安藤和明

TV業界。

ホントにTV業界は不景気らしいですねぇ。TV業界関係者にお会いするともう景気悪い話しか出て来ませんよ。数多ある産業の中で最も不景気な業界が発信してるわけですから、発信内容も不景気なものになるのは必定ですよね。

これは一般の方には分かりにくいかもですが、ひな壇芸人さんによる番組なんかでは、もう複数カメラを設置するのも憚れる感じなので、8Kのカメラをひな壇正面に1台置いて全体を撮っとくだけで済ませちゃうんですってね。ひな壇全員を8Kでずっと撮っておいて、編集時に都度喋ってる人だけトリミングして、ということらしいです。確かに放送はフルHDですから、元が8Kであればそこそこトリミング(=拡大)しても解像度は落ちないわけです。

ホントにそんなことやってんのかどうかさすがに眉唾ではありますが、ポスプロの方がおっしゃってたので丸々ウソでもないんだろうと思います。

昔々あらゆるコンテンツは「門付け」だったんですよね。発信者がお宅を一軒一軒回って、その都度おアシをいただく、という。

それじゃ効率が悪い、ってかまとまった儲けにならんので、広場に人を集めて、まとめて大勢に発信して、まとまったおアシをゲットする形になりまして、それが「公会堂」や「劇場」のはじまりですね。

でもって、さらに一度に大勢に発信ってことで、放送というシステムやらパッケージ販売という概念やらが誕生したわけです。一箇所に集まるだけでなく、各地の方にも同じネタを、という。

そういう変遷に伴って、配信するネタも個々向けから「大勢」、大衆ウケするものへ変質していったわけです。多くの場合のそれは国家体制の堅持に大いに貢献し、我が国は先進国の仲間入りできた、という側面もありましょう。

youtubeやなんかでの個的な発信、また音楽の配信ってのは、こりゃ要するに「門付け」の現代版みたいなもんじゃないですか。発信者の単位がミニマムになっていくっていう、これはいわば先祖返りですね。

あんまし良いことじゃないよな。有象無象が勝手に発信してるばかりのカオスな世の中に戻ってどうする、と。

しかしなんでTV業界が不景気かって、ライフスタイルの変化だとかなんとか言われてまして、そりゃまぁそういう部分もあるとは思いますが、本質的には面白く無いから観ないってだけなんですよね。

現にもうTVドラマは社会構造的にダメだとか言われてるさなかに、家政婦がどうしたとか半沢ナントカってドラマは超高視聴率を記録してたじゃないですか。面白けりゃ観るんだよなみんな結局。

そんなオレはここ20年くらいTV番組をほとんど観てなかったのですが、最近「クイズ脳ベルSHOW」だけ時々観てたんですよ。

でもどういうわけか毎日やってたのに週イチ放送になっちゃいました。残念です。

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江東区、豊洲。

江東区、枝川から朝凪橋を渡ってざっくり150mくらい進んだ左側に豊洲4丁目都営団地がありますが、あの一角は全て再開発ってことで取り壊しになって、一角丸々ひとつのデカいビルになるんですってね。このあたり選出の区議さんが嬉々として報告しておられました。ってコロナやなんやらで計画が変更になってる可能性もありますが、タワマンなんかが立ったりしてもはや高級住宅街と化した彼の地において、どのみち昭和感丸出しなこの一角がいつまでもそのまま捨て置かれるとはちょっと思えません。そのうちどうにかなるんでしょう。

きっとどうにかなり、またそれは住民当事者の方々にとって決して悪いことではなかろうと他人事のようにオレは思うわけですが、気になることが2点ほどありましてですね。

ひとつめ。枝川から進んで左側、セブンイレブン日本第1号店の角を左折ししばらく行くと、お地蔵様があるのです。オレが通ってた幼稚園はこの突き当たりにあったのですが、その頃にはすでにありました。この頃の段階でもう出来立てホヤホヤって感じではなかった。

あのお地蔵様はどうなるんかな、と。まさか無くしちゃうなんてこともないよなぁ、とか思いつつちょっと調べたら、諸々建て替え再開発後も残されるそうで、よかったよかった、です。前述の区議さんがやはり嬉々としてご報告されてました。

