安藤

「カルト」とか、いろいろについて。

オウムの菊池直子が、なんか捕まった由。
突然のことで驚いていますが、考えたら大抵の「タイホ」は突然であるわけなので、そこはそんなにビックリするこっちゃないやね。
しかしそれにしても、ついこないだNHKでオウム関連特番の放送があったばかりで、しかも実はこのGWくらいから関連の本など読み始めたところだったので、やっぱり大変ビックリなニュースでした。 

ああ、だからこんなヘンな時期に特番なんぞやったのかな、しかもあんな大掛かりな・・・などと、ヘソ曲がりなことを考えたりしつつ報道に触れているところです。 

もうかれこれ10年以上前の話ですが、当時のオレは某ローカルTV局に勤務し、そこである情報番組を担当しておりました。 
番組には警察・消防・税務などといった「署」関係の枠がありまして、それこそオウム逃走犯の告知や、交通安全だ防災訓練だ確定申告だといった特集を組んだりしておりました。 
そんなわけで、必然的に各署の皆さんとも(公私ともに)いろいろお付き合いがあったりしたのですが、中でも特に昵懇だった某警察署の生安や刑事といった課の皆さんに、よくこのオウムに関する話を聞かされたものです。 

「菊池と高橋はともかくなぁ、平田は確実に日本にいるんだよ!」 

とかね。 

当時は”なんで平田だけ?”とか思ったりしたのですが、先般その平田「だけ」が、しかも自分から出てきたりしたので、ああもしかしたら、あながち・・・とか、なんか不思議な心持がしたものです。 

そして今日、菊池直子の身柄確保の報。 
副署長レベルも交えて、どう告知すべきか、なんてよく打ち合わせしたっけなぁ、などと、なんだか感慨深いものがあります。 


ところで・・・このオウムという教団は、よくよく調べると、実はなにからなにまで失敗の連続で、それどころかその失敗のどれもこれも、もうバカ丸出しのマヌケなものばかりだったりするんですよね。 
VXガス作れば失敗するし、ガス噴霧器作ったら間違って自分らがかぶっちゃったり、コスモクリーナーなどという宇宙戦艦ヤマトかぶれ丸出しなシロモノを結構なカネかけて作っちゃったり、もう枚挙に暇がありません。 

なので、残る高橋も・・・いっときは国外でもって影のドン的支援者に匿われてるのでは!?なんて話も出てましたけど、結局は普通にずっと国内でフラフラしてるんじゃないか、という気がします。最大級の警戒をしたものの、いざフタを開けてみたら予想を大幅に下回ってた、なんてことばかりのマヌケ集団でしたからね。 

※ちなみにアホな失敗ばかりの彼等でしたが、なぜかサリンの製造には成功しちゃったんですね。これが最大級に不幸な「偶然」だった、と言わざるを得ません。 


こないだのNHKの特番も含め、現在まで実にいろんなメディアでこの教団の犯罪、引いてはこの教団そのものについて、これも実にさまざまな分析etcが試みられていますが、ひらたく言ってしまえば、全ての根源は、要するに彼等が上から下まで、もう徹底的に「世間知らず」であった、ということです。これに尽きるんですね。 
幹部にしても、世間知らずの先鋭的エリートが、世間知らずであるが故にその「夢想」に抑えが効かなくなって暴走してしまった、と言えるように思います。 
で、その抑えのタガを外した、若しくは、自らのタガを外すためのある種の逃げ道としたのが、麻原という「カリスマ」とされた存在なんですね。 
なにしろ「超能力者」なんですから、どんなにリクツに合わなくても、どんなに理不尽でも、もはやなんの問題も無いわけです。 

事ほど左様に、世間知らずであるというのは、恐ろしいことです。 
でもって、そんな彼等の世間知らずを笑えるものは、実はそんなに多くない、という。 
これもまた恐ろしいことです。 

弊社などもいわゆる零細企業ですから、それは即ち、社会活動の範囲が狭くなりがちだ、ということに他成りません。。 
自分の周りの「社会」が全てだとか、夢にも考えたりしないように、これは意識していかなければいけない、と、この零細企業の社長であるオレは常々思っています。 
上記のサラリーマン時代は、仕事柄、警察、消防、税務、町内会のオッサン&オバチャン、学校に幼稚園・保育園、政治家、各種代理店、と、それこそありとあらゆる職種や立場の人と、決して浅からぬお付き合いをしてたものです。退社する直前の2年間くらいは、実際に出社するのなんて月に1、2回だけでした。なにしてたのかというと、上記したような人と常に「お付き合い」してるわけです。 

