安藤和明

「アラビアのロレンス」におけるピーター・オトゥールのキモさについてなど。

新年度の「午前十時の映画祭」、ラインナップに「アラビアのロレンス」がありました。10時きっかりからから上映されるとして終演は昼過ぎになるわけなので、鑑賞希望の方は朝メシをガッチリ食ってくるのが良いかと思います。3時間20分というクソ長い上映時間に加え、そもそも内容からしてかなりカロリーを消費させられるものです。メシ抜きで楽しめる類の作品ではありません。

最大の見どころは……そりゃまぁいっぱいあるっちゃあるのですが、特に着目すべきはピーター・オトゥールのキモさ。

いや正確にはピーター・オトゥール演ずるロレンスのキモさですね。思い出しましたが中学の同級生に、フォレスト・ガンプに非常によく似てるけどトム・ハンクスには全然似てないってヤツがいました。どこがどうってわけじゃないけど何故か似てる・似てないという。この「どこがどうってわけじゃない」って部分がスタニフラススキー・システムの偉いとこですね。「アラビアのロレンス」以外でのピーター・オトゥールは別にキモくないですもんね。でも当作でことさら造形的に他作からキモく変化したところはないと思うのですが。

なにしろ当作のピーター・オトゥールはキモいです。ひらたく言えば変質者でありちょっとハタ迷惑な「奇人」です。なんによらずこの手の事柄に関するアケスケな表現は恐らく御法度であったろう当時の業界において、これはかなり思い切った「変態野郎」の表現だったんじゃないか、と思う。

考えたらこの当時の映画作品、業界の許す範囲で精一杯「キモい人物」表現をしてるんだろうな、ってのがちょいちょい思い当たります。

例えば「ベン・ハー」

初見時、ジュダとメッサーラの関係性になんとも言えない違和感というか引っかかりを感じたのですが、両者の関係性にはホモセクシャルの要素も有ったり無かったり、なんですってね。そういう事柄がある種のスパイスになってる由。

言われてみれば、恋に破れたメッサーラが嫉妬によってサディスティックな面を発露している、という感じがちょっとあるかもしれません。

もひとつ思い出すのは、ホークスの「赤い河」。

若い男二人が馬上でもって

「おい……オレの銃、見たいか?」

「(モジモジしつつ)……じゃあ見せてくれよ」

「オマエのも見せろよ……」

「オレのはお前ほどリッパじゃないよ……」

なんてな会話があるのですが、これも「そういうこと」だったりしてなぁ、なんて思ってたらホントにそういう説もあるんだそうで。

今は声高にLGBTQQIAAPPO2Sの権利が叫ばれてるくらいなので、この手の表現を遠慮する必要が無くなったわけでしょうけども、それが故に「アラビアのロレンス」のようななんとも言えないキモさを内包した作品は生まれ得なくなったわけです。

それが良いんだか悪いんだかはオレは知らん。

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わけわからん動画がfacebookのTLを埋め尽くしつつある件。

先日我がfacebookタイムラインが猿、サルの動画で埋め尽くされてると書きましたが、それに加えて一昨日くらいから別種の動画が割り込んできています。

どんなやつかというと、角栓。「かくせん」ですね。毛穴になんか薄黄色いのが詰まるやつ。あれを取ってるさまの動画です。

鼻の両翼?にまたがって、なんかシールみたいなのを濡らして貼って、乾いてから剥がすと生まれたての毛ジラミみたいなブツブツが毛穴から抜ける、っていうやつがあるじゃないですか。使用後写真を見たことがある方も多いと思いますが、あれのシャレにならんくらいデカい、ってことは素人判断ではありますが明らかにあれより重篤なやつバージョンの動画です。

