社会

区議会議員への立候補を誘われた件。

そういえば今年は江東区長選挙・江東区議会議員選挙があるんですよね。4月だったか。

昔々に区長・区議選開票速報番組をやったことがありますが、あの頃だいたいトップ当選の方の得票数は3000くらいだったと記憶しています。それがこないだの区議選だとドンケツ当選者の得票数がそれくらい。それだけ我が江東区は人口が増えてるってことですね。いいのか悪いのか知らんけども。

その3000票でトップ当選出来てたような時期、オレも区議選に出ないかと誘われたことがあります。いや誘われたというか、今思えば結構ガチな「立候補要請」でした。供託金はこっちで持つ、各種運動はこちらで段取る、なんの具体的負担はかけない・身体ひとつでOK、という条件で、なんか書類を書いてハンコも押して、とかなんとか言われた。

あの頃のオレは江東区地域情報番組を作ってまして、だいたい月30日のうち15〜20日は自分で顔出し出演しておりました。地域情報番組をやるのに、そのネタどころか当該地域のこともなんも知らない・縁もゆかりもない、ただ滑舌が良くて愛想が良いってだけのキャスターがしたり顔で「地域情報」を語るっていう図式に抵抗がありまして、じゃあ取材した当人が自ら出演して取材した事柄について喋った方が一次的でイイじゃないですか、という、要するにそういう趣旨に拠ります。数年後に東京MXTVが「東京ニュース」と銘打ってVJ:ビデオジャーナリストという概念を打ち出してきましたが、思えばアレの先駆けです。

でもって当時取材してるのがほとんどオレだったので、必然的にオレばっかし出演することとあいなった、と。

(ちなみにこの時期、勝手にベラベラ喋るオレをキャスターとして受け止めてくれたTくんとはまだ良いお付き合いをさせてもらっております)

なにしろ90分番組を1日4回リピート放送してましたので、ざっくり月に120時間くらいメディアに顔を晒してたわけです。ローカルとはいえ。

そういう体制を1年くらい続けてると、なんやかんやで顔を覚えられるようで、まず砂町のジャスコで子ども連れのお母さんに、また錦糸町、靖国通り沿いのサンクスの店員のアンちゃんに深夜に声をかけられたりしましたよあの頃。サインもらえますか?とか言って。

まぁなにしろ立候補を誘われたのですが、要するにヤツはとりあえず顔が売れてるし、当時平均年齢が23区の中でも高めと言われてた江東区議会議員の中にあって、若いヤツはその若さだけでもアドバンテージだ、ということだったみたいです。当時30歳代前半でしたんでねオレ。若い力で!とか、キャッチコピーもわかりやすい感じで設定できる、と。

あたりまえですが丁重にお断りしました。

まぁ最初からその気は無かったっちゃそうなのですが、お断りした具体的理由のひとつは、身体ひとつでOKとか言いつつ、スーツ着なきゃダメだって言うんですね。厳密にいえばそりゃ話が違うじゃんか、というわけです。

いやスーツがイヤだからというより、やっぱしスーツ着なきゃダメですか?と言った時、そりゃダメですよっていうかスーツくらい着ましょうよ(苦笑)と答えられた、その口調が気に入らなかった、というのが正確です。なんかモノの言い方がちょっとだけシャクに触った、という。

こういうのはデカいですよ。心根の底の底がこういうとこに出るもんです。

あんとき立候補してたらどうなってたかな、確か当選者の中で最低得票数は2000票をちょっと切るくらいだったと記憶してますが、間違って2000票獲得しちゃってたら区議さんですよ。また、立候補経験者ってだけでそこそこのハクにもなるとかも、あのとき言われたです。

どうなってたかなぁオレ、と時々思うのですが、冷静に考えれば皆さん一生懸命運動などに注力されてるってのにテキトーな感じで首を突っ込んだだけでそんな簡単に通るはずもなく、またどっちにしたって長続きはしてないと思うので、ってことはその分今のキャリアが削られてたわけで、やっぱし出なくて良かったなぁ、と思います。

