2023年

時代は変わるのであります。

どっかの高校のバレー部の顧問が「練習中、部員に暴行疑い」だそうです。「10代の男子部員1人に対し、服を引き剥がした上で髪をわしづかみにして引きずり倒し、バレーボールを顔に投げつけるなどの暴行をした疑い」って、これだけ読むともはやキチガイの所業ですが、まぁ、そうなんでしょうね。タイやカンボジアにいるマカク系のサルでも意味も無くそういうことはしません。

オレも昔、某小学生女子バレーボールの練習取材でドン引きしたことがありますよ。AM8:00からPM10:00までほとんど休憩なしで、その間監督だかコーチのオッサン、常に誰かしらを引っ叩きまくってました。あれだけビンタしたらした方の手も晴れちゃうんじゃないかと思ったものです。

恐ろしかったのは、このサイコパスでサディストな監督だかコーチもさることながら、それをまるっきり許容してる保護者ね。むしろ称賛してる空気でした。強くなるためには致し方なし、という。冷静に考えればそんなことしない方が強くなるにきまってるわけですが、もはや誰もそうは考えない。これが洗脳というモノか、と思いました。

オウム信者の多くもあのバカバカしさ極まるさまざまな「ワーク」をほぼ肯定的に捉えていた由。これとなんの違いがあろうか。

また、江東区在の某都立高校が甲子園出場した際に主力選手をスタジオにお招きして番組を作ったのですが、このときには逆の驚きがありました。1年生が3年の主将に、先輩の彼女かわいいんスよ〜、とか言ってましたよ。やめろよ〜、いいじゃないスか〜写真も放送しちゃいましょうよ〜、とかってやりとりがありました。

前述したようなサイコパスでサディストな連中には理解できないのでしょうけども、こういう感じで甲子園に行ってんだからね。

考えたら悲劇的なことでもありますね。このサイコパスでサディストな連中からしたら、こういう子らの活躍はアイデンティティの否定でもあるでしょう。オレがやってきたことはなんだったんだ、みたいな。

時代は変わるのであります。悩み大きものよ、時代は変わってる、ですよ。斉藤哲夫ですが。

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モノの値段とは。

モノのお値段というものは難しいものです。

先だってにも書きましたが、このお正月や節分は和服で過ごしました。いずれも頗る好評なので、3月の初午祭にもこれで行こうかと思っております。

着てる当人としてもこりゃもう非常に着心地がラクチンなので、もうこの際マジでずっと和服で暮らそうかと思います。差し当たって事務所内では基本的に浴衣&ヘコ帯で過ごしておりますが、さすがに浴衣だけだとまだ寒い。そもそも浴衣とはこんな真冬に着る物では無い、ってことで、わざわざ防寒ズボン下とヒートテック上半身肌着を大量購入してどうにかやっております。

で、調子に乗って着物をもう一着作りました。昨日の夕刻に出来上がった由。でも今日は起きたら夕方だったので諦めて、明日か明後日に撮りに行く予定です。

二着目をお願いしにお店に行った際、まだまだしばらく寒い日が続くけども、羽織の上に着るような、洋装におけるオーバーやらコートみたいなのは和服だとどうなるのか、と聞きましたら、いのがありますよぉとか言って出してもらったのが和装コート、ものの良し悪しなどなんもわからんので取り急ぎナンボになるのか聞きましたら、37万だってんですね。サンジュウナナマンエンですって。

世の中にはここで、ほぉなるほどではいただきますか、なんつってポンと買っちゃえる方もおられるんでしょうね。でもオレはそういうタイプじゃないのです。

でも、なんだかんだ良いものを買っちゃったほうが、長い目で見たら結局おトク、リーズナブル、ってことは往々にしてありますね。

昔オレは7、8000くらいのフェイクレザーのアウターを愛用してたのですが、撮影屋なんかでボロボロになっちゃうので大体1シーズンごとに買い直してたりしました。

で、あるとき一念発起して100000くらいの本革のを買ったのですが、あれから16年ほど経ちますがいまだに普通に着れています。特に見た目もどうなってるってこともないので、まだまだ普通に着続けられると思う。