そうでなくちゃいけません。

ということでひとつめはちょっと調べたらアッサリ解決した次第なのですが、ふたつめ。

この団地群、何号棟だか知りませんが、1Fが駄菓子屋さんになってる棟があります。あの駄菓子屋さんはどうなるんかな、と。

店内で「もんじゃ」を作って食べられる店でした。店内でベビースターと、なんか白濁した液体が金属のボウルに入ってるやつを買って、店内の鉄板にドバッと広げて、傍に置かれた牛乳瓶かなんかに挿さってるスプーンだかなんだかで食う、という。

もんじゃイートインの駄菓子屋が江東区内には何軒かあったように記憶しているのですが、ああいう店って飲食店として許可取ってたんかな、と思います。スプーンとかボウルとか、都度洗ってたような形跡がなかったもんな。

まぁでもあそこのもんじゃ食って食中毒で死んだとかって話も聞かないので問題無いわけですよね。ってもしかしたらオレが知らないだけで、どうにかなっちゃった方もおられたのかもしれませんが。

なにしろ、あの駄菓子屋さんが無くなるのは惜しい感じがあります。少子化のみぎり、駄菓子屋さんも継続していくのはさぞかし大変だろうとは思うものの、さびしいねぇ、と。

って思わず無くなる前提で書きましたが、都営のタワマンかなんかになって、その1Fがイートイン駄菓子屋ってのもなかなかオツなものじゃないですか。デベロッパー各社様には一考をお願いしたい。

なおこの団地群の1Fにはこの駄菓子屋さんだけではなく、他にも布団屋さんだとかいろんなお店が入ってました。

あのお店らはみんな無くなっちゃうんでしょうね現実的には。タワマンの1Fが駄菓子屋&建具屋&靴屋&ラーメン屋、ってのはやはり問題があるんですかね。いいじゃんねぇ。

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演歌歌手の方の件。

カラオケ大会って言えば、これはほぼ100%演歌なわけですが、演歌歌手でひとつ思い出しました。

ある時、ご当地演歌歌手がデビューするってことで取材したことがありました。24歳男性。年男デビューっていう、だからどうした的なキャッチコピーが付いてました。

ご当人&マネジャー的なスナックのマスターにいろいろお話を伺いました。

まずは現在に至るまでのプロフィール。

・小さい頃から音楽が好きだった

・中学生くらいで、自分でも音楽をやろう、と思い立った

・で、高校生の時にナントカ先生に内弟子入り

・でもって24歳で弟子奉公が明けて、晴れてデビューが許された

音楽こそが我が自己表現の術である、とご当人、厚く語っておられました。

そこでオレは、極めて素朴な疑問をぶつけたわけです。

小さい頃から音楽が好きで、中学高校生になって自分でもやってみようと思い立った際に、選択としてはバンド組んだりギターやったり、となる方が多いと思うのだが、なんでまたアナタは「演歌」だったのでしょう。

演歌の世界を自ら選択した、もしくはご自身にとって演歌でなければならなかった理由というのは、なにかあるのでしょうか、と。

これはホントに単純かつ素朴な疑問で放題で、この世代で、たまただどっかののど自慢でスカウトされたとか、近親者に演歌業界人がいたとかでなく、中高生が自分の意思で演歌界に進むってのはちょっと珍しいかもな、と思ったわけです。

どういうわけでこの目の前の青年は、この珍しい道に自ら飛び込んだのかな、と。

そしたらこの青年、ちょっとの間考えて、やがてスナックの天井をやや見上げて言いました。

“たぶんそういう方と私とでは、最初に教わった先生が違った、ってことなんじゃないでしょうか”

と。

これを聞いた瞬間、ああ、住む世界の違いってあるんだな、と思いました。

あんましロックとかフォークで、センセイのとこに内弟子に入って、数年後に、ああそろそろオマエも年季明けだねぇ、とかいってバンド組むのを許されて、なんてのは無いと思うんですよね。

いや誰かを「師匠と仰いで」「目標にして」ってのはあるんだろうと思いますが、まるっきり徒弟制度で、師匠のお墨付きがあって初めて世に出られる、ってんじゃ無いですよね思うに。

でもこの目の前の青年は、そうは思ってないわけです。どんなジャンルでもそういう道筋だと思ってる。そう信じていささかの疑いも無い。だから考えた挙句に出た答えが上記なわけで。