人間よけいなことはしないが吉、なのです。

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娯楽コンテンツについて。

娯楽コンテンツは常に「ないものねだり」の産物だ、という、斯様な仮説をたてると、物事いろいろ合点がいき、且つ色々はかが行くのであります。

「ニッポン無責任時代」がやたら流行った時期、当時のサラリーマンは高度成長の担い手としての責任感、重圧に大層苦しんでいたんだろうと想像します。あの経済成長を、ほぼ特定の世代だけが背負ったわけですからね。それはそれは大変な重圧だったことでしょう。これは余談ですが、それを為した世代が後期高齢者になってる昨今、この世代を大事にしなきゃバチがあたりますよ。

「旗本退屈男」がシリーズ30本も続いたのには、庶民において横暴な権力者に相対する「早乙女主水之介」的存在への渇望があったのでしょう。「退屈男」が最も流行ったのは戦前から昭和30年くらいまでな由。

また病身の渥美清をいつまでも「男はつらいよ」に携わらせたのは、長年に渡って続いた、マスプロ化した社会生活における閉塞感が裏にあったでしょう。保守的な松竹は最後は満男くんを「フーテン」化させてまで当作の継続にこだわりました。

こういうことは洋の東西を問わず、泥沼化するベトナム戦争のとその戦後処理、石油ショックによる不況、ウォーターゲート事件に代表される政治不信、学生運動の衰退に伴う失望感など、まさに月に叢雲といった状況にあったアメリカにおいて、その雲を散らしたいという市井の一念がダーティハリーやデス・ウィッシュetcを産んだのでしょう。

またこういうことは、こと映画だけに限りませんね。浜崎あゆみの楽曲の、あの説教臭い歌詞がやたらウケたのは、ああいう「説教」に飢えてたグループが庶民の中に多くいたということに「他なりません。バブル期の様にチヤホヤされることに飽いて且つ同時にそこに不安を覚えた後続世代の女性らが挙って支持しましたね。チヤホヤされるより、説教臭い「同調」を求めた、と。

オレ個人は我が国のポピュラーソング史において「セーラー服を脱がさないで」に始まる一連のあの一派によるあの手の曲どもは最低最悪の代物だと思うのですが、これらのヒットは、どうあれこうあれあの一派が思春期のガキどもが最も「欲しがるもの」を(大量に、数の暴力でもって)市場にブチ込んだ結果であることは疑いようもありません。

枚挙にいとまがありませんが、まぁなにしろ、映画演劇音楽と、なにによらずヒットコンテンツというものは押し並べて「ないものねだり」、その時期その時期に欠けているものが常に望まれるわけですね。

で、オレ思うに、ここ数年各種コンテンツにおいて「リアリズム」、これが結構末端、特に若者層においてやたら尊ばれてる気がするのです。

これってもしかしたら、今、そういう世代の層においてなにが欠けてるかって、他ならぬ「リアル」が欠けてるんじゃないか、と。

そういえば東日本大震災もこのたびのコロナ禍も、それらに対するSNSの書き込みが、みんなどこか他人事な感じがします。

自分自身にとっての「リアル」事として認識してない感じがします。

ドラクエやFF、また各種ソシャゲで特徴的なのは、最終的に必ず「勝つ」んですよね。

80年代頃のゲームは、インベーダーでもギャラクシァンでも最後必ず負けてゲームオーバーになったです。全機やられて負けるまでのゲームだった。ところが昨今のゲームは大抵自分が勝って終わるんですよ。

なにによらず「バーチャル」が流行る昨今ですが、コンテンツとしてはこれからは「リアリズム」が流行るんじゃないですか。

それが良いことなのかどうかオレにはわかりませんが、とにかくオレは今から「旗本退屈男 謎の決闘状」を観て寝ます。おやすみなさい。

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大学時代。

大学に入学しまして、必修科目は当然履修することになるわけですが、さてそれ以外の、いわゆる一般教養はなんの授業を取ればいいのか。

必修科目の授業の合間を縫い、且つ効率的に履修でき、またその中でも単位取得が容易なやつを取るってのが学生としての定跡っていえば定跡なわけですが、オレとしてはなんかそういうのが釈然とせず、というか潔しとせず、必修授業の合間を縫わなきゃならんのはしょうがないとして、できるだけ必修授業との兼ね合いが非効率で、且つ単位取得が難しいもしくはメンドくさいとされてる授業ばかりを、半ば嬉々として選択したものです。なんでそんな風に指向したのか自分でもわけがわかりませんが、なんかイヤだったんだな。イヤだったんだからこれは仕方がありません。