なので、あの頃に比べると、今はやっぱし世界が狭くなってるなぁ、と自覚しています。 
それはつまり、その狭くなった分だけ、極論すれば「カルト」化してる、と、言って言えない事もないわけでね。 


無理矢理な結論ですが、我々は常に「世間知らず」に堕ちる可能性を内在してるのですよ。 
で、その行き着く先は、究極的には「カルト」です。 
オウムの、幹部のみならず全ての信者も、一足飛びにあそこまで至ったわけじゃないですからね。 
また彼等には、教祖という、自らをカルト化してしまうのに格好の逃げ道が在ったわけですが、同じようなモノが我々のそばに居ないなんて保証はどこにもないわけです。 
SOHOなどの人はいうまでも無く、会社内と、一部外部関係業者とだけのお付き合いしかしてないなぁ、とか、そういやご近所くらいしかお付き合いがないな、とかね。そういうのも「落とし穴」ですよ。 



「カルト」とか、いろいろについて。 Read More »

人肉食イベント?:杉並保健所が調査を開始- 毎日jp(毎日新聞)

http://mainichi.jp/select/news/20120602k0000m040102000c.html?google_editors_picks=true

だそうですよ。
なによりもこういうイベントを思いつく人物とイベントに参加しようっていう「約70人の観客」の脳が不可思議なわけですが、その他にもいろいろと奇妙に思える点があります。横溢している、といっても過言ではありません。 

もう少しだけ詳細な記事を見つけたのですが(http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20120601/dms1206011126014-n1.htm外部リンク)、こちらによると、 

> 主催者の芸術家の男性がライブハウスを借り切った上で、あらかじめ病院で切除したという 
> 自らの性器を持ち込んだ。 

とあります。 
・・・こういうの、病院は「かつての持ち主」に返してくれるもんなんですかね。 
感染症予防etcの観点から、切除した体の部位はそう簡単にくれないと思うのですが。 
昨今ではともすれば「へそのお」もくれなかったりする由。切り取った「男性性器」なんか普通処分しちゃうんじゃないの?てかしなくていいわけ?と、オレは真っ先に思いました。 


もうひとつは、こういう事案を直接取り締まる法律が、どうやら現状では存在しない、ということです。 
現場であるライブハウスのある杉並区では 
> 警察など関係機関と協議しながら断固たる対応を取りたい 
という意向のようですが、管轄である警視庁杉並署は、 

> どの法律に触れるか調べを進めるなか、ライブハウスは飲食店営業の許可を受けていることか 
> ら、飲食店を管轄する杉並保健所に連絡。同保健所は5月18日、「食品衛生法に抵触する 
> 可能性がある」として、ライブハウスの立ち入り調査を行った。 

と、なんだか歯切れが悪いというか、シャッキリしない感じです。 

でもって、その末に、 

> イベントで用いた男性器が、誰がみても性器と分かる状態で客の前に出されていたならば、 
> わいせつ物頒布罪に抵触する可能性がある。性器そのものを売り物にしていれば、形が 
> 分かるように陳列、販売されていたのではないか 

というコメントが出ていますが、これは即ち原型を留めないような調理を施されてたら問題無いということになるわけで、オレとしては「そういう問題じゃなくね?」な気分です。 


さらにもうひとつ。 

> 「芸術家に性別は関係ない」などとして、切除を決意。手術代が予想以上にかさんだことから、 
> 「お金を回収する意味も込めてイベント開催を考えた」と企画の意図を語っていた 

とあるのですが・・・なんだそりゃ、純粋に芸術的な意図での開催じゃねーのかよ、という違和感、これね。 
自分のチ○コ切って、それを他人に食わす様を見せて金を取る、っていう、そんなもんは芸術でも、ショーでも無いです。そこには何の「芸」もないですからね。ただ単にゲスな集金方法である、というだけのことでしかありません。 
(余談ですが、「手術代が予想以上にかさんだ」ってのも、なんだかマヌケな話です。自分じゃいくらくらいだと思ってたんですかね。事後にネギってたりしたら面白いんですが、どうなのかな。) 