“ボクも最初に出会ったのがロックやフォークの先生で、最初に通ったのがロックの教室だったら、今ごろロックやフォークをやってるかもしれません”

とも言ってました。

彼にそう思わせしめたのはどういう理由によってのことか、とちょっと興味がわいたんで、根掘り葉掘り聞いてみたかったのですが、取り巻きのオッサンらに止められて取材は打ち切りとなりました。

あんまし余計なことを聞いてくれるな、という空気だったのを覚えてます。

ある意味で純粋培養なこの24歳の青年はいかにして作られたのか、ホントに興味があった。

テレビやなんかを観て、同世代の「アーチスト」がロックやらなんやらやってるのを観てどう思うか、とか、中高生時代の友人やご両親はどう思っておられたのか、とか、いろいろ聞きたかったのですが。

デバカメ的な興味ばかりでなく、さほど世代の違わないオレ自身との対照、という関心もありました。この青年のなにがオレと違ってて、なにが一緒なのか。

この青年もそろそろアラフィフだと思うのですが、どうしてるのかな、と。

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プロはスゴい!という件。

先日カラオケ大会の場で歌手にスカウトされた話を書きましたが、ちょっと規模のデカいカラオケ大会などを覗きますと、まぁ上位入賞の方はそりゃもう上手いのです。そりゃもう上手い。上手いとしか言いようがない。そういう方がスカウトされてその気になっちゃうのも無理はない、と思えるものです。

実際こういう場からデビューされてる方も多い由。サギ話も多いとは思うものの、ここからのプロデビューってのも強ち荒唐無稽とばかりは言えないのであります。それゆえに#19で書いたような200万円オジサンみたいなのも横行するわけで、だからタチが悪いってことも言えましょうけども。

なにしろ上位入賞者の方は上手いのです。オレも15年くらい前まではときどき大会の収録を頼まれたりしてましたが、そこそこデカい大会だと各地の小さな大会の優勝常連みたいな方ばかりで、誰も彼も上手い。そんな中で上位入賞される10人くらいの方々はそりゃもう滅法上手い。実際大会荒らし的な方も多いようです。

でも……その時もそこそこデカい大会だったのですが、ひとしきり出場者の歌唱が終わって審査タイムになった時、その時はその大会の音響担当者の方のミニショー、ということになったのですね。

音響担当者といってもその方の本業は売れない歌手で、売れないがゆえに副業でスナックやったり音楽イベントの音響さんやったりして食ってるという方。予定よりかなり時間が空いたってことで、バック演奏なし、アカペラで数曲やらにゃならんってことになったのです。

そこで美空ひばり「悲しい酒」をフルで演られたのですが、これはスゴかった。それまで100人近い「上手い素人」の歌を聴かされてた会場ですが、みんな静まり返りましたよ。あまりの上手さに。

あちこちのカラオケスナックみたいな店でカラオケ大会みたいなものが行われ、そこで優勝の常連みたいなレベルの方が集まってその地区のカラオケ大会に出られ、またそこで優勝常連の方が集まってそこそこデカい大会に出られ、そこで優勝する方であっても、もはや相手に

ならないくらい上手い、ということです。

ああ、これがプロなんだな、と思いました。思わされたというべきか。

どんなに上手くても所詮素人は素人、プロと素人の間には決定的な、エゲツない差があるのですね。

後日、その大会主催者の方、この方はそこそこ知られてる作曲家先生なのですが、その方に聞いたのですが、○○くん(=このときの売れない歌手氏)は確かに上手いんだけど、いまひとつ聴衆を惹きつけるものがないんだよなぁプロとしては、とのことでした。

あれで「いまひとつ」なのか、じゃあその「売れてる」人ってのはいったいどれほどなんだろう、と。

あちこちのカラオケスナックみたいな店でカラオケ大会みたいなものが行われ、そこで優勝の常連みたいなレベルの方が集まってその地区のカラオケ大会に出られ、またそこで優勝常連の方が集まってそこそこデカい大会に出られ、そこで優勝する方でももはや勝負にならないくらい上手いレベルのプロが大勢集まって、その中で大衆を惹きつける、「売れる」レベルの巧者はほんのひとつまみ、というわけです。

