仕事(本業)関係

昔々、歌手にスカウトされた件。

昨日は区議会議員選挙への立候補を勧められた話を書きましたが、そういや同じ頃、歌手スカウトされたこともありました。

立候補要請の件と比べ、こちらはもうあからさまなサギ臭に満ちた、ウサン臭いことこの上無いお話でした。

某カラオケスナック店が主催するカラオケ大会がありまして、その収録のお仕事をいただいたのです。

で、こういうことはどうやらよくあるらしいのですが、審査時間中のステージ間つなぎにお前さんも1曲やってくんないか、と。

そう言われたら断る術はありません。しょうがないからやったわけです。

そしたら大会終了後の打ち上げの席、審査員をやってた作曲家先生がいつのまにかオレの隣に来まして、

・アンタ(オレです)の歌を聴いたが、アンタの歌にはひとの心を惹きつけるなにかがある

・だからアンタは歌い手になるべきだ。差し当たって私の教室に来るべきだ

・アンタの努力で紅白も夢じゃ無い、いやアンタなら可能だ

・私のコネでCDデビューさせてあげる

・そういう諸々を踏まえ、とりあえず私に200万預けなさい

と、熱く語るのです。

こんな昭和的なわかりやすいインチキ話も無いなぁ、と思ったのですが、オッサンがこんだけ熱く語るってことは、そこそこの成果もあるんだろうな、と。明らかに迷惑メールだとしか思えないようなアホくさい宣伝メールでも1,000通出せは1件は引っかかり、またその1件で充分な費用対効果が得られるそうです。

でもまぁ断りましたよ。普通断るよなぁ。

で、後日、主催したカラオケ店に行った際、主催者でもあるマスターにこの話をしたら、

「200万って言われなかった?あの人はなんか知らんけどいつも“200万”なんだよ(笑)。」

と。

要するにあの審査員のオッサンは、あちこちのカラオケ大会やらに審査員かなんかで潜り込んで、ほうぼうで200万200万言って歩いてる、ってわけですね。

なんで200万なのか知らんけど、決まって「200万」なのでちょっと有名なんだそうでした。

「アンタだけじゃないよ、ほら」

と見せられたのは、その店の常連さんがポーズを決めてるジャケットのCDでした。一人二人じゃなかった。

CDはCD-Rでした。ジャケットはオフセット印刷でしたけども、即ち量産プレスされたものでは無い、という意味です。なにしろ200万払った人がこの店の常連だけで何人もいる、という。

自分の店の常連客が、ありていに言ってサギにひっかかってるのを、このマスターのオッサンはただ黙って見てるんだなぁ、と思いました。

こうなるとサギの片棒担いでるのと変わらんじゃんかよ、と思いましたが、まかり間違って紅白に出たりできちゃう可能性が理論的にはゼロでは無いわけで、100%サギとは言い切れないんですね。

この世界は一時が万事こんな感じなんだな、と。

「アンタも200万出してやってみたら?(笑)」

なんて言われましたけどね、こんな業界からは1分1秒でも早くエクソダスしなければ、ということで、あれから関わってません。

やっぱり、余計なことはしないが吉、です。

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区議会議員への立候補を誘われた件。

そういえば今年は江東区長選挙・江東区議会議員選挙があるんですよね。4月だったか。

昔々に区長・区議選開票速報番組をやったことがありますが、あの頃だいたいトップ当選の方の得票数は3000くらいだったと記憶しています。それがこないだの区議選だとドンケツ当選者の得票数がそれくらい。それだけ我が江東区は人口が増えてるってことですね。いいのか悪いのか知らんけども。

その3000票でトップ当選出来てたような時期、オレも区議選に出ないかと誘われたことがあります。いや誘われたというか、今思えば結構ガチな「立候補要請」でした。供託金はこっちで持つ、各種運動はこちらで段取る、なんの具体的負担はかけない・身体ひとつでOK、という条件で、なんか書類を書いてハンコも押して、とかなんとか言われた。

