書評・映画評など

富田靖子と「さびしんぼう」と今日の新年会。

今日の新年会、隣席の方は大林宣彦の尾道三部作に感化されて尾道にハマり、以来アラフィフになる今日まで年に3回、多い時で5回は当地に赴いているという方でした。
必然的に会話は尾道三部作に関してが中心になり、やれ「さびしんぼう」の百合子がヒロキに、自分はそんなキレイな人間じゃないから追っかけてくんな的なことを最後の最後に言い放つ場面の根底には日本神話におけるイザナギ・イザナミに通じる純日本的思想があるのだとか、「時をかける少女」で原田知世に白いブルマを穿かせるという発想は真正のロリコンでなければ出てこないとか、会場正面のカラオケで歌われている「東京五輪音頭」などをBGMに、そういう話題に花が咲くことと相成ったのでありました。

氏は「さびしんぼう」が大林の最高傑作だとおっしゃる。オレとしてはさほど大林作品に触れてるわけでは無いのでいわく言い難いものの概ね同意です。

で、オレとしてはこの時期の富田靖子の卑しい取り巻き連中にひとことありまして、「さびしんぼう」公開終了後、あれは恐らく1か月経ったか経たないかくらいの時期だと思うのですが、たまさか当時日本橋にあった東急デパートの屋上に行ったら、その富田靖子の「ミニコンサート」が催されてまして、“では今度の靖子チャンの新曲「スウィート」です!”とかいう感じで、フリフリ衣装の富田靖子がアイドル丸出しの歌をアイドル丸出しの衣装で歌ってまして、なんというか、「さびしんぼう」でもってまごうかたなき名演技を披露した彼女が、どうしてこういうアホな仕事をさせられなきゃならんのか、と、大袈裟でなく激怒したものです。
この日は日曜日で、翌日学校でも激怒して周囲にモンク言いまくった記憶があるので、もしかしたら同級生でこれを記憶してる方もおられるかもしれませんが、繰り返しになりますが「さびしんぼう」での彼女の仕事は珠玉のもので、当時有望な若手女優がカドカワ関係しかいないとか言われてる中、将来を嘱望されてしかるべき存在だったと思うのですが、にも拘らずその次の仕事が

シングル「スウィート」(c/w)「嫌いキラキラ愛してる」

って、それはないんじゃないか、と。

結局・・・あんまし詳しくは無いですが、富田靖子は「女優」としては「南京の基督」くらいしか着目すべき作品は無いんじゃないかと思う。
これはひとえに、当時の卑しい取り巻き連中どもに見る目が無かったが故の悲劇で、彼らの責任は重い、とオレは強く思う次第です。

今日の会話と、先だっての引越しの際に、このミニコンサート時に行われたジャンケン大会でインチキしてゲットした「YASUKO SWEET ハンドタオル」が出てきたので、思い出した次第です。

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いろいろ。

長いこと「失われた名作」とされていた「忠次旅日記」のネガの一部が松竹の倉庫だかどっかの田舎の蔵だかで発見され、無事に修復も終えられていざ上映!と相成ったとき、その公開場であったフィルムセンターのパイプ椅子席には萬屋錦之介の姿があったそうですよ。

また、山下達郎大先生はほぼ習慣的に若手アーチストのライブに足を運ぶそうで。
狭くて小汚い小屋の一隅にちょっと場違いな、しかしどこかシャレオツな壮年夫婦がいる、という感じだそうです。

売れっ子スターであってもやはり観るべきものは観なければならず、して学ぶべきことは真摯に学ばねばならぬのであります。

そういうこととはほぼ関係無く、「忠次旅日記」に出演している伏見直江は江東区門前仲町の出身です。ちなみに小津安二郎はお隣の深川一丁目で生を受けておる由。

さらにまるっきり関係ないですが大杉栄と伊藤野枝は亀戸三丁目に居住していた時期があり、これは有名ですが浅沼稲次郎は区内の同潤会アパートに住んでおられた。.
ついでながら麻原彰晃はオウム神仙の会を興す前にやはり区内大島に住んでたそうで。