具体的には超巨大な角栓(場合によっては角栓「群」)をひとつひとつマメにピンセットやらでスポッと抜くさまをひたすら撮ってる動画です。

まず、どの部位なのかわかりませんが、なにしろポツポツと黒い大小の斑点のある皮膚がドアップで映し出されます。

もうこの時点でグロい。あまりにもグロいのですが、やがてそこになんかプラスチックっぽいヘラみたいなのと、ピンセットらしきものがやおらフレームインします。

そして、その黒い斑点の表面をちょっとゴソゴソしたかと思うと、ヘラでもってその周囲がちょっとグイッと押されます。

すると、前述のような孵化したての毛ジラミ、もしくは長野あたりに行くと珍味とかいうことでしばしば出されたりするハチノコの調理前みたいなのがニュルニュルニュルッと顔を出し、出切ったところをピンセットで除去。

これが大抵の場合数十回繰り返されます。

で、最終的には、全部取り切った!ってなことで、取り出されたそのハチノコ群がまとめて映し出されます。

また別バージョンでは、明らかにヤバいサイズのおデキ。

まずメスで表面をちょっと切ります。

すると、とんでもない勢いで……そうですねぇ、ありゃ要するに「膿」、ウミなんでしょうねぇ。それが勢いよく吹き出ます。

勢いがよいから当然カメラのレンズにも付着します。

あのカメラはその後どうするのかな。オレだったら二度と使う気にはなりませんが、作業は臆することなく続きます。

あと昨日いくつか見かけたのは、耳の穴の中にこの「黒い斑点」があるやつね。

どうしたら耳にあんなのができちゃうのか摩訶不思議ですが、格闘の末、これはケジラミやハチノコどころじゃない、ウルトラQのバルンガみたいなのが血と体液にまみれた状態で引き抜かれます。サイズ的には完全に耳の穴がふさがるレベル。

枚挙に暇がありませんが、こういう動画がTLを埋めつつあるのです。

で、オレはそれらを固唾を飲んで見つめるわけです。うわこれはスゴい!とか感嘆しつつ。

facebook上で公開されている動画なのでここでシェアしたって良いわけですが、見ようによってはっていうか普通に単なるグロ動画で、こういうのに抵抗を感じる方も多かろうと思うのでここでは差し控えます。

大抵の場合“HAVE A GOOD DAY🥰”とかっていうなかなか諧謔に富んだコメントが添えてあるので、興味のある方は探してみてはいかがでしょうか。

っていうかなんでこんなのが、ある日突然、しかも「あなたへのおすすめ」とかいうことでオレのTLを埋めるにまで至るのか。どういう仕組みになってるのでしょうか。

最近は寝る前にこれを観るのが習慣となってきています。一種のASMRですね。

でもホントにグロいのでオススメはしません。

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今日は高峰秀子さんのお誕生日です。

今日3月27日は高峰秀子さんの誕生日なんだそうです。確か東日本大震災を知らずに亡くなってて、享年が80ナンボだったはず、というようなことでちょっと調べたら、ご存命なら今日で99歳、つまり来年は生誕100年ってことになるんですね。

どの出演作もやたらめったら名作揃いな高峰秀子ですが、オレ的には「綴方教室」が印象的です。子役時代ですね。そりゃもう名演でした。

四つ木の川っぺりのあたりが舞台のおはなしですが、この界隈の街並み及び主人公の少女の家のボロさに驚愕します。誇張でもなんでもなくあのあたりは、っていうか当時の東京下町はどこもあんな感じだったそうですが。

当作のベースとなった「綴方」を書いた少女は、原作本の印税をまるっきりもらえなかったりなど紆余曲折、様々な経験を経て、最終的には共産党員になられた由。

関係ないですが共産党っていえば、落語の「寝床」で、雇用主である旦那さんのヘタクソな義太夫を毎度ムリヤリ聴かされるのに辟易した番頭さんが、あげく

“とうとう共産党に入っちゃいました”