あの頃のオレは江東区地域情報番組を作ってまして、だいたい月30日のうち15〜20日は自分で顔出し出演しておりました。地域情報番組をやるのに、そのネタどころか当該地域のこともなんも知らない・縁もゆかりもない、ただ滑舌が良くて愛想が良いってだけのキャスターがしたり顔で「地域情報」を語るっていう図式に抵抗がありまして、じゃあ取材した当人が自ら出演して取材した事柄について喋った方が一次的でイイじゃないですか、という、要するにそういう趣旨に拠ります。数年後に東京MXTVが「東京ニュース」と銘打ってVJ:ビデオジャーナリストという概念を打ち出してきましたが、思えばアレの先駆けです。

でもって当時取材してるのがほとんどオレだったので、必然的にオレばっかし出演することとあいなった、と。

(ちなみにこの時期、勝手にベラベラ喋るオレをキャスターとして受け止めてくれたTくんとはまだ良いお付き合いをさせてもらっております)

なにしろ90分番組を1日4回リピート放送してましたので、ざっくり月に120時間くらいメディアに顔を晒してたわけです。ローカルとはいえ。

そういう体制を1年くらい続けてると、なんやかんやで顔を覚えられるようで、まず砂町のジャスコで子ども連れのお母さんに、また錦糸町、靖国通り沿いのサンクスの店員のアンちゃんに深夜に声をかけられたりしましたよあの頃。サインもらえますか?とか言って。

まぁなにしろ立候補を誘われたのですが、要するにヤツはとりあえず顔が売れてるし、当時平均年齢が23区の中でも高めと言われてた江東区議会議員の中にあって、若いヤツはその若さだけでもアドバンテージだ、ということだったみたいです。当時30歳代前半でしたんでねオレ。若い力で!とか、キャッチコピーもわかりやすい感じで設定できる、と。

あたりまえですが丁重にお断りしました。

まぁ最初からその気は無かったっちゃそうなのですが、お断りした具体的理由のひとつは、身体ひとつでOKとか言いつつ、スーツ着なきゃダメだって言うんですね。厳密にいえばそりゃ話が違うじゃんか、というわけです。

いやスーツがイヤだからというより、やっぱしスーツ着なきゃダメですか?と言った時、そりゃダメですよっていうかスーツくらい着ましょうよ(苦笑)と答えられた、その口調が気に入らなかった、というのが正確です。なんかモノの言い方がちょっとだけシャクに触った、という。

こういうのはデカいですよ。心根の底の底がこういうとこに出るもんです。

あんとき立候補してたらどうなってたかな、確か当選者の中で最低得票数は2000票をちょっと切るくらいだったと記憶してますが、間違って2000票獲得しちゃってたら区議さんですよ。また、立候補経験者ってだけでそこそこのハクにもなるとかも、あのとき言われたです。

どうなってたかなぁオレ、と時々思うのですが、冷静に考えれば皆さん一生懸命運動などに注力されてるってのにテキトーな感じで首を突っ込んだだけでそんな簡単に通るはずもなく、またどっちにしたって長続きはしてないと思うので、ってことはその分今のキャリアが削られてたわけで、やっぱし出なくて良かったなぁ、と思います。

人間よけいなことはしないが吉、なのです。

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娯楽コンテンツについて。

娯楽コンテンツは常に「ないものねだり」の産物だ、という、斯様な仮説をたてると、物事いろいろ合点がいき、且つ色々はかが行くのであります。

「ニッポン無責任時代」がやたら流行った時期、当時のサラリーマンは高度成長の担い手としての責任感、重圧に大層苦しんでいたんだろうと想像します。あの経済成長を、ほぼ特定の世代だけが背負ったわけですからね。それはそれは大変な重圧だったことでしょう。これは余談ですが、それを為した世代が後期高齢者になってる昨今、この世代を大事にしなきゃバチがあたりますよ。

「旗本退屈男」がシリーズ30本も続いたのには、庶民において横暴な権力者に相対する「早乙女主水之介」的存在への渇望があったのでしょう。「退屈男」が最も流行ったのは戦前から昭和30年くらいまでな由。