最初っからこれくらいのを買えばよかった、安物買いの銭失いとはまさにこのこと、と。

昔々、東京青年会議所(JC)というところに入れて頂きまして、その最初の会合の際、その当時オレは高校2年のときのバイト給料で買ったセイコーのダイバーウォッチをずっと使ってたのですが、先輩会員の方に

“JCってのはいろんな会社の社長さんも多いから、腕時計はもうちょっと気を使ったほうがいいよ”

とやんわり言われまして、ああそういうもんですかダイバーウォッチじゃアカンですか、ということで買い直した、ってことがありました。

まぁン十万のやつなのですが、あれから10有余年、こないだちょっと某骨董品査定サイトを除きましたら、かつて使ってたダイバーウォッチ、もはやプレミアがついて、ン十万じゃきかないお値段になっててビックリしたものです。

こと「お値段」というものは、塞翁が馬というか、どこでどうなるかわからんものです。

ちなみに腕同駅に関しては、今はどっちも愛用しています。

ただダイバーウォッチの方はもう古すぎて防水機能がダメだってことなので、そーっとそーっと使ってる、という感じです。

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映画の話。

「フラッシュダンス」も「フットルース」も、当時はまぁそれなりに面白く観たはずなのですが、今観るとこれはもう愚にもつかないというかお話にならないというか、とにかく観ちゃいられないのです。こんなシロモノをどうして当時面白がれたのか、自分がよくわからなくなります。ウソだと思ったら今一度観てみていただきたい。きっと、ええ、ウソでしょ!?なにこれ!?ってなりますよマジで。オレはなりました。

このあたりの作品は、強引に括ってしまうと「ザ・80年代」というようなことになると思うのですが、要するに当時のオレは、時代の熱やらいろんなものに浮かされてた、ってことなんだろうと思う。

でもって、その伝で「ザ・70年代」という括りになるとどんな感じになるかというと、一連の「パニック映画」と呼ばれる諸作品がそれにあたるような気がします。ってこれだけじゃないでしょうけども、これもまた重要な構成要素ではあろうかと思う。

で、この辺のは今観てもかなり面白く観られます。面白く観られるものが多い。

面白いヤツだけが残ってて、その裏には時間経過の篩に引っ掛からなかった有象無象「面白くない・普遍性を得られるレベルじゃない作品群」が死屍累累、という、そういう感じでも無いのです。面白く観られないのも少なからずあるにはあるのですが、「ザ・80年代」の諸々に比べると佳作に出くわす率が高いです。

ただこれはほぼ思い付きの私論ですが、「ザ・70年代」の諸々は、アメリカンニューシネマの洗礼を受けたか受けてないかで2分できちゃう気がします。例えば「大空港」は受けてなくて、その続編である「エアポート’75」は間違いなく受けてるなぁ、とか。

単なる制作タイミングの問題ではなく、制作側の意識において、革命的なナニゴトかがこの時代にはあった、と言える気がします。なんとなくですが。

じゃあなにがあったんだろうか、と思うのですが、今日は13時間くらい寝てしまったので、そういうことを調べたり考えたりする熱気が我が心中に湧いてきません。

ただ、これまたなんとなくですが、機材の革新はあったんじゃないかな、という気がします。明らかに各カットの軽重が違ってる感じ。いやあくまでも「なんとなく」です。

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昨日の投稿に対する反省と、サルの話。

昨日、映画鑑賞における基礎教養の重要性っていうか必要性に関してあれこれ書きましたが、一晩明けまして、よく考えたらそんなのどうでもいいことでした。そいつが面白く観られたらそれでいいじゃんか、と今は思います。めいめいが好きなものを好きなように観ればいいじゃないですか。それ以上何が必要だっていうのですかまったく。

そんなことよりここ数日感じてたのですが、我がfacebookのタイムラインがどういうわけだか猿の動画投稿でいっぱいなのです。猿、サルですね。モンキーですよ。それもどうやらやら特定の種のモンキー。思わず気になって調べましたら、いずれの動画も撮影場所はタイ王国もしくはカンボジア王国の街中もしくは恐らく街外れの森や林な由で、種類はニホンザルの近種でもあるカニクイザルらしい。