っていう下げのやつがありますね。

志ん朝だったと思いますが、今それで演ったらちょっと炎上しちゃうかもしれませんね。

っていうか当時は大丈夫だったんですかね。

共産党についてはちょっと置いといて、とにかく来年は高峰秀子生誕100年です。

高峰秀子はあまり知られていない作品の中にやはりやたらめったら佳作が埋もれています。

「愛の世界 山猫とみの話」とか「花つみ日記」とか「虹立つ丘」などはもっと評価されて良い。これらは日本国民必見だと思います。

あと「秀子の應援團長 」って作品があるのですが、クレジットを見るとスタルヒンだとかタイガースの景浦将だとかが出てるんですよ。出てるどころか普通にプレイしてる由。もはやプロ野球アーカイブとしても超絶貴重です。

高峰秀子はナントカってプロ野球チームの応援団長。わけわからん設定ですが、これまた名作らしいんだよな。

またまた関係ないですが「エノケンのホームラン王」って作品では、巨人の川上哲治が「若手スター」として出てます。もちろんプレイシーン、また結構な割合で芝居シーンもあります。これまた貴重。でも芝居はヘタ。

とにかく、生誕100年記念ってことで、どっかでまとめて特集上映されませんかね。

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facebookのタイムラインがサルの動画ばかりになってる件など。

相変わらず我がfacebookのTLにはサルばかりが並んでいます。カニクイザルとブタオザルとオランウータンがざっくり6:3:1くらいの割合です。以前も書きましたがタイとかカンボジアにはこのうちの前者2種がやたらめったらいるようで、でも敬虔な仏教国であるかの国では駆除(=殺生)という選択肢は取らないので、もう増えまくりな由。各集落のマーケットではそこそこ洒落にならないレベルの猿害が発生してるんだそうで。

とにかくTLにはサルの動画ばかりです。大抵ペットとして飼われてるもので、オムツ替えだとか風呂だとかの動画がもっぱらですが、そういう中にはガチ虐待してる動画も少なくありません。ボッコボコにブン殴り続けられ、前歯を折って口から血を流してる様子だとか、水にたびたび沈められてたりとか、その種類はさまざまです。さすがのオレサマもちょっと引きます。

サルっていうのは、群れにおける他者との関係性において「並列」っていう概念が希薄なのだそうで、要は屈服するかされるかというところにしか落とし所が無い由。

その原理はつまるところ暴力で、野生の猿でも特定の1匹に対してやたら噛み付いたりなんかしてるのをよく見ますが、傍で見ると無意味に見えるあの暴力も、その実、生存のためのピラミッド構築のために極めて有意義な行為だってわけです。

たちかえってペットの場合、こりゃどうしても人間さまがサル側より上位に立たなきゃなりませんので、その為に必要なのであれば必要な分だけの暴力もやむなし、なわけです。

その善悪はさておき、猿回しの猿はその飼い主によって「根切り」といって必ず一回半殺しの目に遭わされるんだそうです。そうしないと言うことを聞かないから、とのこと。しばしば半殺しに失敗して「全殺し」になっちゃうことも無くはないらしいですが、そのときはそのとき、という感じなんでしょうきっと。いや知らんけど。

猿回しのレベルまで行かんでも、ある程度の躾としての暴力は仕方ないとして、それと単なる虐待との境目、これは難しいですね。もしかしたら躾としての暴力を一切しないって方が「虐待」になる可能性だってあるでしょうし。

そんなわけで、今回も「これは難しいですねぇ」とかいうところでなんの結論も導き出すことなく終わります。

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「クリント・イーストウッド」について。

クリント・イーストウッドがなんかまた新作の準備に入ったとかなんとか。たぶん今年93歳になるはずですが、いやぁなんともお元気な。リーフェンシュタールは確か100歳で作ったのが最後の作品だったと思いますが、目指せリーフェンシュタール!ですね。いやホントに。っていうかリアルに。