いずれも、生家跡に記念碑があるでもなく、江東区とのつながりに関する文献が豊富にあるわけでも無く、小津だけは清住通り沿いに申し訳程度な「ここらで小津が生まれたっぽいよ」ってだけな記載の看板がありますが、それっきりです。あとはなんもない。皆無。

麻原はともかく、そういうことでいいいんか。

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「釣りバカ日誌」を観た。

結局「釣りバカ日誌」を1~3作目までイッキに観てしまいましたが、存外テンポがトロいというか、冗長なので驚きました。
まぁ30年前の作品なのでそんなもんかな、とも思えますが、そこからさらに20年程遡る「男はつらいよ」はもっとずっと展開がリズミカルで勢いがあります。
あとこれもかなり意外だったのですが、かなり脚本が苦しいというか、無理があります。なんというか、ここまで押せるキャラじゃないだろ!というか、なにしろ無理が目立ちました。
 
当時の松竹では「男はつらいよ」後の継続性のある「屋台骨」の確立が急務だったはずで、そのつもりだった「虹をつかむ男」が盛大にズッコけたあとのこの作品に賭するところは大だったように思う。特に2作目などはそういう、よく言えば意気込み、悪く言っちゃえば気負いが目立ちます。
そういうものに脚本が耐えられてない、という印象です。
 
そういえば松竹はいまは何が「屋台骨」なんですかね。
またコケたらすかさず「砂の器」を併映にしてしのいでる、とかそういう感じなのでしょうか。良く知らんけど。

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「ウルトラQ」。

大学時代の「シナリオ実習」なる授業のセンセイがこれに関わっておられまして、最初期の授業で“皆も一度は観るように”みたいなことを仰られたのですが、そういうことをいきなり言われると観る気が無くなるのが人情というもので、結果そのまま20有余年、現在まで観ずにおりました「ウルトラQ」、納品×2件が終わったのを良い事にイッキに観てしまいました。

存外に面白かったので、こんなことなら素直に当時観とけばよかった。
内容については多くの方が広く深く語ったり書いたりしておられるので割愛しますが、なにしろ面白かった。皆も一度は観るようにね、ということで。

印象に残っているのは第15話「カネゴンの繭」ですね。
カネに汚い少年が懲罰的にカネゴンなる怪獣になっちゃうやつですが、この少年の名前「カネダ・カネオ」ってのがまず素晴らしい。世の中にこれ以上カネに汚そうな名前があるでしょうか。

また、カネゴンになってしまって困ってるカネオ少年の友人らが、助けを求められてるにも関わらず

「こいつに芸を仕込んでサーカスに売ってカネにしよう!」

などという血も涙も無いところで一致団結し、さらに実際に玉乗りなどやらせ、失敗ばかりのカネゴン少年に対して

「こいつはダメだ金にならねぇ!」

などと言い放ってしまうとことろも最高でした。

ちなみにこのカネオ少年役をやった少年のツラ構えも最高でした。どこでどうやってこういうツラのガキを探してくるのか不思議ですが、思うに当時はこういう面相の子どもばかりだったんでしょうねきっと。
だんだん子どもの顔etcがキレイになってきてるんだなぁ、とは、小津の「おはよう」だとか、木下版「二十四の瞳」を観てもそう思えます。っていうかオレなどの子どもの頃と比べても今の子は総じて美少年美少女ばかりな気がします。なにが違うんだろうか。やっぱし食い物のモンダイでしょうか。

ところで、少年らの遊び場は造成途中の宅地らしき広っぱなのですが、造成作業中のブルドーザーが「西武」のものだったりするところに時代を感じます。確かにこの会社はこの時期(昭和40年代初頭)からこういう感じで宅地を作り駅を作りして伸びていき、その結果として後年にバブルのバブルらしいところを担っていくことになるわけで、現代に続くナニモノかをオレはそこに見ちゃったりしました。