とにもかくにも「歌い手」のプロの道は険しいのであります。

全然関係ないですが前述の売れない演歌歌手氏、ある打ち合わせで事務所件住居にお邪魔したのですが、普段が完璧なオネエ言葉でビビったものです。

打ち合わせ終わったらウチのお店で手料理ご馳走してあげるわね!と言われました。

美味かったです。

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火鉢を購入。

来るべき寒波に備えて火鉢を買ってきました。といっても上に乗って跨ったりできるようなヤツはデカすぎて邪魔になるという判断で、小ぶりなヤツを調達。海鼠釉のイカしたヤツです。

火鉢だけあっても、それだけであったかくなるわけではないので、中に入れる灰&炭も同時に購入。

この火鉢に対してどれくらいの量の灰が必要なのか、とか、それらに対してどういう種類の炭がどれくらい必要で、またそれはどれくらい持つものなのかなど、なにもかもがわからんまま、見切り発車っていえば見切り発車での使用開始ですが、とにかく今のところ非常に快適、あったかく過ごせております。

ただ、なんか、灰が足りない感じがあるんですけどね。8分目くらいまで灰が入ってるのが普通な気もするのですが、もう無くなっちゃったんですよ灰が。ここに入れた分で全部。

追加で買うべきでしょうかやっぱし。

この冬は電気代もガス代もなんかやたら値上げしてますから、この際火鉢生活に戻ったらいいんじゃないですか、なんて去年の忘年会やこないだの宴席で話しましたら、もうね、その場の全員から反対されましたよ。軽くアホ扱い。あんなものはちっともあったかくない、あったかいのは火鉢の真上だけ、なのに場所だけ食って邪魔でしょうがない、と。

そう言われると書いたくなるのが人情というものです。いいじゃないですか火鉢。エネルギーインフラへの依存レベルが比較的低い暖房スタイルです。3.11みたいなのがまた襲ってきたら、これがあると無いとでエラい違いになりますよ。

そういうわけでオレはっていうか弊社はこの冬をこれで乗り切る予定です。

ちなみに2つ目ももう注文済み。

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昔々、歌手にスカウトされた件。

昨日は区議会議員選挙への立候補を勧められた話を書きましたが、そういや同じ頃、歌手スカウトされたこともありました。

立候補要請の件と比べ、こちらはもうあからさまなサギ臭に満ちた、ウサン臭いことこの上無いお話でした。

某カラオケスナック店が主催するカラオケ大会がありまして、その収録のお仕事をいただいたのです。

で、こういうことはどうやらよくあるらしいのですが、審査時間中のステージ間つなぎにお前さんも1曲やってくんないか、と。

そう言われたら断る術はありません。しょうがないからやったわけです。

そしたら大会終了後の打ち上げの席、審査員をやってた作曲家先生がいつのまにかオレの隣に来まして、

・アンタ(オレです)の歌を聴いたが、アンタの歌にはひとの心を惹きつけるなにかがある

・だからアンタは歌い手になるべきだ。差し当たって私の教室に来るべきだ

・アンタの努力で紅白も夢じゃ無い、いやアンタなら可能だ

・私のコネでCDデビューさせてあげる

・そういう諸々を踏まえ、とりあえず私に200万預けなさい

と、熱く語るのです。

こんな昭和的なわかりやすいインチキ話も無いなぁ、と思ったのですが、オッサンがこんだけ熱く語るってことは、そこそこの成果もあるんだろうな、と。明らかに迷惑メールだとしか思えないようなアホくさい宣伝メールでも1,000通出せは1件は引っかかり、またその1件で充分な費用対効果が得られるそうです。

でもまぁ断りましたよ。普通断るよなぁ。

で、後日、主催したカラオケ店に行った際、主催者でもあるマスターにこの話をしたら、

「200万って言われなかった?あの人はなんか知らんけどいつも“200万”なんだよ(笑)。」

と。

要するにあの審査員のオッサンは、あちこちのカラオケ大会やらに審査員かなんかで潜り込んで、ほうぼうで200万200万言って歩いてる、ってわけですね。

なんで200万なのか知らんけど、決まって「200万」なのでちょっと有名なんだそうでした。

「アンタだけじゃないよ、ほら」

と見せられたのは、その店の常連さんがポーズを決めてるジャケットのCDでした。一人二人じゃなかった。

CDはCD-Rでした。ジャケットはオフセット印刷でしたけども、即ち量産プレスされたものでは無い、という意味です。なにしろ200万払った人がこの店の常連だけで何人もいる、という。