また病身の渥美清をいつまでも「男はつらいよ」に携わらせたのは、長年に渡って続いた、マスプロ化した社会生活における閉塞感が裏にあったでしょう。保守的な松竹は最後は満男くんを「フーテン」化させてまで当作の継続にこだわりました。

こういうことは洋の東西を問わず、泥沼化するベトナム戦争のとその戦後処理、石油ショックによる不況、ウォーターゲート事件に代表される政治不信、学生運動の衰退に伴う失望感など、まさに月に叢雲といった状況にあったアメリカにおいて、その雲を散らしたいという市井の一念がダーティハリーやデス・ウィッシュetcを産んだのでしょう。

またこういうことは、こと映画だけに限りませんね。浜崎あゆみの楽曲の、あの説教臭い歌詞がやたらウケたのは、ああいう「説教」に飢えてたグループが庶民の中に多くいたということに「他なりません。バブル期の様にチヤホヤされることに飽いて且つ同時にそこに不安を覚えた後続世代の女性らが挙って支持しましたね。チヤホヤされるより、説教臭い「同調」を求めた、と。

オレ個人は我が国のポピュラーソング史において「セーラー服を脱がさないで」に始まる一連のあの一派によるあの手の曲どもは最低最悪の代物だと思うのですが、これらのヒットは、どうあれこうあれあの一派が思春期のガキどもが最も「欲しがるもの」を(大量に、数の暴力でもって)市場にブチ込んだ結果であることは疑いようもありません。

枚挙にいとまがありませんが、まぁなにしろ、映画演劇音楽と、なにによらずヒットコンテンツというものは押し並べて「ないものねだり」、その時期その時期に欠けているものが常に望まれるわけですね。

で、オレ思うに、ここ数年各種コンテンツにおいて「リアリズム」、これが結構末端、特に若者層においてやたら尊ばれてる気がするのです。

これってもしかしたら、今、そういう世代の層においてなにが欠けてるかって、他ならぬ「リアル」が欠けてるんじゃないか、と。

そういえば東日本大震災もこのたびのコロナ禍も、それらに対するSNSの書き込みが、みんなどこか他人事な感じがします。

自分自身にとっての「リアル」事として認識してない感じがします。

ドラクエやFF、また各種ソシャゲで特徴的なのは、最終的に必ず「勝つ」んですよね。

80年代頃のゲームは、インベーダーでもギャラクシァンでも最後必ず負けてゲームオーバーになったです。全機やられて負けるまでのゲームだった。ところが昨今のゲームは大抵自分が勝って終わるんですよ。

なにによらず「バーチャル」が流行る昨今ですが、コンテンツとしてはこれからは「リアリズム」が流行るんじゃないですか。

それが良いことなのかどうかオレにはわかりませんが、とにかくオレは今から「旗本退屈男 謎の決闘状」を観て寝ます。おやすみなさい。

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実るほど‥‥‥。

「実るほど こうべを垂れる 稲穂かな」とか言いますがこれはホントです。都知事2期目くらいの頃だったと思うのですが、石原慎太郎の取材撮影に行ったことがありまして、Gパン&シャツ姿で指定の場所に入ったら、当人が先んじて立ち上がり、オレに一礼しましたよ。

「今日はよろしくお願いします(ママ)」

って。

約束の時間の5分前に行ったのですが、そのまた5分前にはもうおられました。もっとちゃんとしたカッコで行きゃよかったと思ったものです。別件収録の最中に飛び込みで入った案件だったのでね。30分弱くらいの収録でしたが、終わった時も「おつかれさまでした。ありがとう」と言われて見送られました。