そういうところから考えてみると、戦争で一面焼け野原になったところからホンの20年足らずで、登場人物たちが普通に電話を掛け地下鉄に乗り飛行機で旅行し、している。このことはスゴイことですね。「焼け野原」からここまでで20年。オウムが地下鉄にサリン蒔いた年から今年で20年ですが、当時と今とで前述の20年ほどの抜本的(と言っていいと思う)な変化がありましたかね。

しかし「ウルトラQ」、近々のうちにオレは恐らく全編観ることになると思います。

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杜甫と芭蕉とキーンと小津。

ちょっとマニアックというかメンドくさい事柄になるかもしれませんが、杜甫の「春望」中の
 
「国敗れて山河在り、城春にして草木深し」
 
という一節、これを芭蕉は「おくのほそ道」の中で、
 
「国敗れて山河在り、城春にして草青みたり」
 
と書いてんですよね。
 
「草木深し」と「草青みたり」じゃ意味がエラい違いなわけですが、この件について我が母校(確か高校)の先生は、要するに芭蕉がなにかの理由で「間違った」のだ、と言ってた。
 
当時は、へぇそうですか、って感じで思考停止状態で受け入れてたのですが、良く考えたら間違えるはずが無いので、オレ思うに芭蕉が意図的に改編したんだと思う次第です。
でも、じゃあなんでわざわざ改編したんだか、オレには皆目わからずにいます。
 
そもそも「おくのほそ道」ってのは、どうやらオレなぞが簡単に触れちゃいけない深淵なるものでありまして、例えばドナルド・キーンはこれを翻訳する際、いきなりタイトルからつまづくんですね。
即ちまずこの「おく」をどうしたらいいかわからない、と。
 
で、キーンは結局「The Road To OKU」としました。ここでの「おく」は「OKU」としか表せない、というわけです。本人がそう言ってんだからそうなんでしょう。
 
以上、今kindleでキーン氏の自伝を読んでるのと、弊社の至近に芭蕉庵があるのと、上記の「草青みたり」のくだりは平泉訪問の際に書かれてるわけですがこの平泉には以前仕事で何度となく行ったことがある、という、複合的な理由で突然諸々思い出した次第です。
 
ちなみに「芭蕉庵」とは要するに芭蕉の家のことなのですが、ザックリ江東区のこの辺りにあったらしい、ってことだけはわかってたものの、ながいこと具体的な位置が判明せずにいたのですね。
門人の書いたものによると、芭蕉はカエルが好きで、庵には石のカエルの置物だかが有った由。でもって戦後になって江東区某所を開発すべく掘り返したところ、年代物の石のカエルの置物が出てきた、という。
その発掘場所、現在は「芭蕉稲荷」として祀られてます。近くには芭蕉記念館なるハコモノもあります。さらにそこから徒歩数分のところに、かつて広重が描いた万年橋もあります。普通にみんな通ってる現役の橋です。
 
全く関係無いですが、そこの近所には、小津安二郎生家跡もあります。
正確に言うとその旨の書かれたカンバンが立ってるだけで、正確な位置は不明な由。
カンバンにも、ザックリこのあたりに有ったらしいよ、としか書かれてません。
 
芭蕉の家の正確な場所がわかって、なんで小津の家がわかんねえんだよ、とオレは少々憤っている次第です。

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「アナと雪の女王」観てきました。

思い立って深夜になって「アナと雪の女王」観てきました。出先の至近でやってたので、フト思い立って、という感じで。
人気話題作だとどこか小馬鹿にして手を出さないような俗物はオレとしては忌み嫌う対象で、いわゆる話題作だろうがマイナー作であろうが拘り無く観るのがモットーだったのですが、振り返るにここ数年は無意識のうちにそんなヤカラになってたような気がします。昔はE.T.だろうがフラッシュダンスだろうが戦メリだろうが自分のモノサシだけの判断でなんの拘りも衒いも無く観に行ったじゃないか、こんなことじゃいけないなぁオレ、と思い知らされた作品でした。いやぁ、これはヒットしますわそりゃ。食わず嫌いはいけません。
考えてみれば極めてシンプルな、ある意味不躾なところさえある当作品ですが、そんなことにはお構いなしに魅せてしまうってのは、これは太宰の言う「才能の巨腕」というやつでしょうか。
 