自分の店の常連客が、ありていに言ってサギにひっかかってるのを、このマスターのオッサンはただ黙って見てるんだなぁ、と思いました。

こうなるとサギの片棒担いでるのと変わらんじゃんかよ、と思いましたが、まかり間違って紅白に出たりできちゃう可能性が理論的にはゼロでは無いわけで、100%サギとは言い切れないんですね。

この世界は一時が万事こんな感じなんだな、と。

「アンタも200万出してやってみたら?(笑)」

なんて言われましたけどね、こんな業界からは1分1秒でも早くエクソダスしなければ、ということで、あれから関わってません。

やっぱり、余計なことはしないが吉、です。

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区議会議員への立候補を誘われた件。

そういえば今年は江東区長選挙・江東区議会議員選挙があるんですよね。4月だったか。

昔々に区長・区議選開票速報番組をやったことがありますが、あの頃だいたいトップ当選の方の得票数は3000くらいだったと記憶しています。それがこないだの区議選だとドンケツ当選者の得票数がそれくらい。それだけ我が江東区は人口が増えてるってことですね。いいのか悪いのか知らんけども。

その3000票でトップ当選出来てたような時期、オレも区議選に出ないかと誘われたことがあります。いや誘われたというか、今思えば結構ガチな「立候補要請」でした。供託金はこっちで持つ、各種運動はこちらで段取る、なんの具体的負担はかけない・身体ひとつでOK、という条件で、なんか書類を書いてハンコも押して、とかなんとか言われた。

あの頃のオレは江東区地域情報番組を作ってまして、だいたい月30日のうち15〜20日は自分で顔出し出演しておりました。地域情報番組をやるのに、そのネタどころか当該地域のこともなんも知らない・縁もゆかりもない、ただ滑舌が良くて愛想が良いってだけのキャスターがしたり顔で「地域情報」を語るっていう図式に抵抗がありまして、じゃあ取材した当人が自ら出演して取材した事柄について喋った方が一次的でイイじゃないですか、という、要するにそういう趣旨に拠ります。数年後に東京MXTVが「東京ニュース」と銘打ってVJ:ビデオジャーナリストという概念を打ち出してきましたが、思えばアレの先駆けです。

でもって当時取材してるのがほとんどオレだったので、必然的にオレばっかし出演することとあいなった、と。

(ちなみにこの時期、勝手にベラベラ喋るオレをキャスターとして受け止めてくれたTくんとはまだ良いお付き合いをさせてもらっております)

なにしろ90分番組を1日4回リピート放送してましたので、ざっくり月に120時間くらいメディアに顔を晒してたわけです。ローカルとはいえ。

そういう体制を1年くらい続けてると、なんやかんやで顔を覚えられるようで、まず砂町のジャスコで子ども連れのお母さんに、また錦糸町、靖国通り沿いのサンクスの店員のアンちゃんに深夜に声をかけられたりしましたよあの頃。サインもらえますか?とか言って。

まぁなにしろ立候補を誘われたのですが、要するにヤツはとりあえず顔が売れてるし、当時平均年齢が23区の中でも高めと言われてた江東区議会議員の中にあって、若いヤツはその若さだけでもアドバンテージだ、ということだったみたいです。当時30歳代前半でしたんでねオレ。若い力で!とか、キャッチコピーもわかりやすい感じで設定できる、と。

あたりまえですが丁重にお断りしました。

まぁ最初からその気は無かったっちゃそうなのですが、お断りした具体的理由のひとつは、身体ひとつでOKとか言いつつ、スーツ着なきゃダメだって言うんですね。厳密にいえばそりゃ話が違うじゃんか、というわけです。

いやスーツがイヤだからというより、やっぱしスーツ着なきゃダメですか?と言った時、そりゃダメですよっていうかスーツくらい着ましょうよ(苦笑)と答えられた、その口調が気に入らなかった、というのが正確です。なんかモノの言い方がちょっとだけシャクに触った、という。