古今東西、人肉を食った「事案」というのはままあったりします。 
アミン大統領しかり、「ひかりごけ」事件、しかり。「佐川くんからの手紙」なんてな本で紹介?された事件もありました。 
まぁ枚挙にイトマはありませんが、だいたいいずれも行為者の方に、止むに止まれぬ事情があったり、また真性の狂人であったりなどの事情が背景にあります。 

しかるにこの件には、なんというか、極めてマヌケなゲスっぽさがあるだけなんですよね。止むに止まれぬ事情があったり、また真性の狂人であったり、という、語るべき背景が実に希薄な気がします。行為者が「芸術家」を名乗っているにもかかわらず、です。 
これだから「芸術家」だとか「アーチスト」だとかと、なんの衒いも無く自称できちゃうようなヤツは信用ならねぇんだ!・・・といったらハナシが逸れすぎちゃいますが、とにかく、オレは引いちゃうね。  

人肉食イベント?:杉並保健所が調査を開始- 毎日jp(毎日新聞) Read More »

福島近郊のSAで福島の銘菓、野菜、米など大量に捨てられる

http://www.news-postseven.com/archives/20120313_94151.html
だそうです。

それ自体が生業のタネである以上、雑誌でもTV番組でも、常に「センセーショナル」を目指すのは必然、もっというと常に目立った存在でなきゃ存続そのものがアッという間に危うくなっちゃう、というのがこの業界です。雑誌不況の折から、この傾向は増すばかり、ですね。

ちょうど去年の今ごろですが、震災と原発の爆発に対して、コンビニに並ぶほぼ全ての雑誌類の見出しはこの「センセーショナル」でした。放射能汚染!日本壊滅!etc・・・と。

ここぞとばかりの、ソレ行け!ヤレ行け!煽れ!煽りまくれ!という編集デスク氏の怒号が聞こえてくるようでしたね。

その結果、前述の通りコンビニ、書店etcの書棚はその手の見出しのオンパレードと相成ったわけですが、そんななか異彩を放ったのが週刊ポストでしたね。あの例の「日本を信じよう」という見出しの号。

あの号のポストはバカ売れだったらしいです。これも前述の、「センセーショナル」見出しの代表格だったAERAが叩かれまくったのと対照的な評価
だった記憶があります。結果的にこの号のポストは、ある意味逆手のセンセーショナルであり、且つなにより前述したような「目立った存在」としてのスタンス
を期せずして(期してたのかもしれませんが)得た、というわけです。

で、なんだかなぁ、と思ったのはその翌週です。その前週まで煽りまくってた雑誌etcも、こぞってその論調が「日本を信じよう」系になっちゃってました。節操が無いなぁ、と思いました。

これはマズい!この論調の方が売れるのか!・・・とでも考えたのでしょう。確かに数字としてはそう解釈できますからね。

要するに雑誌としてのオピニオンなんてなものはハナから存在せず、ホントにただ売れりゃいいってだけの価値観しか持ち合わせないんだなぁ、と。ウスウス感じてはいたものの、ここまでエゲツ無く且つわかりやすいものだとは思いませんでした。

このことはなにも雑誌etcのメディアに限ったことではなくて、記事中にあるような「エセ学者や市民団体」も、根っこはおんなじなんですよね。

例えば、どちらかといえば親原発寄りのスタンスだった学者センセイが、すっかり反原発の旗頭化し、原発・放射能関係の著作を奮発してたりしてね。
某センセイが「こんなに怖い放射能!」という類の著作の表紙でデカデカと満面の笑みを見せているのを見つけ、ひどくゲンナリした記憶があります。

「市民団体」もしかり。ワレワレがゲテモノ扱いから脱却できる千載一遇のチャンスであるぞ!てなもんでしょう、ぶっちゃけた話し。

記事中、

> 科学的根拠もなく、危険を煽るエセ学者や市民団体などは、それでもまだ被災者をイジメ続けるのか。

とありますが、100歩、いや1万歩くらい譲って、ある意味この「危険を煽る」ってのは彼等の仕事・生業のタネそのものだったりするわけなので、まぁこの際それは許・・・さないけど、とりあえず置いときましょう。直接的な生殺与奪の権利はオレには無いかんね。

