またまた24時間TVの件。とくにマラソン。

想像通り今年も、やれ偽善だとか企画がつまらんとか出演者のギャラがどうだとかアレコレ言われてるようですが、なにしろ「やらない善よりやる偽善」です。
そもそもナンだカンだ言われつつ平均で約16%、最高で35%の視聴率という数字を叩き出してる以上、コンセンサスはこの「やる偽善」の側にあります。そ
れは否めない事実です。

今回も取り急ぎ2億円だかの浄財が集まった由。それだけの集金がこの「24時間テレビ」以外に出来るか、って話ですね。

ただねぇ、この番組中の「マラソン」の企画、これはセコい。意義云々以前に、企画としてあまりに陳腐ですよやっぱし。

24時間テレビのいわば「象徴」として、その時間中ぶっ続けで行われる企画、果たしてそれが「マラソン」でいいのか?と思ってしまう次第です。

24時間(実際はそれ以上)に渡る番組そのものには「チャリティ」という統一テーマが設定され、全てのコンテンツがそれに則って制作されてるにも関わらず、事実上主軸企画となっているこの「マラソン」にだけそれがないんですよね。

マラソンという行為そのものには「チャリティ」の意味がどこにも存在しないわけでね。

っていうか、そもそもこのマラソンには、「チャリティ」云々の話以前に、そもそもなんの必然性も無いですよね。なんかいつのまにか風物詩的に定着
してしまってますが、考えたら「いきなりマラソン」なんです。そういやなんでマラソンなの?、と問われたら、どう考えても後付けの理由しか出てこないで
しょう。

24時間ブッ続けでなにかを行って、その結果(チャリティ的な)○○が生まれる・できあがる、みたいな次第ならいいんですけどね。その方が目論見としての「ゴール=完結時の感動」が生きる・・・より感情移入できるものになると思う。

なにしろ・・・”目論見としての「ゴール=完結時の感動」”と書きましたが、そのための方策として考え出された企画が「マラソン」ってのは、あまりにも安直なんじゃないかと思う。ベタベタというかね。

もうひとつ。

法的な義務はどうなのか知らないけども、日本テレビは、これはやはり収支を明らかにしなきゃいけません。大メディアとしてそれは必須だろうと思います。

募金で領収書を要求するヤツはおらんので、その辺は日本テレビ側のいわば良心に委ねられるわけですが、ここのところはどうなってんだろうか。ある程度はサイトなんかで公表されてるみたいですが、なにしろ2億オーバーですからね。カッチリやって頂きたい。

最後に繰り返しますが、「やらない善よりやる偽善」。

チャリティの名の下に24時間で2億集めるってのは、これはやっぱしスゴいことですよ。政治家だって一晩で2億集めるのは至難でしょう。

またそういう意味で、TVメディアってのはダメだダメだと言われながら、まだまだ死んではいませんなぁ、と思います。その是非はともかく。

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