動画の内容も類型がありまして、目立つのは、

・どっかのアンちゃんがバイクでボロボロのタンボール箱を運んでくる

・箱を開けると恐らく生まれたばかりの子ザルが1匹、場合によっては複数匹入っている・詰め込まれている

・その子ザルを取り出して、あまりキレイとは言えない感じの水でザブザブ洗う

みたいな感じのやつ。ムチャクチャな扱いしてるですが大抵“so adorabke💓”とかってコメントが臆面もなく付記されてます。

どっから運んできてるんかなぁ。どっかで買ってきてるのでしょうか。でも行くとこに行けばそこら中にいるみたいなんだけどなこういうサル。

あと、親ザルにネグレクトされて怪我まみれの子ザルのようすをひたすら撮ってる、っていうのも多い。すごいなぁと思うのは、そういう怪我だらけ場合によっては血まみれのサルを、彼らは普通に素手で触って、ヘタしたらマウストゥマウスで人工呼吸したりしてるんですよ。死んじゃってハエがたかってるサルを普通に拾って穴掘って埋めたり。怖いもの知らずですね。こういうヤツらが世界中にわけわからんウイルスを伝播させてんだなと思います。っていうかよく平気でいられるよなこの人ら、と。

ニホンザルの近種であるこのカニクイザル、性質はニホンザルよりずっと穏やかで人懐っこく、またタイもカンボジアも敬虔な仏教国であるので、サルが糞尿を撒き散らしたり(サルは賢いけどもトイレを決して覚えないのだそうで)、蛇口を捻って水を飲むけども飲み終わって元通りに締めることが無いからあたりが水浸しになったり、露店の食い物を持ってったりでもって街を結果的に荒らしても、この国民の皆さんは決して「駆除」「処分」という発想にはならない由。

だからまぁサルたちはやりたい放題なわけですね。

で、そんなやりたい放題のサルをひたすら撮ってる動画が世界的に人気コンテンツなようで、当地にはサル動画youtuberが大量にいるんだとか。

前述の「親ザルにネグレクトされて怪我まみれの子ザル」ですが、これはまごうかたなきネグレクト、シッポ掴んで数十メートル引きずったり、あちこち噛みまくったりしてます。これはある種の「しつけ」なんだそうで、これを経て子は親に従順になり、その従順さを以て親による庇護をしっかり受けられるようになるんだとか。

文字通り半殺しに近いような攻撃も見られますが、たまにまかり間違って「全殺し」となっちゃうこともある由。ボロ雑巾のように成り果ててハエがたかってしまってる赤ちゃんザルの動画も大量に流れてきます(そういうのを普通に素手で触っちゃってるわけです彼の国の方々)。

所詮は畜生の悲しさよ、ということになりますが、考えたら人間でもそういうヤツ、ネグレクトの末に殺しちゃう親人間がたまにいますよね。してみるとこの手のヤツは群れ集団においての標準偏差水準を下回っているエテ公と同レベルだと言えますね。いや、しつけの意思がほぼゼロでもって「全殺し」してんだからサルのレベルにも達して無いわけですか。なにしろ、もはやホモ・サピエンスの埒外だと言っても過言ではありませんね。

しかし何故にオレのタイムライン、斯様なサル動画が蔓延するにまで至ったのでしょうか。

不思議です。

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忠臣蔵とか「彼岸花」とかいろいろ。

日本映画興収が最大だった1958年、東映が「旗本退屈男」やら「若さま侍」やら「忠臣蔵」で派手によろしくやってたその同じ時期に、松竹が満を時して「オールスター総出演総天然色大作」として世に放ったのが小津の「彼岸花」。集まる誰もが皆微動だにせずモノも言わずただ俯いて着座する、まるで判決言い渡し時の裁判所内かのような厳粛な空気の会場内、なんだかよくわからない詩吟だか浪曲だかが延々とうたわれる、そういうシーンがオープニングから数分に渡って続くアレです。