で、より悪いのは、そういうのを無意識、無自覚にも信じてしまうワレワレですよ。

ちょっと考えたらor調べてみたら、少なくとも「なんかおかしいなぁ・・・」くらいにはすぐ到達できるはずです。それをしないってのは、これは罪、かもしれないですよ。

与えられる事柄を素直に受け入れるってのは、時には美徳ですが、反面、大罪にも成り得ます。まずは自分のオツムでもって考えることから始めたいものです。

ところで、先日某大手食材量販店に行きましたら、インゲンですが、ひと袋170円のと360円のが並んでましてね。

確か170円の方が200gで、360円の方が150g。

この値段差は何故?モノスゴい高級品だったり?と思って見てみたら、170円の方が福島産なのね。

当たり前ですが170円のをいくつか買って帰宅しました。で、さっき全部食ったわけですが。

なにが言いたいかというと、捨てるくらいならオレにくれよ、と。

食ったこと無い人にはわからないんでしょうけども、福島のお米とか「ゆべし」や薄皮まんじゅう」、これは猛烈にウマいんだよ。

というわけで、キャプチャは明日やることにして、オレはもう寝ます。

福島近郊のSAで福島の銘菓、野菜、米など大量に捨てられる Read More »

空から”糞便の氷”落下相次ぐ、ドイツでの外出時は上にも注意?

空から”糞便の氷”落下相次ぐ、ドイツでの外出時は上にも注意?
http://www.narinari.com/Nd/20120317484.html
だそうです。

・・・我が国におきましても、昭和40年代くらいまでは新幹線etcの鉄道や旅客機も「タレ流し」だったはずですね。オレ自身が体験したわけじゃないですが、と
にかく走行中の急行列車に近寄ると否応無しにミスト状の「糞便の水」を浴びることになった由。さながらグレート・ムタの毒霧のごとし。

飛行機も同様で、この場合は落下の際に雲散霧消しいてしまうので問題無い、みたいな次第だったように思います。

いくら「雲散霧消」したところで、どこまで行っても糞便は糞便以外のナニモノでもないので、昭和50年代頃になって、乗客の糞便は必ず全てタンク
に貯めるべし、外部に撒き散らすべからず、ってなことに定まったようですが、なにしろある期間において、我が国でもウンコ、オシッコをなんのためらいもな
く撒き散らしてた、ってことには変わりありません。

でもって、その時期にいわゆる乳幼児だったオレなどの世代において、特にそれに起因する症例が頻発してたりといった話も聞かないので、まぁ、なんというか、案外ニンゲンの身体というのは頑丈だったりするんだね!という。

衛生観念というのはその時代ごとに異なるものでありまして、大昔のホームドラマ「ありがとう」シリーズなど観てますと

“今日はお風呂どうする?”

“ああ、昨日入ったから今日はいいよ”

なんて会話が当たり前にありますね。オッサンの会話じゃないよ、20歳代前半の女性という設定の2名の、だったりします。

うら若き女性でも、毎日なんか風呂入らないのが当たり前、だった時代があったってわけですよね。

(関係無いですが確か野坂昭如は物心ついてから石鹸で体を洗ったことが無いとかいう話ですね。必要以上に体の油分を除いてしまうのがよろしくない
のだ、とかいうコダワリでした。なんでそんなことにコダワってんのか意味不明でしたが、反駁する根拠も無いので、ああ、そうなんだぁ、へぇ、というね。)

空から”糞便の氷”落下相次ぐ、ドイツでの外出時は上にも注意? Read More »

“キラキラネームの増加で「名前の3分の1も読めない」と教師”な件について。

http://www.news-postseven.com/archives/20120302_91724.html

まず、なんだかムリヤリな記事だなぁ、という印象です。

そもそも、

> 「し水」「中の」「わた辺」…いったい何と書いてあるのかと思いきや、これらは小学生たちが

> 書いた自分の名前だ。「習っていない漢字は平仮名で」──そんな学習指導要領に”縛られた”

