」にも、「黄色いリボン」や「エルダー兄弟」といったフォードの諸作品だったり、「東京物語」だったりの感じが見うけられるように思います。単に主題が同じ・似てるというところに留まらず、切り取り方までに相似がある気がします。

事ほど左様に、「ペイルライダー」や「ブロンコ・ビリー」にはやはりフォード、ホークス作品や「リオ・ブラボー」っぽい感じ、また「用心棒」「椿三十郎」に似たカットがあったりしましたし、「許されざる者」は結構あからさまにやはり「用心棒」「椿三十郎」の感じがありました。

そこまで映画を観まくったりしてるわけでもないオレでもこの辺に気付くくらいなので、観る人が見ればもっといっぱい見つけられるんだろうと思いますが、なにしろ彼は大変な勉強家であり、つまりは努力家なんだろうと思います。

いろいろ観て、学んでおられるはず。それはきっと今でも継続中なんだろうと思います。

イーストウッドにしてそうなんですから、凡才の極みであるオレなんかはもっとガンバらなければいけないわけですが、彼の「天賦の才」は、クリエイティブ能力そのものに留まらず、努力を惜しまない才能と、見聞きした事どもを効果的に吸収する力、というところにもあるんでしょうきっと。

しかし、ついこないだ(でもないけど)まで“Go Ahead, Make My DAY”なんてなセリフがバッチリ決まっちゃうようなキャラだったイーストウッドが、「許されざる者」や「グラン・トリノ」では、要するにあとは退くタイミング待ちな老人、という役回りです。

「グラン・トリノ」なんかは要するに最後の死に場所探ししてるわけですから。

また身も蓋もない言い方をしてしまうと、「許されざる者」は自分が世に(世界に)出る足掛かりとなった「荒野の用心棒」や「夕陽のガンマン」の否定、「グラン・トリノ」は「ダーティガリー」的な事柄の全否定ですもんね。

ある程度の年齢になるとそういう域に到達できちゃうもんなんでしょうか。すなわち、もうなにも失うものはない、どっちかっていうと全部捨てたい、みたいな境地。こうなるともはや「禅」の範疇です。

まぁなにしろ息が長い。言うのは簡単ですが、スゴいことです。いろいろ。