で、これがまぁもう見事な大失敗で、それはそれはもうホントに苦労したものです。例えば月曜の1限に、文系なオレには縁もゆかりもない&毎回出席が取られ試験も厳密だとされてた「統計学」なる授業を選択し、2限3限には取れる授業が無くて次の授業が4限、ってことは昼休みも入れると4時間以上間隔が空くわけです。

あと確か水曜日だったかの「心理学」。これは前年まではほぼフリーパスで単位取得可能だったところ、この年度は(学生にとっては)悪名高い教授に変わるってことで敬遠されがちだったのですが、そう言われると履修したくなるという次第で、しかも水曜日は他に必修科目など無いからお休みにしようと思ったらできたところ、これも愚かなことに、なぜか嬉々として履修を決めたのでした。

なにしろこんな感じの毎日。上記したような指向は、大失敗っていう自覚がありつつも結局4年生になるまで継続しましたので、身から出た錆というか自業自得というか、おそらく同級生の誰も経験してないであろう苦労が4年間続いたわけです。

4時間も空くとこれはホントに時間潰しに難渋します。ガチで「途方に暮れる」感じ。銀河鉄道999でヒマに苛まれる回がありましたが、いやぁ良くわかりましたあのときの哲郎の気持ち。

今だったら空き時間はスマホなどで容易に・安易に潰すこともできるわけですが、当時はそういうものは無かった(っていうかスマホは今も持ってないですが)。

この自業自得な履修計画によって発生した膨大な空き時間をどう処理するか、これはもうゲーセンかメシ屋に入るしかないわけです。

西武線江古田の、もはやどっち口だった忘れましたが、北口か南口かどっちかの駅出口から我が母校に向かう一本道の道すがら、学校入り口の最寄りにラーメン屋がありまして、よくここに入り浸ったものです。ここ以外の食い物屋に行った記憶がほとんどありません。殊更美味いわけでも無かったのですが、なんかここしか身の置き所が無い感じで、なにかっていうとここばかり行ってた。多分オレくらいこの店に行ったヤツは少なくとも同世代人では他にいないでしょう。そもそもこんなメチャクチャな履修計画を立てたのもオレくらいだと思うので。関係ないですがソウル五輪でベン・ジョンソンがカール・ルイスに勝った100m走はここの店内テレビで観たです。

そんなわけで入り浸ったこの店、オッチャンが厨房で、おそらく奥さんであろうオバチャンが給仕役なのですが、結構いいトシのおじいさんが出前持ちでおられたのですね。

このおじいさんに対するオッチャンオバチャンの態度が、それはそれはひどいものでした。オッチャンらのどっちかのお父さんなんじゃないかという感じでしたが、トットと帰ってこい、とか、モタモタすんな、とかね。客前でも結構声を荒げて。

何を言われてもおじいさんは黙って黙々とお仕事されてました。

ひでぇなぁ、ああいう言い方は無いよなぁ、と冷え冷えのシナチクを食いつつ、オレは常々思ったものです。

あれからもう30年くらい経つわけで、あのオッチャンオバチャンがあの時のおじいさんくらいの年恰好になってる計算です。

どういう年寄りになってんのかな、と思う。ああいうことをのたまって良しとしてるようなヤツは因果応報でどうせロクな目にあってないんだとは思いますが。

黒澤「生きる」、あと「怪奇大作戦」でもあったな。若い息子夫婦が年老いた自分のオヤジを邪険にして、ってシチュエーション。特に「怪奇大作戦」の方は、令和5年現在、あの若夫婦がちょうど後期高齢者になってる時期かと思います。年寄りを邪険にしてたヤツはきっと自分が年寄りになったら邪険にされちゃうんだろうな、と想像する次第です。

今思い立ってGoogleストビュで見たら、ラーメン屋は無くなってました。

食べ盛り世代の若者がワンサカ集う施設が最寄りにあって、何故に店を畳むことになってしまったんかな、と思います。

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またコロナ禍について。

今の小・中・高校生はコロナで遠足にも修学旅行にも行けなくてかわいそう、とよく言われるのですが、これは超暴論だと我ながら承知はしつつ、そこまでかわいそうでも無いよな、とぶっちゃけオレは思うのです。10年後か20年後か、コロナ禍のアレコレがすっかり風化して「歴史エピソード」にまでなった際、リアルタイムのガチ当事者としてそのエピソードを語れるっていうのは、ある意味うらやましくさえありますよ。