いつだか「レ・ミゼラブル」観たときにも感じたのですが、アチラの方々は実にうまいこと己の宗教世界を活かしきるなぁ、と思います。
言い方を変えると、誰も彼も自らの宗教を意識して暮らしてるんだろうな、と思う。いろんな人種が共同生活するにあたって、宗教というものが貴重な共通価値観として機能しておるな、と感じます。
 
たちかえって我が国ではどうかというと、このあたりがなかなかうまいこといってない感じがあります。なかなか作品の中に宗教が生かされてない気がする。
外国人記者クラブのみなさんいわく、ニホンジンほど信仰心の強い国民はおらない、とのこと。だとすると思うに我が国のそれは各々の無意識層にまで浸透しきってるだけに、なかなかあえて具現化しにくいのかもしれません。宮崎パヤオ氏が「もののけ・・・」や「千と千尋・・・」でちょっとだけ試みてるような感じもありますが、当作品のようにその部分がそのままエンターテイメントの主題にはなってませんね。
まぁこのことは、どっちが良くてどっちがダメってな話じゃないですけども、なにしろ当作は(も)、実にその辺がなんの衒いも躊躇いも無く表現されてますな。汝の隣人を愛せよ、右のホッペタを殴られたら左も差し出せ、です。そしていきつくところはアガペーなわけですね。
 
ところで某サイトでのレビューをみるに、「期待外れ」ってな意見も散見されます。思ってた展開と違う、オレの考えるディズニー映画はこうじゃない、というような。
まぁそれはそれでひとつの意見ではあるのですが、私的には、事前に想像してたストーリー展開と違ってるからこそ面白いんんじゃねーかよ、とも思えます。予定調和じゃないとイヤだ、ってのはいかにも狭量だねぇ。
 
自分の器の範囲でしか作品を愉しめないってのは悲しいことです。器を広げてくれるのが「佳作」というものですよ。当作は、特にお子さんにとってはそういう意味で最良の「佳作」だと思います。

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黒澤映画音楽についてちょっとだけ。

黒澤の「赤ひげ」において、佐藤勝はハイドンやらブラームスやらから盛大にパクりまくった、などという不埒不遜な見解に対して、今オレは大いに憤っております。
ただまぁ事情を知らなかったらそう考えてしまうのも宜なるかなで、要するに「赤ひげ」内の、例えばメインテーマは完全にブラームスの交響曲(何番だかは忘れた)だし、長坊が出てくるテーマはハイドンの「驚愕」(正式名称は知らない)にクリソツです。それはまぁ事実そうなんで、そこのところには抗いません。
でもね、と。
 
有名な話ですが、黒澤は作曲家に発注?する際、例えば「ベートーベンの第○みたいな曲を」というようなことを言ってきたそうで、さらに確かこの「赤ひげ」のときは、実際にベートーベンの第九だかに合わせて編集した映像素材をみせて、こういう風にしたいんでよろしく、と言い放ったとか。
初めてこのエピソードを知った際、オレは引いた。引きました。ドン引きでしたね。逆の立場だったら顔面蒼白茫然自失、恐らく怒りも忘れて忘我の境地、です。
少しでも、単なる収録物ではない「映像編集」をやったことのある方なら、これがどんだけムチャな要望かおわかりになると思う。音楽の旋律・小節に映像を合わせてつないで、それでバッチリだってんなら、もうその曲を使ってもらわなきゃどうにもなりません。ちなみに武満徹は「乱」だかでやはりこれをやられて、「オマエとは金輪際仕事しないぜ!」となった由。そりゃそうでしょう。さすがにやってられませんこれはね。
 
で、こんな想像を絶するムチャ振りに対して、よくもまぁ佐藤勝はこんな名曲をモノしたもんだなぁ、と感嘆する次第です。スゴすぎます。
そして、作ってる立場のことも考えずに、安易にパクっただナンだというヤツに憤るのです。
 
 
ということで、明日はいよいよ納品です。

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太宰(フォロー編)