斯様な地味極まりないオープニングが終わったと思ったら佐分利信は結局最後までシブい顔してなんかブツブツ言い続け、中村伸郎、北竜二は相変わらずセクハラ的な姿勢を崩さないという、今だったらヘタしたら炎上にまで至るであろう当作ですが、これ大ヒットしてるんですよね当時。間違いなく佳作であるとは思うのですが、いけすかないインテリゲンちゃんのみならず広く老若男女の支持を得て、松竹はウハウハだった由。

してみると、今を生きるものとしては少々口惜しいところですが、今と比してこの当時の日本人の文化レベルは高かった、と申せましょう。あの延々と続く詩吟だか浪曲だかのシーンも、当時の鑑賞者は、これだけ続くからこそ生きる後続シーンを待つだけの、おそらく無意識的なところでの「期待力」があった。

これ、この「力」こそが教養なのですよ。

また例えば「おはよう」。

これを「ファスト映画」にしたら、オナラを競ったガキが最後にウンコ漏らすとか押し売りを牛刀で撃退するとか、わけわからんエピソードがわけわからん順番で並ぶわけわからん代物になりますよ。って当作はハッキリ言って普通に観たってわけわからんのですが、このわけわからん事どもの向こう側から匂ってくる機微を楽しむだけの度量が、当時のオーディエンスには厳然とあった、と。

これもまた「教養」です。

小津に限らず、当時の制作側には、物知らずなヤツは置いていって構わない、という割り切りがあったのでしょうね。たとえば前述の「忠臣蔵」でいうと大石の東下りのシーン、大石家と浅野家の家紋がなにであるか知らなかったら意味わかんないですよね。でも、そういうシーンは存在し、また大抵の鑑賞者はこれを名シーンだとしています。つまり大抵の人はを知ってるわけです。

物知らずなヤツは置いてかれるから、観る側の方がちょっと頑張ってる形跡がありますよ。大石と浅野の家紋も知らんで映画なんか観るな、旗本とはどういうものかも知らんで映画館に来るな、ってなことを言われちゃうから、多少は勉強しなきゃアカンな、というね。こういうのを教養、基礎教養というのです。

昨年末だったか、ファスト映画で何億円だか荒稼ぎしたヤツが捕まってました。作品を(勝手に)10分くらいに編集しちゃうアレ。

これはですね、作ったやつも、これを喜んで観たヤツもアカンです。著作権云々以前の話で、ことドラマ型コンテンツというものはストーリーだけわかればいいってだけのものじゃないのです。それは全体の「愉しみ」の、せいぜい4割弱くらいじゃないですか。

ただ10割愉しむには「基礎教養」が必要だ、と。

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食に関して。

新卒で入った会社で、ある時オンライン編集(!)のアシスタント(?)に当ったことがあります。

3日間に渡って行われたのですが、昼メシの弁当発注という重要業務がオレの担当でした。

で、初日に頼んだKAKIEMONの「和風ハンバーグ御膳」がメチャクチャ美味かったので、翌日も翌々日も同じのを頼んだら、ディレクターの先輩にそりゃもう猛烈に、メチャクチャに怒られまくったのでした。

「なんで同じもの食わすんだ!!!」と。

なんでって、美味かったからに決まってんじゃんか、と内心思ってたのですが、3日間同じ昼メシを食わされるのは一般的には不快なことなんだな、ということをオレはそこで学んだ次第です。

それから約10年後、某CATV局の番組で、江戸三大祭本祭生中継のチーフになった際、後輩の若者に昼メシの弁当発注という重要業務を担当させたことがあります。

やはり3日間に渡るロングランだったのですが、初日の「ビビンバ・カルビ弁当」が猛烈に美味かったのでその旨を伝えたにもかかわらず、2日目が違う弁当だったので、オレはそりゃもう猛烈に、メチャクチャに怒りまくったのでした。

「なんで違うもの食わすんだ!!!」と。

……と、ここまでは以前にも書いたと思います。っていうかこれはオレのいわば持ちネタとしてあちこちで喋ってるのですが、こないだフト思い立って調べたら、KAKIEMONってもう無いのですね。90年代中頃までは「高級宅配弁当のリーディングカンパニー」だったらしいですが、なんかもうとっくに無いんだとか。