もちろん天賦の才の所持者であるってことはそうなんでしょうが、イーストウッドにつきましてはそれに加えて非常な勉強家なんだろうな、と思えます。どの作品からも、過去の名作と呼ばれる諸作品のエッセンスをそこかしこに感じられます。

「グラン・トリノ」にも、「黄色いリボン」や「エルダー兄弟」といったフォードの諸作品だったり、「東京物語」だったりの感じが見うけられるように思います。単に主題が同じ・似てるというところに留まらず、切り取り方までに相似がある気がします。

事ほど左様に、「ペイルライダー」や「ブロンコ・ビリー」にはやはりフォード、ホークス作品や「リオ・ブラボー」っぽい感じ、また「用心棒」「椿三十郎」に似たカットがあったりしましたし、「許されざる者」は結構あからさまにやはり「用心棒」「椿三十郎」の感じがありました。

そこまで映画を観まくったりしてるわけでもないオレでもこの辺に気付くくらいなので、観る人が見ればもっといっぱい見つけられるんだろうと思いますが、なにしろ彼は大変な勉強家であり、つまりは努力家なんだろうと思います。

いろいろ観て、学んでおられるはず。それはきっと今でも継続中なんだろうと思います。

イーストウッドにしてそうなんですから、凡才の極みであるオレなんかはもっとガンバらなければいけないわけですが、彼の「天賦の才」は、クリエイティブ能力そのものに留まらず、努力を惜しまない才能と、見聞きした事どもを効果的に吸収する力、というところにもあるんでしょうきっと。

しかし、ついこないだ(でもないけど)まで“Go Ahead, Make My DAY”なんてなセリフがバッチリ決まっちゃうようなキャラだったイーストウッドが、「許されざる者」や「グラン・トリノ」では、要するにあとは退くタイミング待ちな老人、という役回りです。

「グラン・トリノ」なんかは要するに最後の死に場所探ししてるわけですから。

また身も蓋もない言い方をしてしまうと、「許されざる者」は自分が世に(世界に)出る足掛かりとなった「荒野の用心棒」や「夕陽のガンマン」の否定、「グラン・トリノ」は「ダーティガリー」的な事柄の全否定ですもんね。

ある程度の年齢になるとそういう域に到達できちゃうもんなんでしょうか。すなわち、もうなにも失うものはない、どっちかっていうと全部捨てたい、みたいな境地。こうなるともはや「禅」の範疇です。

まぁなにしろ息が長い。言うのは簡単ですが、スゴいことです。いろいろ。

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「守秘義務」その他。

「守秘義務」ってあるじゃないですか。これの基準ラインのバラバラさにはもうビックリです。弊社のような業種の場合、まずなにか動画やサイトやらを作りたい・作らなきゃならないっていうお客様がおられて、その制作を代行してるって立場なわけですよ。要するに、ああ、自分で作れない?ほいじゃナンボか貰えるなら代わりに作ってあげますよ、って業態なわけです我々は。極めてザックリ言っちゃうと、ですが。

だから、そのお客様や代理店様の許可もなく“これが弊社制作物ですよ”って不特定多数に提示してしまうのは、オレは「違う」と思うのです。

「守秘義務」という概念の根っこにあるのは、この「違う」なんだと思う次第です。そこは「守秘」すべきポイントの大きなところじゃないですか。

しかしながら、平気で自社サイトなどで提示してる会社様が多い。これはもう「やたら」多いです。

皆さんクライアントや代理店様に許可もらってんのかね。とりあえずあまり上品じゃないですよねそういうのは。いや許可貰ってやってんならなんの問題も無いわけですけども。

ところで政治家の方の世界ですと、例えばA議員が長年携わって進めてきた案件があったとして、それがいよいよ実現!ってタイミングになった際、いきなりそれまで敵対していたB議員やC議員が“我々の努力が実りまして”とかなんとか言い出すケースがままある由です。こないだ来たる区議・区長選を見据えての区政報告会という名の総決起大会に行った時、思いっきりそれを「体験」したところです。