> 結果である。

このことと、

> また、「希星(きらら)」「来桜(らら)」「絆星(きら)」「月(あかり)」など、いわゆる”キラキラネーム”と

> いわれる難読の名前も増えており、「天響(てぃな)」など、ルビをふってもらわなければ、とうてい

> 読めないような名前も多い。

このことは、並列に論じるべきことではないんじゃないか、と思う次第です。

> 平仮名と漢字を交えて名前を表記することを「交ぜ書き」というが、このような表記の仕方が

> うまれた背景には、当て字など、読み方がわからない名前が増えていることもあるようだ。

こんなことシレッと書いてますが、キラキラネームがどうとか言われるはるか以前から、「「習っていない漢字は平仮名で」──そんな学習指導要領」
に関しては、オレが知る限りもう30年も前から丸谷才一などが指摘していたはずです。いわく、日本語として美しくない、引いては、もはや日本語として正し
くない、云々。

上記の2件は、並列に論じるべきことではなくて、どっちかっていうと時間軸的には

> 「習っていない漢字は平仮名で」──そんな学習指導要領







> いわゆる”キラキラネーム”といわれる難読の名前も増えており

・・・・・・すなわち、この「学習要領」によって、あるべき日本語(の体裁)が蔑ろにされ続けた結果のワンノブゼムがこの「キラキラネーム」の出現、なんじゃないかと思う次第です。

日本語を有る程度でも正しく理解していれば・・・正しく理解することの意義を認識していれば、こういうアホみたいな名前をつけちゃおうなどとは考えないはずです。

普通、自分の「大切なもの」につける名前ってのは、それがなんであれ熟考してつけるモンでしょうよ。

で、かの親たちは、自分の大事な子どもに対して、熟考した結果として「希星(きらら)」「来桜(らら)」「絆星(きら)」「月(あかり)」などという名前を付けちゃった、と。

誰も「ウチの子にはバカ丸出しの名前を付けよう!」と思って付けたわけじゃないでしょうからね。これが良い、ベストだ、と思って付けてるんでね。

なんで、かの親たちは、こういう名前を「良い!」と思ってしまったか。

ひとつには、間違いなく、彼等の日本語能力に重大な問題がある、と思ったりするんですよオレは。

で、その原因の、これまた重大なひとつには、

> 「習っていない漢字は平仮名で」──そんな学習指導要領

これがあるんじゃないか、と思う。 「し水」「中の」「わた辺」という字面の違和感と、「希星(きらら)」「来桜(らら)」「絆星(きら)」「月(あかり)」という名前の違和感とは、同じベクトルにある気がします。

この違和感を感じないような人は、本質的に「日本人」としてヤバいと思うのですが、当の文部科学省がそれをいわば推奨しいてるわけで、こりゃタチが悪いですな。

「希星(きらら)」「来桜(らら)」「絆星(きら)」「月(あかり)」

・・・こういう名前を付けた親、付けられた子どもが増えてるってのは、あくまでも表層の事柄であって、その水面下にはもっとトンでもない亡国的な事象が潜在しいているように思えます。

母国語を蔑ろにすることの危険性、ね。

“キラキラネームの増加で「名前の3分の1も読めない」と教師”な件について。 Read More »

改めて「死刑」について。

山口県光市の母子殺害事件、明日、2012年2月20日に、差し戻し上告審判決、な由です。

以前も書いた気がしますが、「死刑」については、オレ的には揺れる部分があります。全面的な否定も肯定もできません。

まず、人間が人間を裁くに当たって、「死」がその選択肢に在って良いものだろうか、という疑念?が拭えません。

ただ反面、大抵の・・・ほぼ全ての「死刑囚」に対して、こいつはもう殺しても飽き足らない、と思えてしまうのもホントです。死刑囚のほぼ全員は例外無くそのレベルの「重罪人」です。ぶっちゃけてしまうと、オレの中でこの件の「犯人」はその極北です。

・人間が人間を殺すことが肯定されていいのか

・でも、殺されても仕方ないようなことしたヤツだからね

・大体にして、死を以って償うということにそもそも意味があるか否か?そいつが死ねば

 OKなのか?

・じゃあ、生かしてどうするってんんだ?