もうちょっと粘ってりゃコロナ禍の折ニーズもあったろうになぁと思いますが、なにしろあの和風ハンバーグ御膳を味わう機会は永遠に失われたわけです。

で、こりゃタイヘンってことで、改めてかつて某肉店で毎度毎度買ってたビビンバ・カルビ弁当を調べたら、店はあったけどもうメニューに無かった。「月日は百代の過客にして」ですね。もうあの死ぬほど脂っこい弁当を口にすることは叶わなくなった、と。

月日は百代の過客にして、と書きましたが、行き交ふ年もまた旅人なり、つまり、往々にしてまた別のナニゴトかと行き交ったりもするものです。

もはやオレがなにも言わなくてもほぼ自動的に替え玉してくれ、また辛子高菜漬をどれだけ入れても文句を言われない、あの某店のニンニクトンコツラーメンさえあれば、今はなにもいうことはありません。おとなしくしてればナニゴトかと行き交えるものですね。ちなみにこれは代々木ってか千駄ヶ谷にあるお店ですが、かれこれ20年、ここではニンニクトンコツラーメン以外食ったことがありません。

ところでここ数日、夕刻から夜半になるとなんだか頭に疼痛、ややめまいなどがあります。なにを隠そういまもそうです。

風邪かなぁなどど思ってましたが、もしかしたらこれは、先だってに購入しバリバリ使用している火鉢による軽い一酸化炭素中毒なのではなかろうか。

換気は大切です。

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食材。

昭和の御代と比べるとスーパーの品揃えは格段に良くなったように思います。かつて明太子やキムチは半ば珍味の範疇だったし、キウイなどは「南国の希少果物」だったと思う。

ゴーヤーなんかが普通に買えるようになったのはここ10年くらいなんじゃないですか。初めての訪沖は94年の2月でしたが、オレはそこで地元のスーパーに行くまでこの野菜の存在を知りませんでした。今じゃ一年中買えますけども。ちなみに「ゴーヤ」表記をよく見ますが、正確には「ゴーヤー」、ゴーヤチャンプルは「ゴーヤーチャンプルー」が正しい。

なにしろ事程左様に、購入可能な食材はグンと増えました。豊富な選択肢の、その恩恵を受けて我々は日々暮らしておるわけですが、中には見かけなくなったものも多いですね。

最たるものはナマコ。海鼠ですね。

なにを隠そうオレはナマコファン、海鼠愛好家なのですが、ここんとこトンと見かけません。昔はちょっと大きめのスーパーならどこでもあの雑巾を丸めたような塊りの個体を見かけたものです。

なんでナマコが払底してるのか。ありゃ思うに購入してから食えるようにするまでの過程がやたらメンドくさい&時間がかかるからですね。ハラワタを取り除いて水だか塩水だかで晒して、その後ヌルヌルの個体を押さえつけつつブツ切りにして、ポン酢と大根おろしの中に沈めて、そこでようやく可食、と。

スパゲティでもカレーでも麻婆豆腐でも、ただ湯煎したりするだけでなんでもすぐ美味しくいただける昨今、この多工程と多所要時間っぷりは受け入れられないんですね思うに。

あとこの冬、フト思ったのですが、ミカンだとかポンカンだとかは良く見かけるのですが、晩春、初夏になっても夏みかんって見かけなくなったと思いませんか。

なにを隠そうオレは夏みかんファン、夏みかん愛好家なのですが、ここ数年トンと見かけません。皮が固くて剥きにくいから、とかですかね。口の中に入れるまでの工程における困難さ具合が他の柑橘類に比べてキツめだから、という。

さらにここ数年感じるのは、カリフラワーって見かけなくなったよなぁ。ブロッコリーに駆逐された形でしょうか。

なにを隠そうオレはカリフラワーファン、カリフラワー愛好家なのですが、いやマジで滅多に見かけません。ブロッコリーもカリフラワーも胃の腑に落ちるまでのフローに大差は無いとおもうんですが、JA的な都合なんかもあるんですかね。知らんけど。