臆面もなくそういうことを言い放っちゃう候補者も候補者ですが、都度“そうだ!”とか“よくやった!”とか合いの手を入れる支持者?支援者の方々、あれは知ってて言ってんのか、もしくは知らないんだろうか、と。

でもそんなことを知らないような人が政治家の「支援者」になったりするもんかなぁ、と考えると、やっぱ知ってて言ってんだよな。

鉄面皮もしくは「鈍感力」ってことでは、我々のなにも違うところはありませんですね。

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深川八幡祭り。

今年は「深川八幡祭り」が行われるとのこと。本祭りということで神輿56基勢揃いの連合渡御が執り行われます。

なんかずいぶん久々な気がしますが、実際久々の開催なんですよね思うに。

特に都市部における地域自治(組織)の有名無実化が盛んに言われる昨今、歴然たる「都市部」である江東区深川地区において、町内会ごとに神輿、それも結構なデカさの、さらになにしろ「水掛け神輿」ですから水を掛けても大丈夫なものを所持・管理されているというのは、これは結構稀なことなんじゃないかと思います。

コロナ禍だとかそういう事どもに頓着することなく盛大に行われるようで、なによりです。

約10年間ほど、このお祭りに文字通り「付きっきり」だった時期があります。あの頃はなにかって言えば神輿関係の取材ばかりしていた気がします。

本祭りは3年に一度ですが、その間の2年間は何にもないのかというと決してそんなことはなく、子ども神輿の連合渡御あり、お宮の神輿(二ノ宮)の渡御有り、やれ○○町で神輿を新調した・修繕した、△△町で神輿練習会がある、○日には幹部総代の会議がある、と、なにしろ一年中、っていうか年がら年中「お祭り」と関わりっぱなしの10年間でありました。

100万人からの人出が予想されるこのお祭りですが、刮目すべきポイントは、これが「単なる大イベント」というところに帰結してしまっていないところです。

いつだったかこの連合渡御の「10時間生放送」なる番組を作ったことがあります。その際に総代さんに耳にタコができるほど言われたのが、「単なるイベントとして採りあげるな」ということでした。

即ち、お祭りというものはあくまでも神事(の一環)であって、神輿はその名の通り神様の乗り物である。そのつもりで制作・放送しろ、と。

このことは思いの外ないがしろにされがちな事柄で、余所のお祭りなどには、この総代さんらの危惧してたような「単なるイベント」としてしか見られてないようなものも多い由です。

深川のお祭りはそういう視点で切り取るな、と、クドいようですが口を酸っぱくして言われました。いやホントに言われまくった。

実際「深川八幡祭り」には、神事としての崇高さがあります。これは参加したらわかります。

実際サケ飲んで神輿担いでる人もいなけりゃ、カラフルな肌の方々が神輿の上に乗ったり、ケンカしたり、なんていうことも「絶対に」ありません。

神輿の上に乗ってはっちゃけたり、ケンカなど大暴れしたいから祭りに参加する、というようなヤカラが多い中、このあたりが徹底できているというのはスゴいことだと思う。

深川八幡祭りは、そりゃもうトンでもなく賑やかな、盛大なお祭りです。

恐らくは猛暑の中での挙行となると思われますが、「水掛け祭り」という名のとおりこの神輿渡御はその道中で神輿に水を掛けまくります。なぜ掛けるのかには諸説ある由ですが、とにかくザブザブ、ドカドカ掛けます。

なので、8月半ばの開催ですからまぁ暑いことは暑いのですが、とりあえず合法的に往来で水浴びできるわけなので、暑気も自ずから払われます。

4トントラックに水を満載してバケツで掛けまくるは、消防団が放水車で散水するは、そりゃもう大騒ぎです。

おかげでオレは今でもカメラの防水化には大いなる自信を持っております。

本祭りの年は、前年の年末くらいから幹部総代の皆さんがピリピリしてて、オッカなくて弱ったものです。

以前初詣で取材の際に、神輿総代の方の娘さん息子さんにお会いしまして、その際に言われたことがあります。

“今年はあんましウチに寄りつかない方がいいよ”