こういうのはデカいですよ。心根の底の底がこういうとこに出るもんです。

あんとき立候補してたらどうなってたかな、確か当選者の中で最低得票数は2000票をちょっと切るくらいだったと記憶してますが、間違って2000票獲得しちゃってたら区議さんですよ。また、立候補経験者ってだけでそこそこのハクにもなるとかも、あのとき言われたです。

どうなってたかなぁオレ、と時々思うのですが、冷静に考えれば皆さん一生懸命運動などに注力されてるってのにテキトーな感じで首を突っ込んだだけでそんな簡単に通るはずもなく、またどっちにしたって長続きはしてないと思うので、ってことはその分今のキャリアが削られてたわけで、やっぱし出なくて良かったなぁ、と思います。

人間よけいなことはしないが吉、なのです。

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娯楽コンテンツについて。

娯楽コンテンツは常に「ないものねだり」の産物だ、という、斯様な仮説をたてると、物事いろいろ合点がいき、且つ色々はかが行くのであります。

「ニッポン無責任時代」がやたら流行った時期、当時のサラリーマンは高度成長の担い手としての責任感、重圧に大層苦しんでいたんだろうと想像します。あの経済成長を、ほぼ特定の世代だけが背負ったわけですからね。それはそれは大変な重圧だったことでしょう。これは余談ですが、それを為した世代が後期高齢者になってる昨今、この世代を大事にしなきゃバチがあたりますよ。

「旗本退屈男」がシリーズ30本も続いたのには、庶民において横暴な権力者に相対する「早乙女主水之介」的存在への渇望があったのでしょう。「退屈男」が最も流行ったのは戦前から昭和30年くらいまでな由。

また病身の渥美清をいつまでも「男はつらいよ」に携わらせたのは、長年に渡って続いた、マスプロ化した社会生活における閉塞感が裏にあったでしょう。保守的な松竹は最後は満男くんを「フーテン」化させてまで当作の継続にこだわりました。

こういうことは洋の東西を問わず、泥沼化するベトナム戦争のとその戦後処理、石油ショックによる不況、ウォーターゲート事件に代表される政治不信、学生運動の衰退に伴う失望感など、まさに月に叢雲といった状況にあったアメリカにおいて、その雲を散らしたいという市井の一念がダーティハリーやデス・ウィッシュetcを産んだのでしょう。

またこういうことは、こと映画だけに限りませんね。浜崎あゆみの楽曲の、あの説教臭い歌詞がやたらウケたのは、ああいう「説教」に飢えてたグループが庶民の中に多くいたということに「他なりません。バブル期の様にチヤホヤされることに飽いて且つ同時にそこに不安を覚えた後続世代の女性らが挙って支持しましたね。チヤホヤされるより、説教臭い「同調」を求めた、と。

オレ個人は我が国のポピュラーソング史において「セーラー服を脱がさないで」に始まる一連のあの一派によるあの手の曲どもは最低最悪の代物だと思うのですが、これらのヒットは、どうあれこうあれあの一派が思春期のガキどもが最も「欲しがるもの」を(大量に、数の暴力でもって)市場にブチ込んだ結果であることは疑いようもありません。

枚挙にいとまがありませんが、まぁなにしろ、映画演劇音楽と、なにによらずヒットコンテンツというものは押し並べて「ないものねだり」、その時期その時期に欠けているものが常に望まれるわけですね。

で、オレ思うに、ここ数年各種コンテンツにおいて「リアリズム」、これが結構末端、特に若者層においてやたら尊ばれてる気がするのです。

これってもしかしたら、今、そういう世代の層においてなにが欠けてるかって、他ならぬ「リアル」が欠けてるんじゃないか、と。

そういえば東日本大震災もこのたびのコロナ禍も、それらに対するSNSの書き込みが、みんなどこか他人事な感じがします。

自分自身にとっての「リアル」事として認識してない感じがします。

ドラクエやFF、また各種ソシャゲで特徴的なのは、最終的に必ず「勝つ」んですよね。

80年代頃のゲームは、インベーダーでもギャラクシァンでも最後必ず負けてゲームオーバーになったです。全機やられて負けるまでのゲームだった。ところが昨今のゲームは大抵自分が勝って終わるんですよ。