文脈上、「まとめ」としては斯様な品揃えの移り変わりを郷愁とともに受け止めたりするところですが、実を言うとナマコも夏みかんもカリフラワーも殊更好きなわけじゃないので、ああそういや最近見ないなぁ、っていうだけで、それ以上でもそれ以下でもありません。だいたい海産物とか野菜とかってそんなに食わないんですよオレは。牛肉と豚肉があれば取り急ぎ大丈夫です。

そういう次第で、もう眠くなったので、もしかしたら就寝するかもしれません。おやすみなさい。

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節分。

おとといは節分でした。不思議なことにだいたい節分の翌日が立春になるよね不思議だね、と常々思ってたのですが、そもそも節分の日は「立春の前日」と定められてるんだそうですね。日々勉強です。不明を恥じる次第であります。

今年の節分でも不肖ワタクシ豆を撒かせていただきました。昨年作った和装でもって。「撒かせていただきました」と書きましたが、このような機会をいただいて、いやホントにありがたいことです。

高いところからエラそうに撒くのはいささか気が引ける感じもないわけではありません。

大辞泉によりますと「気が引ける」=「気おくれがする。引け目を感じる。」だそうで、さらに「気おくれ」=「怯む、尻込みするといった心持ちを意味する表現。」とのことです。

まさにそんな感じでした。毎年のことながら。

(全然関係ないですが「まめまき」の漢字表記は「豆撒き」で合ってるんですかね。「撒」って漢字にはちょっとネガティブ寄りのイメージがありませんか。オレだけですか。)

我が和装は頗る好評でした。ただ、

・宮司さん

・神職の方

・睦会会長氏

・睦会会長代行氏

・某代議士秘書氏

・お手伝いの方

・崇敬者の方A

・同B

・同C

と、皆さん、完璧に同じことをおっしゃる。

「どこの部屋の親方が来たかと思った」

と、会う人会う人皆さんから、異口同音に、全く同じことを言われました。何人目かのときにはデジャブかなと思いました。

和服っていうとみんな襟をギュッと、キチッと締めておられるけども、ホントはちょっと緩めに、ルーズにした方がカッコいいのだ、と、長谷川一夫が徹子の部屋だったかなにかで話してました。

しかし、実際に御説の通り緩めた感じにすると、これはもう覿面にだらしない感じになっちゃいます。襟元が緩むといきなりそういう感じになります。

要するにそれは「長谷川一夫」だからカッコいいっていうか許されるのであって、そうじゃない人はやっぱしキチッとしてなきゃダメだってことですね。最初からカッコいい人は緩めてもなにしてもカッコいいけども、そうじゃない人には緩めて許されるだけのバッファが無い、と。

また外出時の服装について、これは数十年前のサンソン新春放談で大瀧詠一が言ってたのですが、30歳を過ぎたら、あそこ行くのにこのカッコじゃちょっとキチッとし過ぎかな、ってくらいで他人から見たらちょうどいい、この程度でいいだろう、っていう自己判断の服装だと他人様が見たらかなりだらしない印象となる、との由。

オッサン・オバチャンになったら、自分で思うより一段階上の服装じゃないとアカンってわけですね。

そういうもんかもしれません。

そういえば、大瀧詠一ってなにげにオシャレだったような気がします。そんなパブリックイメージは無いですが。

あと、弊社設立当時にバイトで来てたJK(当時)によると、ズボンによらずシャツ、上着によらず、オーバーサイズ志向になった瞬間がすなわちオッサンになった瞬間、だそうです。

そういうもんですか。わかる気がしないでも無いです。 

なにしろ、いいトシになったらできる限り服装には気を使いましょう。

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ポケベル。

この程弊社もポケベルを導入しました。弊社のアセットでもあるコンテンツマーケティングをフリーダム且つアジャイルにバジェットシュリンクしインタラクティブなオポチュニティマネージメントとしてエスタブリッシュさせるためのインディスペンサブルなツールということでコンクルージョンしたリザルトです。

カレンダーも時計も生きてます。

ストラップもついでにもらっちゃいました。アンエクスペクテッドなフォーチュネートリーイベントにグッドインプレッションです。

なにがいいってスイッチ入れると速攻で立ち上がるのが素晴らしい。Win98を使い倒してた時期は完全起動するのに下手したら10分くらいかかってたりしました。ノートン先生にいろいろお願いしてやっと5分くらいになって安堵したものです。

