「アラビアのロレンス」におけるピーター・オトゥールのキモさについてなど。

新年度の「午前十時の映画祭」、ラインナップに「アラビアのロレンス」がありました。10時きっかりからから上映されるとして終演は昼過ぎになるわけなので、鑑賞希望の方は朝メシをガッチリ食ってくるのが良いかと思います。3時間20分というクソ長い上映時間に加え、そもそも内容からしてかなりカロリーを消費させられるものです。メシ抜きで楽しめる類の作品ではありません。

最大の見どころは……そりゃまぁいっぱいあるっちゃあるのですが、特に着目すべきはピーター・オトゥールのキモさ。

いや正確にはピーター・オトゥール演ずるロレンスのキモさですね。思い出しましたが中学の同級生に、フォレスト・ガンプに非常によく似てるけどトム・ハンクスには全然似てないってヤツがいました。どこがどうってわけじゃないけど何故か似てる・似てないという。この「どこがどうってわけじゃない」って部分がスタニフラススキー・システムの偉いとこですね。「アラビアのロレンス」以外でのピーター・オトゥールは別にキモくないですもんね。でも当作でことさら造形的に他作からキモく変化したところはないと思うのですが。

なにしろ当作のピーター・オトゥールはキモいです。ひらたく言えば変質者でありちょっとハタ迷惑な「奇人」です。なんによらずこの手の事柄に関するアケスケな表現は恐らく御法度であったろう当時の業界において、これはかなり思い切った「変態野郎」の表現だったんじゃないか、と思う。

考えたらこの当時の映画作品、業界の許す範囲で精一杯「キモい人物」表現をしてるんだろうな、ってのがちょいちょい思い当たります。

例えば「ベン・ハー」

初見時、ジュダとメッサーラの関係性になんとも言えない違和感というか引っかかりを感じたのですが、両者の関係性にはホモセクシャルの要素も有ったり無かったり、なんですってね。そういう事柄がある種のスパイスになってる由。

言われてみれば、恋に破れたメッサーラが嫉妬によってサディスティックな面を発露している、という感じがちょっとあるかもしれません。

もひとつ思い出すのは、ホークスの「赤い河」。

若い男二人が馬上でもって

「おい……オレの銃、見たいか?」

「(モジモジしつつ)……じゃあ見せてくれよ」

「オマエのも見せろよ……」

「オレのはお前ほどリッパじゃないよ……」

なんてな会話があるのですが、これも「そういうこと」だったりしてなぁ、なんて思ってたらホントにそういう説もあるんだそうで。

今は声高にLGBTQQIAAPPO2Sの権利が叫ばれてるくらいなので、この手の表現を遠慮する必要が無くなったわけでしょうけども、それが故に「アラビアのロレンス」のようななんとも言えないキモさを内包した作品は生まれ得なくなったわけです。

それが良いんだか悪いんだかはオレは知らん。

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