・・・こんな感じです。

なにしろ、千路に乱れる我が心情、だったりします。

ただねぇ、死刑を望む・・・他人の死を希望する、という発想ね。

こういうマインドが人間の心中に実存する限り、死刑判決を受けちゃうような大罪を犯す人間も必ず存在する・未来永劫いなくならないんじゃないか、と思ったりします。

少なくとも「こんなヤツは死刑だ!ペッ!」みたいなことを、簡単に発言するべきじゃないかな、と。

とにかく・・・判決は明日20日な由ですが、まぁ「死刑」でしょう。最高刑に処されて当然。それだけのことをこの「犯人」はやらかしました。

現状の最高刑が「死刑」である以上、まぁそりゃ死刑判決が出るでしょうよ。そのこと自体は異常な、不自然なことではありません。

※余談ですが・・・本来押さなきゃいけないはずのハンコ押印を、個人的な心情でもって拒んでる大臣さん、これはダメだよね。そう法律で決まってるんだから守らなきゃダメです。法治国家ですからね。法務大臣が遵法せんでどうする、というね。死刑の是非云々はまた別の話です。

改めて「死刑」について。 Read More »

もうすぐ一年。

表題の通り、もうすぐあの震災から一年が経過します。
このタイミングで、なんだか福島第一原発2号機の「温度上昇」について盛んに言われております。

さてさて・・・この件、決して東電「だけ」が悪いわけでも、政府「だけ」に責任があるわけでは無い。東電も保安院も政府も、そしてほぼ無自覚無意識に電源供給を受けてい
た我々も悪いです。要するにみんな悪い。少なくとも、単純にどこか・誰かを叩いてるだけでオッケーな、そういう資格のある者は誰もいないはずです。

どこか一ヶ所、若しくは誰か一人だけ叩いて、それでなんとなく収まっちゃったみたいな気分になる・・・誤解を恐れず言うならそんなことで「自己解
決」してしまうのは、あんましよろしく無い傾向に思えます。コトは誰か(どこか)ひとり(一ヶ所)だけが悪い、ってことで済むような、そんなに単純なもの
ではないはずです。ロス疑惑の三浦某や、大林雅美さんじゃないんだからね。例えが古いですが。

非常に素朴なる理想論ですが、みんな悪いんですから、みんなして反省せねばなりません。

でもって、その上で、もう少しポジティブな論点で歩みを進めていきたいものです。

例えば、工業製品・農産物輸出のライバル国は、この機に乗じて攻勢をかけてくるでしょう。その際、日本のは汚染されてるかもよ〜!くらいの事を言
い散らしたとしても不思議じゃありません。また、昨日だかの記事にありましたが、某ご近所の国が、もはや日本政府は信用に足るものではない、とかなんとか
言ってる由。

・・・言い換えると、誰が悪い・どこの責任だ、ってなことをローカルで喧々諤々していられるほど、世界は悠長じゃ無い、ってことですね。そんなことにとらわれてるバアイじゃ無い、と。

もうひとつ。

この件に限ったことじゃないですが・・・放射線数値がどうとか、容器温度がどうだとか、そういうことももちろん大事なことではありますが、なにより重要なのは、特に若年層がペシミズムに堕ちてしまうことですよ。

アレコレ、イロイロある我が国ですが、我が国は現状において例えば対外債務を抱えてるわけでもなく、要するに若年層がその気になれば先々どうにでもなる「国力」がまだまだあるわけです。若いモンがやる気だしたら、普通にこの国は上昇するはず。

オレのようなオッサン、オバチャンが、そんな若いモンのやる気を殺ぐようなことをしちゃイカンねぇ。

もうすぐ一年。 Read More »

瑣末なことですが、

WBC世界ミニマム級タイトルマッチ(31日、大阪府立体育会館)チャンピオンの井岡一翔(22)が挑戦者ヨードグン・トーチャルンチャイ(21)=タイ=を1回TKOで下し、2度目の防衛に成功した。

だそうです。だそうですっていうかオレも珍しく観てましたが、まずこの試合、早すぎてなにもわかりませんね。

1Rで決しましたが、試合時間の短さイコール実力差とは必ずしも言い切れないので、井岡がどれだけ強いのか、果たして挑戦者の実力がどんだけのモンなのか、など、この試合だけではなんにもわからんちんです。

挑戦者はなにしろナンにも出来ないうちに負けちゃった=ナンか出来てたらまた別の展開もありえたかもよ、というね。そういう意味でね。

ただねぇ、それはともかく、細かいことですが、

瑣末なことですが、 Read More »