劇場なんかで“上演時はスマホや携帯の電源を切れ”って言われても切らないヤツが多いのは、一旦シャットダウンしたら改めて立ち上げるのに時間がかかる=その間の数秒〜数分間はLINEやらSNSのリアクションやらが確認できない、ってのもあると思うのです結構マジで。

そこそこいいトシした方でも、飲み会の席でもずっとスマホいじってるような方がおられます。“一体全体なにをそんなにしょっちゅう確認してるの?”と聞いたことがあるのですが、もしSNSの方にレスがついてたりorLINEが届いてたりしたとき、すぐ返信しないと失礼になるから、と言われました。飲み会でひとりスマホをいじり続けてるのも大概だよなぁ、と思いましたが、そこまでは言わなかった。

思い出しましたが15年くらい前には、すでに「5分ルール」とかいって、メールの返信は5分以内に行わないのは失礼すぎてシャレにならん、と言われたっていうか怒られたことがありました。確かに放っておいたのは悪かった。編集中で、また連絡内容も「元気?」とかクソどうでもいいものだったので、区切りついたら返信しようと思ってたのです。でもその前に電話をもらいまして、なんで返信しないの!!!???と。

要するに、体感としては15年くらい前には確実に「インタラクティブなコミュニケーションの確認の即時性」を追求する流れが具体的に存在していて、それが坂道を転げるようにどんどんエスカレートしつつ現在に至っている、というわけです。15年前にはすでにオレがわざわざ電話で怒られるレベルにまでそれは進んでおりました。

これ、どの辺が歯止めになるんだろうか。近々にアイウェア型通信端末ができる由ですので、この辺りが落とし所になるんかな、という感じがあります。すなわちそれは「インタラクティブなコミュニケーションの確認の即時性」の「即時」が「同時」「リアルタイム」になるということです。常に視野のどこかで諸々を確認し続けられる、という。

なんか空恐ろしい感じですが、きっとそういうふうになるんだろうな。

ところでポケベル買ったものの、ポケベルサービスはとっくに終了してるんですね。

とりあえずカレンダー&時計&キーホルダーとしてプラクティカルユースしていきます。

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回転寿司の件。

回転寿司の客が、やれ備え付けのコップをペロペロ舐めたり流れてくるお寿司にツバつけたり勝手にワサビ載せたりして炎上してます。まぁそりゃするよな。するに決まってます。

回転寿司のお店がお客さんからああいうことされちゃうというのは、弊社でいうと本番撮影中にカメラや三脚やマイクにいたずらされるようなものですか。

だとしたらそりゃ怒るよな。シャレになりません。いかな相手が未成年とはいえ。大事な商売をあんなノリで妨げられたらたまらんなぁ、と。

1990年代後半から2012年頃に生まれた世代を俗に「Z世代」と呼ぶそうで、この回転寿司店でもってアレなことしちゃったりしてるのが正にその世代な由。でもZ世代の方がみんなしてアレなことしちゃってるわけじゃないので、このアレを世代論で語ったりするのはフェアじゃないですよね。

ああいうアレなことをするアレな人ってのは昔からいました。どの世代においてもアレな人ってのは常に一定の割合で存在します。なので今日的なニュースのネタとしては「可視化されてきています」という切り口がより正しい。

って考えたら昔からいたどころか、オレの世代だと学校の廊下をバイクで走ったり、東陽公園で他校と「抗争」したり、技術科の先生を彫刻刀で刺したりしてたじゃないですか。ってこれはオレの出身中学の話ですが、この刺傷事件に関してはアラサーになった頃に加害者の友人って方とお会いした際、あのヤローが通報なんかしやがったせいで1人の中学生の人生がワヤクチャになった、とか普通におっしゃってて、さすがのオレもちょっと引いたものです。醤油差しを鼻に突っ込んだりしてる方がずっとマシかもですよ。

なにしろ、あんましひとのことを言えた義理じゃない世代と申せましょう。だからって大目にみてやれってことじゃないですが、世代論で語ってナットクした気になってちゃいけませんね。

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