なにしろ「実るほど……」なんだなぁ、と思うと同時に、巷の噂なんてものはアテにならんのだな、と思いました。痛切に。

でもって、昨年は撮影スタッフとして某区の区長のインタビューを撮りました。

13時からの約束でしたが、秘書だかなんだかの方に促されて区長室に入ったのは13時40分。

で、開口一番、

「 さ っ さ と 済 ま せ て く れ よ 」。

……まぁエラい違いだなぁ、と思ったですよ。痛切に。

こういうことは業界etcに限ったことじゃないのですね。どっかの田舎の蔵の中から「忠次旅日記」のフィルムが出てきて、フイルムセンターだかでの発見記念上映会の際、確か佐藤忠雄だと思うのですが、いち早く会場入りしたら既にパイプ椅子に座ってる先客がいて、誰かと思ったら萬屋錦之介だった、って話もあります。「蒲田行進曲」の銀ちゃんのモデルは錦之介っていうか東映全盛期のにおける錦之助だそうですが、そんな面もありつつ、自身の仕事に対しては殊勝であった、と。

まぁ、ナンですよ、オレもそうありたいと思います。

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謹賀新年。

力士の四股には、「醜」を踏み潰すという意味があるそうです。そして土俵に撒く塩はいわゆる浄めの塩。
ここ数年の我が国には、踏み潰し、また清めなければならない事どもが横溢しております。

今年は美しく清らかな年にしたいものです。本年もどうか宜しくお願い致します。

株式会社C&Cファクトリー
代表取締役 安藤和明

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あけましておめでとうございます。

新年あけましておめでとうございます。今年も変わらぬご愛顧の程どうか宜しくお願い致します。

あれはサラリーマン時代、それもペーペーの新人の頃ですからもう20有余年も前になりますか、いきなりある屋外イベントの進行&収録を振られたことがありました。

その年は梅雨明け宣言は出たものの連日雨、それも驟雨続きで、事前段取りも思うようにいかず、苛々は募るばかり。焦燥でホトホト疲れ切ったものです。
屋外イベントですのでケーブルは雨が止むまで引けないし、舞台音声はどうするんだ、出演者は屋根のあるとこに待機させなきゃ、だとかなんとか、やらなきゃならんこと・決めなきゃいけないことはいっぱいあるのに、なにもかも雨でストップしてまってしまってどうにもならん、という。

その日も雨でなにも出来ず、仕方ないのでスタジオの中でボーッとしておりました。
スタジオの中にはやはりなんにも出来ずにボケッとスタジオモニターに映るサッカー中継など眺めてる先輩方。
雨、いつ止みますかねぇ、などと取り留めもなく話しかけましたら、その先輩、

ま ぁ 、 今 ま で 止 ま な か っ た 雨 は 無 い な 。

ああそうか、止まない雨は無いんだな。
この雨もいつかは止むんだ。
止んだらまた歩き出せばいいんだ。

……と、状況は何も変わってないのにも関わらず、なぜだかこの先輩の言葉に救われた気がして、スッと気持ちが楽になったのを覚えています。

たちかえって今般の我が国は正に長雨のさなかです。

タチが悪いのは、いまひとつ止む時期が見通せない、というところ。

でも、止まない雨はありません。この雨もいつかは止むのです。
止んだらまた歩き出しましょう。

上記した「屋外イベントの進行&収録」云々の話は丸々作り話で、新人時代どころか令和三年元日の段階でそんな案件をやったことはただの一度もありませんし、あらゆる「先輩」にこんなことを言われたことも一切無いし、そもそも雨でなんにもできないならトットと帰るに決まってるわけで、とにかく全部ウソ話なのですが、とりあえず「止まない雨は無い」ってのは真だと思います。

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スーパーカブを購入。

12月頭に新車のスーパーカブが弊社にやってきます。ってもう12月だからまもなく納車。小澤さんありがとう。助かりました。

  こないだ代金の支払いと各種書類の提出に行ってきました。その時にも聞いたのですが、我が初代カブ号と比すると最新機は想像を超える進化を遂げておる由。
まず、今のバイクには「キャブレター」が無いんだそうで。4輪だとこれはもうとっくに無く、燃料供給に関しては全て電子制御だとは聞いてましたが、原付の、それもカブでさえそうなんですね。これは結構ガチで驚きました。
もう灯油だかガソリンだかでキャブ掃除しなくてもいいんだな。でも不調の時はもう自分でイジれないってことですね。