昨日は編集の修正したり打ち合わせに行ったりして疲労困憊しており、またとにかく眠かったので、その勢い?にまかせて太宰について、やれ中二病だ、恥ずかしくって読めたもんじゃない、などと思わずボロクソ書いてしまいましたが、その後12時間近く寝てさらにユンケルもキメて復活した今になって振り返るに、それはさすがに少々書き過ぎであった、筆が滑ったにもホドがある、ということで目下少々反省しておりまして、といってオレは太宰にはこんなことする縁もゆかりもないですが、ここでちょっとだけフォローしておきたいと思います。
 
恥ずかしくって読めたもんじゃない、とまで書いておいてナンですが、太宰は面白いです。
 
伝記などをひもとくに太宰は非常に「座持ち」のする人だった由。
中学1年のとき、産休の代理で来た国語の先生が、おしゃべりな人の文章というのはとにかく1文が長い。漱石なんかは寡黙な人だったそうで、確かに一文がバシバシと切られて短い、野坂昭如はテレビであんな感じである通り作品も冗長でダラダラ長い、なんてな話をしてくれました。
今思えば12、3歳のガキによくそんな話をしたもんだと思うのですが、とにかく当時のオレはいたく納得したものです。
 
その伝でいうと、太宰の諸作品は、やたらめったら一文が長い。文庫本見開き2ページにおいて「。」がひとつだけ、なんてこともままあります。要するにやたらめったらよくしゃべるオッサンだったんだろうと思う次第です。
で、これは疑う余地もなく、太宰は猛烈な遊び人だった由。要するに「よくしゃべる座持ちの良い遊び人」だったというわけですが、そういう人の話や書いたものがつまらないわけが無いのでありますよ。
 
でもって、そこはやはり「走れメロス」を書いた人なわけで、ベラボーな物語創造能力のある人でもあった、という。
そういう能力を持つ人が、生涯ほぼ全身全霊を賭して、「座持ち」=見聞きするひとを飽きさせずに面白がらせる、ということに腐心しまくってたわけですから、そりゃ名作が産まれますわ。
 
「晩年(関係無いですが処女作品集にこんなタイトルを付けちゃうところがいかにも中二っぽくてイイ)」から「グッド・バイ」までを並べてみると、ある面においては、「座持ち」能力の変遷記録、という見方もできるんですね。当然ながらそれはさながらメロラップのごとくガンガン・ズンズン・グイグイ上昇しておりまして、「グッド・バイ」などは、未完ながらこれはもう大傑作ですよ。太宰の「座持ち」力の頂点ですね。未読の方は一度読んでみたらおわかりになると思います。
しかし残念ながら、恐らくはいつものように「カフェ」の「女給」を、オレはもうダメだ、一緒に死んでくれ、とか言って口説いたら、いつもなら「大人の対応」されるところ何故か本気にされてしまい、行きがかり上心中しなきゃなんなくなってしまって、結果未完となってしまったわけで、非常にもったいない話だなぁ、と思う次第です。
 
 
ということで、現在第11校目となる編集修正指示の待機中です。

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太宰。

高校時代あれほどハマり、そのあまり自分だけで収められず、当時隣の席だった舎人のガソリン屋のムスコ氏にまで波及させた我が太宰熱でしたが、あれからン十年、改めて諸作品を読むと・・・いや、読めないのですね。気恥ずかしくて読了できない。
奥野健男は、初老の域に達してなお、太宰は人間失格を書くために小説家になったと言っても過言じゃない、みたいなことを堂々と書いておられましたが、当時の氏よりはるか若年、未だ中年域の段階であるオレは最早そんな感想を抱くはるか以前のレベルで、独特の文体もハナについて仕方なくなってしまいました。
要するに「行き過ぎた露悪趣味」という感じでしか捉えられないでおります。読んでるこっちが恥ずかしくなる、という感じのが多いです。「晩年」なんかその最たるもので、これは要するに重症の中二病患者の手になるものですよ。そうじゃなかったらこれはなんだ、という。まだ「畜犬談」なんかはいい感じに枯れてて良いのですが、初期作品はムリ、無理ね。
良く言えばうまいこと中二病から脱却できたとも言えますが、悪くいやぁ感性が老化し鈍麻してしまった、ということかもしれません
でもって一番よくないのは、この件に関しては自分自身恐らく後者だと思うのですが、それでも別にヘイチャラでいられる、というところですね。実にタチの悪いオッサンです我ながら。当時こういうオッサンにだけはなるまいと思ってたはずなんですが、ものの見事に「太宰を鬱陶しがる忌まわしいオヤジ」になってしまいました。いやはや。
U田くん、申し訳ないね。当時さんざん勧めておいてこれだよ、という。
 
