またまた痛ましい事件が起きてしまいました。下記は2010年7月30日22時23分発の読売新聞記事からです。
大阪2児遺体、23歳母「世話嫌になり家を出た」
大阪市西区南堀江1のマンションに男女2人の幼児の遺体が放置されていた事件で、大阪府警捜査1課と西署は30日、母親の風俗店従業員下村早苗容疑者(23)を死体遺棄容疑で逮捕した。
下村容疑者は容疑を認め、「子供の世話が嫌になり、いなければよかったと思い、2人を残して家を出た」と供述している。府警は下村容疑者がネグレクト(育児放棄)の末に2人を死なせたとみて、殺人や保護責任者遺棄致死容疑での立件を検討する。
発表によると、下村容疑者は6月下旬、自宅マンションに長女の桜子ちゃん(3)と長男の楓(かえで)ちゃん(1)を置き去りにし家を出て、数日後に帰宅した際、2人が死んでいるのを確認したが、そのまま遺体を放置し、遺棄した疑い。
司法解剖の結果、2人は死後約1~2か月で、死亡直前数日間は何も食べていなかったとみられる。死因は特定できなかったが、いずれも栄養不足状態だった。
下村容疑者は「ご飯をあげたり、風呂に入れたりするのが嫌になった。ご飯も水も与えず、子供たちだけで生きてはいけないことはわかっていた。『助けてやらなければ』という気にはならなかった。(置き去りにしてから)1週間後には死んでいるかもしれないと思った」と話しているという。
下村容疑者は勤務先の同僚男性に携帯電話で呼び出され、30日午後、待ち合わせ場所に現れたところを捜査員に任意同行された。
・・・あえてこのソープだかヘルスだかの女を非難することは控えてみます。そういうことはオレ以外の多くの皆さんが既に書いてます。恐らくおんなじようなことを書き連ねるだけで、それは詮無い事です。
そもそもオレは独り者で、しかもどっちかというとブラブラしてる感じで生きてますので、だいたいこの女を非難する資格があるのかどうかからして疑わしいです。おまえさんにアレコレ言う資格は御座いませんよ、と言われたら、言い返す術が無い。少なくともそういう自戒が我が心中にあります。
間違ってもこの毎日新聞の記者氏のように、テメーらの「不祥事」は棚に上げて
> 大阪市こども相談センターには、マンション住民から虐待を疑う通報が
> 3月30日~5月18日に計3回あった。計5回の訪問をしたが、呼び鈴を押しても
> 反応がなく、不在票を置いて引き揚げた。子どもの安否確認や警察への連絡も
> しなかった。
などという、奥歯に物の挟まったようなインケンな言い回しでもって社会制度・構造批判するような、卑怯で下品で鉄面皮なヤカラにまでは堕ちるまい、と思って止みません。
(連絡「も」 しなかった、だってさ。ナニサマのつもりで書いてんでしょうかね、余談ですが)
さて、この女、
> 「ご飯をあげたり風呂に入れるのが嫌になった。子どもなんかいなければと思うようになった」
と言ってるらしいですが・・・さて、例えば子どもが成人するまでの間に、一瞬たりともこういう想念が頭をよぎったことのない人がどれだけいるでしょうか。
誰だってね、一回くらいはこう考えてしまうものですよ。母は強しというけれど、そこまで強靭な信念の持ち主はそういないはずです。逆に言えば、それくらい「育児」というものは辛いものでもあるのでしょう。
しかし、だからといって、殆どの「お母さん」~ほぼ全てと言って差し支えないと思うのですが~は、決してホントに子どもをほっぽらかして逃げてしまったりせずにいます。
少なくとも、我が子を文字通り見殺しにしてしまうに至る人は、これはもう稀有中の稀有な例。
そんなわけで、オレとしては、この件においていわゆる社会構造を云々するのは避けたい・避けるべきかと思ってたりします。
“確かに社会も悪い。しかし、一番悪いのは社会のせいにするヤツだ!”とクロサワも言ってます。
じゃあ、なんでこのミナミのソープだかヘルスだかの女は、「見殺し」にしてしまったのでしょうか。
基礎的な教育の問題?即ち、辛いことがあっても逃げてちゃいけませんよ、という基礎的な事柄が備えられていなかった、とか。
もしくは、先天的な問題?生まれつき「堪え性」に欠ける人間であった、とか。
外的要因?この女をそこにまで至らせてしまう要因が身辺にあった、とか。
・・・恐らく、その全部、なんでしょうね。全ての事象が綯交ぜになって折り重なって、半ば偶然のようにそのフォーカスが「最悪の結果」というポイントに合ってしまった、というかね。
ところで・・・「社会構造を云々するのは避けたい・避けるべき」とさっき書いたばかりでいきなり前言撤回するようですが・・・下記は読売新聞より。
> 同市の児童相談所には虐待を疑う通報が3回寄せられたが、3月30日の最初の通報は
> 「夜中にインターホンを使って『ママー、ママー』と長時間叫んでいる」というものだった。
> 2人がインターホンを通じて室外に助けを求めていたとみられ、通報内容は明らかに
> 「夜泣き」とは違っていたという。
> 最後の通報は5月18日午前5時半。「今も泣き声がしている」。しかし、職員が訪ねたのは
> 10時間以上が経過した午後3時50分頃。施錠されたドアの向こうからは泣き声や物音は
> せず、ついに接触はかなわなかった。
で、こちらは時事通信。
> 同市のこども相談センターには、虐待を疑う通報が3月以降3度寄せられ、職員が
> 5月18日までに5度訪問したが応答がなく、室内に入れなかったという。
朝日は・・・ ”http://www.asahi.com/national/update/0730/OSK201007300080.html”:http://www.asahi.com/national/update/0730/OSK201007300080.html
・・・とまぁこんだけの要素が揃ってる(ように素人目には見える)のに、児童相談所だかこども相談センターにはこういう家の施錠解除する術さえ無い・与えられてないんですかね。
今回の件、それが出来さえすれば防げたような気がします。してなりません。
「児童相談所」というのは、地区によらず非常に苛烈な職場なんだそうで、なかなか希望者もおらず、異動させられた者にとってはババ抜きで思いっきりババ引いたみたいなものだったりする、と聞きました。
どこまでホントかわかりませんが、地方公務員を志望するようなタイプの人の多くにとって、寄せられる案件の殆どが生々しいものばかりであろうこういう職場は、確かに非常に辛いものではあるでしょう。
なので一概に担当者らを責めるのもナンだな、とは思うのですが・・・そもそもこういう子どもを救うためにこの手の組織が存在するわけですからね。やはりここはどうにかして頂きたいと思いますね。でなきゃ、なんのためにある組織なんだかわかりません。
例えば苛烈すぎて人手が足りないってんなら、しかるべき所に進言するなり、どっかでアジテートするなりして頂きたい、と。
それを黙ってるだけじゃ・・・犠牲になるのはなんの罪も無い子ども達ばかり、です。どうにかせにゃイカンですよ。
少なくとも・・・あくまでも「少なくとも」、例えばこういう明らかに問題のある家の施錠解除くらい、もう少し簡便に出来るような体制がなくちゃ、こりゃどうにもなんないんじゃないか、と思う次第です。