  あと、エンジンの起動がセルだった。これについては考えたら今までセルモーターでエンジン起動させるバイクに乗ったことが無いのでちょっと不安だったりします。今までのバイクは全てキック起動でした。でも聞いたらキック起動も可能だそうで、まぁ良かった。

  あと「慣らし運転」が500kmだったか1000kmだったか忘れたのでバイク屋のオッチャンに聞いたら、今はことさらそこに頓着する必要は無いんですってね。オレの記憶だと1000kmだか500kmだかまでは○回転以上エンジンを廻しちゃいけないとかそういうのがあったですが、今はそういう感じじゃ無いっぽい。
まぁ最初のうちはおとなしく乗った方がいいですよとか言われましたが、そもそものところで荒っぽく運転するつもりも無いんでね。モノがカブですからなにしろ。
確かに4輪を買ったときにミツビシのアンちゃんに同じ質問したら、なにアナクロなこと言ってんだこのオッサンみたいな顔をされて、今どきは新車でも工場出荷時にテストでガンガン廻すので慣らしとか意味無いっスよ!とそういえば言われたですが、でも50ccだから必要なのかな、と思ったのですよ。我が国の工業製品における工作精度の高さに瞠目する次第です。

  あとあと、オイル交換の時に都度ボルト&ワッシャーを交換する必要が無いんだと。
ええホントに?と思うのですが、バイク屋さんが言うんだからそうなんでしょうね。
そういえば数年前に純正のボルトetcを求めてバイク屋さんを数軒廻ったとき、その全てで「在庫なし・取り寄せ」だって言われて、メンドくさくなってオイル交換自体を止めた、ってことがありました。つまり、そういちいち換えるものじゃないってことですね。だからお店もさほど在庫しない、と。

  あとこれが一番ビックリだったのですが、我が初代カブはガチの実測で90km/リットルくらい走るのですが、この程の新車は「いやぁ、もうちょっと走りますよ」とのこと。
なんだその低燃費。これはホントなのでしょうか。

  しかし、初代のカブね。これはざっくり20年ほど前に購入したもので、サラリーマンを辞めた当時は唯一の足として、ヘタしたら収録にもこれで行ったりしたものです。それだけの愛着のあるものです。これともお別れなんだな、と思うとちょっと淋しい感じもあります。
でもまぁ結構乗ったからな。距離そのものは1万kmとちょっとですが、それは単なる数値以上に濃密なものでした。結果フロントフォークはよれ、フロントブレーキは効いたり効かなかったりし、エンジンオイルはそこかしこで漏れ、ヘッドライトは点灯したりしなかったり、と、ありていに言って満身創痍。ここで御役御免というのが良いタイミングかな、とも思う次第です。

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商売道具について。

きのうから今日にかけて、某社様の「製品紹介パンフレット」計9Pを作成しておりました。イラレ&フォトショと首っ引きでありました。9Pっていうのはよく考えたら不思議なページ数ですが、いいんです。
本来ならデザイナー様にお願いするところなのですが、予算が乏しく納期もややキビシいような場合は自分で作ります。乏しい予算なりのクオリティであることは自覚しております。
 
完全に専門外っていうかもはや門外漢の分野ではありますが、「撮影」と違って、対象が逃げていかないってのは、これはかなりデカい要素です。撮影の場合、二度と撮り直しできないようなケースもあるので、それはそれは緊張します。
 
撮影現場におきましては、ときどき他社様のクルーと一緒になることがありますが、撮影作業に相対する際の心の置き方につきまいsては、これはもう千差万別、テキトーにやってんなぁと思うこともあれば、ああ、ちゃんとしてるなぁこの人、と感じることもあります。後者は無条件でリスペクトの対象となります。
 
いつだったか、カメラを三脚に付けたまま、三脚を担いで移動してる人をみました。
昔と違ってカメラも軽量化されてますが、それにしたってもし三脚とのアタッチメントが外れたらカメラは間違いなくおシャカになります。
おっかないことやってんな・・・と思ったものです。
 