ただ、「津軽」だけは別ね。太宰の代表作品は?なんて問いに対して、(奥野氏も含め)たいていの人は「人間失格」を挙げ、ちょっとスノッブなヤローは「晩年」を推し、普遍的なその文学性云々ってことで「走れメロス」をピックアップする人も多くおられますが、いいオッサンになったオレとしては、「津軽」が最高傑作である、となんの疑問も猶予もなく思うのです。
 
ちなみに、当時愛読していて、今再読しても変わらず面白いものにはどんなのがあるか。
これがですね、自分でも少々意外なのですが、太宰以外は大抵変わらず堪能できるのですね。
とはいうものの堪能の仕方に多少のズレはあります。例えば丸谷才一の「男のポケット」なんかは往時も面白く読んだもののちょっとシブ過ぎ地味すぎかなとか思ってたのですが、今としてはシブ過ぎず地味すぎずイイ感じです。吉行淳之介の諸作品などはぶっちゃけ当時読み取れなかったところなんかもどうにかこうにか理解できるようになった、という明確な自覚があります。
ただ吉行作品に関しては、まだ読み切れてない感じがあります。してみると今のオレは、太宰を堪能するにはオッサン過ぎ、吉行作品を愉しむには青二才過ぎる、という、非常にダメなところにいるらしい。
 
で、繰り返しになりますが、なにしろ一番ダメダメなのは、別にそれでもヘイチャラである、というところですね。吉行作品の掘り出し物なんかが転がってたりしないか、とAmazon内をサーフィンしていながら、「応募即撮りH系さな写真集」なんてのがフト出てくるとほぼ無意識にとりあえずクリックし、なんだこのブ○○クな女は、クリックに所要した時間を返せ、などとブツブツ一人で毒づいているオレがいます。
  
そういうわけで、kindle生活もまぁ順調な今日この頃です。

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たまには本を読まなきゃだめだね。

比較的気安く読めるエッセイやコラムを、との問いを受けて、オレとしてはサラッとごく自然に沢木耕太郎を勧めたのですが、帰社後なんとなく気になって今チョイとばかし読み返しました。「チェーン・スモーキング」と「バーボン・ストリート」(順不同)。
改めて読むと、ちょっとキザさがハナにつくところがあるなぁ、と
雨の昼下がり、雨音をBGMにミステリーを読んでいた。二回目の殺人が起こったところで部屋の電話が鳴った、とかってのは、もうね。本人もこのあたりの時期のは正直若書きだからゴメンね的なことをおっしゃってる由で、まあいいんですが。

あと勧めたのはボブ・グリーンの「チーズバーガーズ」だったのですが、これは約20年ぶりに読み返してもなかなかよろしい。ただ、20年ほど前にやたら出たボブ・グリーン作品ですが、井上一馬訳以外のはイマイチなんですね。ってことは想像以上に訳者の力が大きいのかもしれません。といって井上氏の訳が殊更高評価だったりって話も聞きませんが。

あと漱石の「夢十夜」。これは勧めなかったのですが、勧めりゃよかった。存外「気安く読める」ものでした。あ、でも「エッセイ」じゃないねこりゃ。

あと、勧めたかったけど「狐狸庵閑話」は勧めませんでした。若者にはムリなんじゃないか、ということで。

なにが言いたいかというと、たまには本を読まなきゃだめだな、と

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