なにによらず「バーチャル」が流行る昨今ですが、コンテンツとしてはこれからは「リアリズム」が流行るんじゃないですか。

それが良いことなのかどうかオレにはわかりませんが、とにかくオレは今から「旗本退屈男 謎の決闘状」を観て寝ます。おやすみなさい。

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大学時代。

大学に入学しまして、必修科目は当然履修することになるわけですが、さてそれ以外の、いわゆる一般教養はなんの授業を取ればいいのか。

必修科目の授業の合間を縫い、且つ効率的に履修でき、またその中でも単位取得が容易なやつを取るってのが学生としての定跡っていえば定跡なわけですが、オレとしてはなんかそういうのが釈然とせず、というか潔しとせず、必修授業の合間を縫わなきゃならんのはしょうがないとして、できるだけ必修授業との兼ね合いが非効率で、且つ単位取得が難しいもしくはメンドくさいとされてる授業ばかりを、半ば嬉々として選択したものです。なんでそんな風に指向したのか自分でもわけがわかりませんが、なんかイヤだったんだな。イヤだったんだからこれは仕方がありません。

で、これがまぁもう見事な大失敗で、それはそれはもうホントに苦労したものです。例えば月曜の1限に、文系なオレには縁もゆかりもない&毎回出席が取られ試験も厳密だとされてた「統計学」なる授業を選択し、2限3限には取れる授業が無くて次の授業が4限、ってことは昼休みも入れると4時間以上間隔が空くわけです。

あと確か水曜日だったかの「心理学」。これは前年まではほぼフリーパスで単位取得可能だったところ、この年度は(学生にとっては)悪名高い教授に変わるってことで敬遠されがちだったのですが、そう言われると履修したくなるという次第で、しかも水曜日は他に必修科目など無いからお休みにしようと思ったらできたところ、これも愚かなことに、なぜか嬉々として履修を決めたのでした。

なにしろこんな感じの毎日。上記したような指向は、大失敗っていう自覚がありつつも結局4年生になるまで継続しましたので、身から出た錆というか自業自得というか、おそらく同級生の誰も経験してないであろう苦労が4年間続いたわけです。

4時間も空くとこれはホントに時間潰しに難渋します。ガチで「途方に暮れる」感じ。銀河鉄道999でヒマに苛まれる回がありましたが、いやぁ良くわかりましたあのときの哲郎の気持ち。

今だったら空き時間はスマホなどで容易に・安易に潰すこともできるわけですが、当時はそういうものは無かった(っていうかスマホは今も持ってないですが)。

この自業自得な履修計画によって発生した膨大な空き時間をどう処理するか、これはもうゲーセンかメシ屋に入るしかないわけです。

西武線江古田の、もはやどっち口だった忘れましたが、北口か南口かどっちかの駅出口から我が母校に向かう一本道の道すがら、学校入り口の最寄りにラーメン屋がありまして、よくここに入り浸ったものです。ここ以外の食い物屋に行った記憶がほとんどありません。殊更美味いわけでも無かったのですが、なんかここしか身の置き所が無い感じで、なにかっていうとここばかり行ってた。多分オレくらいこの店に行ったヤツは少なくとも同世代人では他にいないでしょう。そもそもこんなメチャクチャな履修計画を立てたのもオレくらいだと思うので。関係ないですがソウル五輪でベン・ジョンソンがカール・ルイスに勝った100m走はここの店内テレビで観たです。

そんなわけで入り浸ったこの店、オッチャンが厨房で、おそらく奥さんであろうオバチャンが給仕役なのですが、結構いいトシのおじいさんが出前持ちでおられたのですね。

このおじいさんに対するオッチャンオバチャンの態度が、それはそれはひどいものでした。オッチャンらのどっちかのお父さんなんじゃないかという感じでしたが、トットと帰ってこい、とか、モタモタすんな、とかね。客前でも結構声を荒げて。