と。

別にオレがなんかやらかして嫌われたとかいう話ではなく、要するに本祭りを控えてみんなピリピリしてるから、ヘタに会うと怒られるよ、ということです。

昨今はさすがにそこまでじゃない、と、こないだ和服を受け取りにいったときに呉服屋のオバちゃんがおっしゃってましたが、なにしろさぞかし皆さんお忙しいことでしょう。

無事な成功をお祈りしております。

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コオロギその他、虫、ムシについて。

ついて。コオロギでもなんでも美味けりゃ食うわけですが、昔々に聞いたところコオロギはプリン体が結構多めなので痛風を気にする方には危険、とか。

あとまだエサの規制関係が無いので人間には不適なモノを食ってるやもしれず、ドンドン育ててガンガン食いましょう、となるまでにはまだ色々越えなきゃならないハードルがある、ってことでした。

昔々っていっても数年前くらいの話なのですが、その辺はクリアになったんですかね。なったからこれだけ色んなところで売られてるわけですよね。我が国の食品に関する規制は他国から顰蹙買うほど厳しいそうなので、それらを越えて出てきたモノですからまぁどうってことは無いんでしょうけども。

虫っていえば、某「とんかつ+お代わり自由なキャベツ&ライス&シジミの味噌汁」な店で夜メシを食った際、キャベツの中になんか虫が動いてたので、店員さんを呼んだら新しいのに替えてくれまして、これで一件落着かと思いつつ食い終わって勘定しに行ったら、なんとなんと!オレの食った分はお詫びとしてサービス=タダでOK、となった、ってことがありました。

たかだか虫がいたくらいでタダにしてもらったんじゃ申し訳ないので、レジのアンちゃんに、そんなこと気にせんでいいからカネを受け取れ、と言ったのですが、アンちゃん、ニヤッとニヒルな笑顔をひとカマシして、いやぁ、こちらの責任ですから(微笑)、と。

かくして当夜の夜メシは期せずしてタダメシになったのでした。

畑で穫れたものに虫がいるのは当たり前ですよね。まるっきりいない方が怖いよな。どういう土壌だよ、というね。

でもまぁ気持ちはわかります。キャベツやレタスの中に虫がいたら、やっぱし取っ払ってから食います。

前述の某「とんかつ+お代わり自由なキャベツ&ライス&シジミの味噌汁」な店での話からもわかるように、虫、ムシを躊躇なく食えるようになるにはまだ時間がかかりそうな気もします。

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本田猪四郎とか小津とか北杜夫とか。

「娯楽作品のいいものが芸術作品であり、いかな芸術作品であろうとも、面白くなきゃ映画は駄目だ」。

なんていい言葉なのでしょう。まず娯楽作品であるべし、芸術作品とは娯楽作品の下部フロー、あくまで数多ある属性のひとつに過ぎない、ってことですね。ちなみに本田猪四郎の言葉です。「第七芸術」且つ「総合芸術」たる映画においてそうなんですから、全ての芸術なるものはかくあるべし、ですよ。

またいわく

「どうでもよいことは流行に従い、 重大なことは道徳に従い、 芸術のことは自分に従う」。

これは小津の言葉です。真理ですな。これ小津が結構若いときの言葉なんですよね確か。若くしてなかなかこういうところには至れないものですよ普通。いやさすがです。

でもって、この2発言を統合しますと、要するにひらたく言っちゃうと「オレが面白いと思えたものをおまえらも面白がれ」ってことになりませんか。

この実現には圧倒的な自己肯定の意識が必要な気がしますが、この類のパワーについて太宰は「巨腕」と表現しておりますね。シェイクスピアに対して「天才の巨腕を感じる」と、これはなにで読んだかまるで覚えてないのですが、シェイクスピアって言ってるくらいなので「新ハムレット」だと思います。多分。いや知らんけど。

