ある国がある国を植民地にしようとする時、しばしば「愚民化」という方策が採られるそうです。
要するに、ターゲット国の国民をアホ化してしまえば、進出・侵略もラクである、という発想ですね。
アヘン戦争と呼ばれる一連などはその究極的なものですね考えてみれば。
その際、その国の国民はヒサンですね。
知らず知らず、おそらくは長い長い時間をかけて少しづつアホになっていき、気がついたら我が祖国は植民地、自身は奴隷になってた、ってなわけですからね。
先日かなり久方ぶりに、某幼稚園の「こどもかい」を収録しに行きまして、その帰路、このことを痛切に思いました。
当サイト管理人はかつて某CATVで地域コミュニティ番組制作の仕事をしてた時期がありまして、幼稚園から小中学校の行事etcを、大げさでなく年がら年中撮影し、編集し、放送してたもんです。
退社~独立起業してからはかなりその機会も減りましたが、先般、知り合いの制作会社様より発注頂きまして、いわゆる下請けとして(ってそれはどーでもいいですが)久方ぶりに都内某幼稚園に赴いた、って次第です。
園長センセイによる「はじめのことば」を皮切りに、合唱、合奏、劇、とプログラムは進んで行ったわけですが、かなり違和感を覚えたのは、劇。
なんだか知らないけど、主役がたくさんいるんですよ。
年少組さんによる「桃太郎」では、桃太郎が5人。
5回公演なわけじゃないですよ、一度に5人登場するんです。
桃太郎が5人並んで、おじいさんおばあさんからキビダンゴを手渡されたりするんです(そういえばおじいさんおばあさんは一人筒づつでした)。
その他、王様が3人出たり、マッチ売りの少女が6人いたりするんです。
なんでこういう事態(?)なってるのか?・・・収録終了後、ある程度答えは予想できましたが、センセイに聞いてみました。
センセイいわく“原作通りに、誰か一人を主役にしてしまう=その子を特化する形になってしまい、イジメの遠因となりうるから”とのことでした。
・・・私的には予想通りの答えで面白くもなんともなかったのですが、あえて続けて聞いてみました。
“では、そういう事態にならないような題材を選べばいいのでは・・・?”
これに対する答えは、さすがに予想できまでんでした。
“いや、ウチでは、(規則で)毎年年少さんは桃太郎と決まってるんですよ”
・・・「教育機関のセンセイ」という肩書きの方の発言には、驚かされることがしばしば、です。
その事自体はかつて何度も何度も何度もあった同種の経験によって承知しており、また同時にイチイチびっくりしたり、怒ったりしてもキリが無いってこともよくわかってますので、特に大して感情も動きませんでした。
しかし、毎年年少さん、年中さん、年長さんの出し物・演目が決まってるってのはスゴいな、と。
年長さんは一年目は自分たちが「桃太郎」やって、2年目・3年目とも下級生の「桃太郎」を観るわけです。
そして、いずれの「桃太郎」にも、5人前後の桃太郎が一度に登場するわけです。
桃太郎役の子がイジメられたりしないように、という配慮の中で。
我が国は、自らの手で自らを「愚民化」するという、世にも珍しい国になってしまったようです。
植民地にしてくれる国大募集!って感じです。
このことは、もしかしたら「ワタシのパンツ買ってくれる人大募集!(目の前で脱ぎますよ)」などとWeb上に書き込む事と同系列にあるのかもしれないですね。
○万円払うから目の前で脱いでくれ!って言われないでも、自分から売っちゃうぞ、という。
あ、・・・もしかしたら、どっかの大国が、ニホンに対して「愚民化」しかけてたりするのかも、ですね。
「誰にも気づかれないようなやり方」で。