大昔いっしょになったカメラマン氏は、若い頃、ちょっとでもヒマがあったらカメラを触ってろ、マニュアルは100万回読め、とサンザン言われたそうです。
そこまですることもなかろうとは思ったりしますが、商売道具ですからまぁそれくらいやって当然なのかもしれません。そういえば、商売道具を大事にしない人は、確かに大したものは作れてないです。撮影に限らず。
黒澤の「どん底」、東野英治郎演じる鋳掛屋のオヤジについて、商売道具を売っぱらった瞬間に「人生が事実上終わった」という表現になってますね。そういうものかもしれません。
 
で、なにがいいたいかというと、カメラや三脚と同じように、今回のようなパンフetcの制作を生業としてる方々にとったら、イラレやフォトショが「商売道具」の重要なひとつになるわけですよね。
商売道具が結構な頻度で「更新」されていくってのは・・・なんともいえない心持になります。
 
まぁなにしろ大事にしなきゃな、と思いました。ではおやすみなさい。

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見る人が見れば、な話。

ひょんなことで知り合った某所のスナックだかクラブだかよくわからない店のママさんいわく、その客がヤクザかそうでないかってのは、ほぼ一瞬でわかるんだそうですね。どんな服装でどんなヘアスタイルetcでどんな腕時計をしてようと、大げさでなく入口ドアが開いた瞬間にわかるんだと。
なんでわかるのかと聞くと、やっぱしそういう空気というか雰囲気があるとしか言えない、とのことでした。
 
これはオレがヤクザでないからヤクザを例にとってそんな話をしてくれたってだけで、要はどんなに取り繕っても、見る人が見ればその生き方生業etcが丸わかり、バレバレだってことですね。
 
今年はちゃんとしようと思います。
そして、その「見る人」としての目も肥やしたいと思います。

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デジタルとアナログについて。

もう10年以上も前の話ですが、当時としては斬新だった(っていうか斬新過ぎてすぐ潰れてしまったのですが)「地域情報インターネットTV」サイトの運営に関わってたことがありました。
 
相変わらず最近でも煽り文句として用いられる「デジタル新時代の象徴」みたいな惹句でもって華々しく公開、その目玉の一つがWebページ上で誰でもオンデマンドで(当り前ですが)操作できる街頭カメラ、というものでした。
 
どこかのビルの上階に設置したカメラの映像をWebページ上に埋め込みまして、その直下ある上下左右の矢印をクリックすることで、カメラの向きを誰でも変えることが出来る、という、今となってはさほど珍しくも、また難しくもないものですが、当時としては結構なスグレモノで、また結構お高いシステムだったりしたものです。
お値段相応に、公開当初から結構な人気コンテンツでした。「結構」の3連発。
 
しかしながら、この「誰でも変えられる」という所に盲点がありまして、即ちカメラの向きをいじると至近にあるビルのテナントであるキャバクラの更衣室の窓が見える、ということがやがて判明。

この段階でトットと取り外してしまえばコトが済むわけですが、そこそこの投資を経て設置したものだけにそう簡単にはいかない、ということで、システム担当の方は試行錯誤して管理者権限のある者以外操作できないようにしたのですが、2ちゃんねるに「いろいろ捗るWebカメラ」として挙げられるに至り、かくして約1か月間に及ぶデジタルいたちごっこが勃発。

最終的にどうしたかというと、カメラのリモートコントロール雲台をガムテで固定、という荒業に出て、この不毛な「いたちごっこ」に勝利したのでした。
 
オレ自身はカメラ設置の少し前に運営から抜けてたのですが、傍で見つつ、やはり「アナログ」が強いんだな、と思ったものです。
 
そういうものです。
’70年代というともう50年、半世紀ほど前になるわけですが、当時のハリウッド映画の銀塩フィルムの解像度は、デジタルメディアとして換算するとざっくり現在の8Kよりチョイ上くらいな感じだそうです。
考えてみれば「デジタル」は「アナログ」の翻訳版、若しくは基本的原理的に「無限大」であるアナログをカスタマイズ化したものが「デジタル」であるので、そもそも同じ土俵に並列に立たせること自体が無意味なのです。
デジタル化による恩恵を享受しまくってる身としては、謙虚にならねば、ということです。

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