要するに、良い作品を作るにはまずパワーが必要だってわけですね。

そして、自らのパワーと折り合いをつける程度の理知。

ただ「巨腕」を振り回してるばっかりじゃなく、内なるパトスを御するだけの理知的な部分が無くちゃアカンでしょうからね。この「内なるパトス」ってのは北杜夫のお言葉です。マンボウ先生が「幽霊」をモノするまでくらいの、湧き上がって湧き上がって処置に困る己がパワー、これを持て余してた時期についての表現でした。

関係ないですが北杜夫作品で一番「面白い」のは「大日本帝国スーパーマン」です。大日本帝国スーパーマンが米国のスーパーマンに勝負を挑む、というお話です。

今しがたフト思い立って当作のレビューを探してみましたが「あまりにバカバカしくて面白くなかった」とありました。これだけで必読ということがおわかりになるかと思います。異論は認めます。

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旧友再会と「ビビンバ・カルビ弁当」について。

30年ぶりに旧友と会うことになりました。まさに「旧友再会フォーエバーヤング」です。30年前の自分がどんなだったかもはや覚えてませんが、とりあえず今より30歳ほど若かったんでしょうきっと。

さてどこで落ち合いましょうか、ってことで、先方様から実に10店舗ほどの候補が速攻で挙がってきました。

オレとしては「30年ぶりの再会である」って事こそが厳然たる主題であって、その場所がどこであろうと・なんのお店であろうとどうでもいい、サイゼとかスシローでも全然OKなのですが、どうやらそういうわけにもいかない由。

いいじゃんかどこでも、と思うのですけどね。

で、オレの方もいくつか候補を考えてみたのですが、そこで、オレはこういうときに使える店をほとんど知らないってことに気づきました。安心して(?)案内できる店が4、5店くらいしかないの。

考えてみれば外食する際、オレはずっとずっと同じ店に行って同じメニューばかり食ってるのです。押上の焼肉屋か、千駄ヶ谷のニンニク豚骨ラーメンか、あといくつかくらい。

そういえば新人時代、昼メシに関して当時の上司にメタクソに怒られたことがありました。

オレが来る日も来る日も「ビビンバ・カルビ弁当」ばかり食べてるのが気に入らない、というわけです。

“オマエみたいに毎日毎日同じものばっかり食って平気なやつはクリエイターには向かないから辞めちまえ!”

と、結構ガチなトーンで怒られたです。事務所内に怒声が響いたですよ。なにがそんなに気に入らなかったのか不明ですが、まぁなんか気に障ったんでしょうね。

すいません明日からは別の昼メシを考えます、って、考えたら妙な謝り方をしたのを覚えてますが、そうはいっても「ビビンバ・カルビ弁当」以外に食いたいものは無し、仕方ないので翌日は「ビビンバ・カルビ丼・お持ち帰り」にしたのですが、いやもう死ぬほど怒られました。ナメてんのか!!って。

今考えたらひとが何を食おうと大きなお世話だよなぁ、と。

しかし、クリエイターとしてどうなのかはともかく、やっぱし色んな店を知ってる方がいいですね。いいトシした大人として、この度のような旧友再会といった折に案内できる店を知らないってのは、これはもうまるっきり「恥」です。

でもいまさらどうにもなりません。

ちなみに実名でいうとこの「ビビンバ・カルビ弁当」を毎日オレに提供してくれてた店は墨田区八広にあるニューミートマテリオって肉屋さんで、弊社のメインバンクがこの並びにあるのでちょうと今日店前を通ったのですが、まだありました。現存。

ビビンバ・カルビ弁当があるかどうかは不明です。

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