東京都の震災がれき受け入れについて。

なんだ、苦情出してる人がいるんですねぇ。
「岩手・宮古市から震災がれきを受け入れた東京都に苦情が相次いでいることに対して、石原 慎太郎知事が一喝した。」
というニュースに関してですが。

岩手は宮古、って、福島(原発)からはヘタしたら東京より遠いんじゃないですかね。東北ってのは広いんですよ。その辺が在京だとピンとこないですけどね。

ああ、東京に持ってくる際に福島至近を経由するわけなので、その際に「放射能」をくっつけてこられたらカナワン、みたいなことなんでしょうかね。・・・って、そんなわけないかな。

オレ自身は、今回直接的に処理が行われる江東区民だったりするんですが、受け入れには賛成です。っていうか、反対するにはその理由があまりにも乏しいです。反対したくってもできないだろ普通に、と。

震災直後は盛んに「この痛みを分かち合ってガンバろう!」とかなんとか喧しいくらいに言われてましたが、いざ我が身に降りかかってくると(って、
実際のところ何も「こない」わけですが)、やいのやいのと反対する、という、こういう姿勢はそのまんま「偽善」ですよ。なんの益も無い存在です。

がれき処理ぐらいしなきゃダメよ。他人事じゃないんですよ。

・・・とかいいつつ、反対する人の、なんというか、そう、「心理」は、これはわからんでも無いです。

なんとなく思うに、「がれき」に「死」を見てしまうんですよねきっと。「放射能」だナンだ、ってのはむしろその言い訳というか、逃げ道で、ね。

震災時のメディアで繰り返し流された、あの被災地の映像。あれがベースイメージとなって、ほぼ無意識のうちにあの「がれき」を「死」のメタファーとしてしまう、という、そのキモチは非常に良くわかります。

これはもう本能ですから、やはり理解しないとこれまた「偽善」に堕ちてしまうかもしれません。

しかしねぇ、今は「がれき」ですが、3.11以前は、いろんな人たちの、思い出の詰まった品だったり、団欒の場であったりしたわけでね。

それはほぼ一瞬で「がれき」になって、あろうことかその処理さえ疎んじられるモノになってしまう、という。

悲しいことです。

東京都の震災がれき受け入れについて。 Read More »

北杜夫が亡くなった件。

太宰や芥川、漱石、そして北杜夫や遠藤周作や吉行淳之介やいわゆる「第三の新人」の方々は、若き日のオレにとっていわばアイドルで、やみくもに・手当たり次第にその著作を買い捲った りしたものです。丁度嵐やAKBファンにとってのCDやグッズetcと同じ感じです。

でも、例えばAKBのファン(の一部)のように、それを買うこと自体が目的化してたりしたわけではなく、どれもガッツリ、しかも複数回読みまくり・味わいまくりでした。いわゆる「積ん読」は一切ありません。「青春記」なんかはもう何度読み返したかわかりません。

 

時にちょっとどうかと思えるような下ネタや罵詈雑言の類も見られる氏の作品ですが、どれも決して野卑に堕ちることなく、必ず一本筋の通った清廉さがありました。


の理由として氏の育ちの良さを挙げたりする方もいますが、濫読していたオレとしては決してそればかりではなく、やはり多くは氏の技巧に拠るものだったかと
思えます。後天的な研鑽によって得た技巧。そういう事柄も含め、実は非常に「大人」な文章をモノする作家だったと思う。で、パッと見そう思わせないのがス
ゴいところでしてね。

例えば、「幽霊」、「木精」、「航海記」、「青春記」、「医局記」、そして「酔族館」シリーズ、そして「回想記」という順で読み進めてみたりすると、そのあたりの変遷も朧に見えてきます。サンザン読みまくったオレが言うんだから間違いない。

でもって同時に、その順で読み進めた上で改めて「楡家の人びと」を読むと、氏の生きた世界が興味深く見えてきます。

 

もう20年くらい前には既に「オレはもう死ぬ、もうダメだ」とか事有るごとに仰ってた氏ですが、死ぬ死ぬ言いながらなかなか死なない・どころかなんだか妙に元気、というネタだと信じてました。

かなり最近まではその通りだったと思うのですが。

 

とにかく、オッサンになる前に氏の著作に触れることが出来て幸運でした。

北杜夫が亡くなった件。 Read More »