何を言われてもおじいさんは黙って黙々とお仕事されてました。

ひでぇなぁ、ああいう言い方は無いよなぁ、と冷え冷えのシナチクを食いつつ、オレは常々思ったものです。

あれからもう30年くらい経つわけで、あのオッチャンオバチャンがあの時のおじいさんくらいの年恰好になってる計算です。

どういう年寄りになってんのかな、と思う。ああいうことをのたまって良しとしてるようなヤツは因果応報でどうせロクな目にあってないんだとは思いますが。

黒澤「生きる」、あと「怪奇大作戦」でもあったな。若い息子夫婦が年老いた自分のオヤジを邪険にして、ってシチュエーション。特に「怪奇大作戦」の方は、令和5年現在、あの若夫婦がちょうど後期高齢者になってる時期かと思います。年寄りを邪険にしてたヤツはきっと自分が年寄りになったら邪険にされちゃうんだろうな、と想像する次第です。

今思い立ってGoogleストビュで見たら、ラーメン屋は無くなってました。

食べ盛り世代の若者がワンサカ集う施設が最寄りにあって、何故に店を畳むことになってしまったんかな、と思います。

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美空ひばりについて思うこと。

日本映画の観客動員数は1958年がピークだったそうですが、配給会社別に見ると東映が他社を圧倒、まではいかなくとも凌駕していた由。要するに日本映画人気全盛時代は同時に東映時代劇の全盛期でもあったってわけですね。

大卒初任給の調査は1968年から始まったようで、この年は30600円。ってことは高度経済成長期に入りたてな1958年当時だと、恐らく1万円にちょっと届かないくらいだったんじゃなかろうか。

そんな時代に、歌舞伎界からなんやらプロダクション経由で銀幕界入りした中村錦之助(=萬屋錦之介)のギャラは1本出演で100万だったそうです。

同時期に日本舞踊の世界からなんやらプロダクションを経由せず個人で東映と契約した東千代之介は、長年足元を見られまくって最後まで1本出演で10万だったとのこと。

まぁなんとヤクザチックな業界かと思いますが、今回言いたいのはそこんとこではなく、同時期、美空ひばりは1本出演で250万を下ることがなかったってことです。

250万ですよ。ニヒャクゴジュウマンエン。今年の大卒初任給は22万だそうですから、ごく単純に換算すると、1本映画出演するたびに5500万になりますか。しかもこの時期のひばり、東映だけで普通に年間10本以上出てますよ。つまり映画だけで年間最低5億5000万。ゴオクゴセンマンエンですよ、映画「だけ」、で。

でもって、ハッキリ言ってこの時期のひばりにとったら映画出演は決してメイン仕事ではなくあくまで「余技」で、新宿コマやらでのメイン公演に地方巡業公演、テレビ出演にトンでもない数のレコード発売、と、ちょっと想像できない仕事量、つまり想像を絶する収入があったはず。

そういう状況が、どんなに少なく見積もっても最低10年は続いてたはずで、また千昌夫やなんかと違って、株で損したとか不動産でズッコけたとか、マネジャーに騙し取られたとかいう話は聞きません。

ヘタしたら、今の貨幣価値に換算してトータル1兆円近く稼いだんじゃないかと思うんですよ生涯で。8歳でデビューして、結局収支が赤字になるような年度の無いまま亡くなったはずですから、イッチョウエンって数値もあながち、じゃないですかマジで。

なのに、死後、なんで借金なんかが残る状況だったのか。

ここがオレとしては不思議でなりません。

死後20有余年経過した最近になって、メディアでは某ヤクザの某組長との関係を半ば美談みたいなノリで採り上げるようになりました。「蜜月」とか言ってね。

「蜜月」でもなんでもない。ただひたすら「金づる」だったんじゃないのかね。母娘ともども丸め込んで持ち上げて。

なんといいますか、そういう美空ひばりの悲劇性について、もっと語られていいんじゃないでしょうか、とオレは思うのです。

死後20有余年、いまだにCG化させられたりすることに対して、山下達郎大先生は某FMラジオ番組でただひとこと「冒涜です」とおっしゃってました。

これも「悲劇」の一環ですよ。

ついでながら、いつのまにか代表曲が「川の流れのように」ってことになってるのも「悲劇」だと思います。ハッキリ言って美空ひばりのキャリアにおいてこれは凡作のグループに入ります。タイトルからしてこの作詞家らしいダサさと臭さに満ちております。「川の流れのように」ってなぁ。もうちょいでもヒネらんかい!と。

死してなお、作者の権威づけに利用されている、としか思えません。まだ利用され続けておられるのか、と。

悲しむべきことです。

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