経済的な打撃を被ってたりしたら話は別ですが、そうでない小・中・高校生に対してオレは言いたい。キミたちは「おいしいネタ」を授けられた世代なのですよ、と。

オレが今中学生だったら、きっとマスコミだとか先生だとかの大人に対して、

“早くコロナ前の生活に戻りたい”

だとか

“修学旅行に行けなくて悲しいです”

かなんかを、いかにもしおらしく言うと思うのですが、きっとその心中では“しめしめ!”と思ってます。そうに違いない。他の世代の経験していないことを経験できている!というカタルシスをどこかで感じてると思います。

繰り返すようですがコロナ禍によって経済的な打撃を被ってたりしたら話は別ですが、そもそも遠足や修学旅行の愉しみっていうのは、それが「非日常」だからって部分もあるじゃないですか。コロナ禍っていうのはそう言う意味で究極の「修学」旅行ですよ。

もちろん相応のトークスキルは必須ですが、10年後か20年後か、コロナ禍を知らない世代の連中に混じっての飲み会なんかあったら、このコロナ禍におけるアレコレは格好のネタになるはずです。オレの世代にはそういう大ネタは無いので、そういうネタのある世代はとりあえずうらやましいです。

逆に、今の小・中・高校生は、このコロナ禍をネタとして昇華できるくらいの逞しさを持ってもらいたいものです。

「戦争を知らない子どもたち」って歌がありあますが、あれは戦争体験の無い第一世代が、その上の世代からことあるごとに“おまえら戦争も知らないくせにナマ言うな!”って言われまくったあげくに、そのフラストレーションから生まれた歌ですよ。

“おまえらコロナも知らないくせにナマ言うな!”まで言う必要はないですが、せめて「面白大ネタ」としてコロナを語れるくらいの逞しさは有って良いですよ。よろしく頼みます。

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コロナなどいろいろ。

今日も今日とて実在してるかどうかもわからない方々から大量の「友達申請」が届いています。さすがのオレサマも逐一の「承認」作業に疲れました。オレが悪かったです。どうかもうご容赦いただきたい。

こないだ新型コロナに関してちょっと目にした記事ですが、小学5年生だかの男の子と映画鑑賞に行ったお母さん、ノーマスクで行ったら館の係員に注意され、ウチはなにがどうあってもマスクはしないさせない、ってことですったもんだが発生、その末に男の子が、お母さんもういいよマスクしようよ、と泣いてしまい、それに対して、

“ウチの子を泣かせたマスク強要社会を私は許さない!”

と憤慨、という。

似たような話が東日本大震災のときにもありました。こちらは、学校給食は放射能汚染されてるからウチの子だけは給食拒否、持参の弁当以外食べさせない!とやってたら、ある日小学生の娘が、どうして私だけ給食食べたらダメなの?私もみんなと一緒に食べたい!と泣きながら帰宅、そんな我が子にお母さんは、

“ごめんね、あなたを守ってあげられるのはお母さんだけなのよ”

と。

こういうのは悲しく切ないですね。悪意がどこにも存在せず介在せず、しかし確実にどこか間違っていて、且つ確実に本来最も守られなければならない弱者が泣くことになる、という。

黒澤「生きものの記録」のジィさんもこんな感じっちゃそうでしたので、要するに昔々からのテーマなわけですね。

こういうのはおしなべて「死の恐怖」に起因することです。とどのつまりは全てその問題。目前に迫る具体的な「死」に対するリアクションとして、これはきっと正しいものです。丸腰で相対するときっとみんなこうなる。人間とはきっとそういうものなのです。ガタガタいわんとマスクすりゃいいじゃんか・食べればいいじゃんか、とすぐに思ってしまうオレなどよりずっと人間らしい人間なんだと思う。

人生とは全て死に至る旅で、それを憂鬱なものでなくするために、我々には「気晴らし」を見つけて目を逸らす以外の選択肢は無い、とパスカルは「パンセ」に書いてます。

まぁそういうもんです。世の中にはいろいろありますが、取り急ぎオレには世の中のそういうことより、今日の雨に対して傘が無いことの方が問題だ、と。人生の達人とはすなわち気晴らしの達人である、というわけですね。

50歳を超えると、さながら灰汁のようにさまざまな気晴らしテクニックが身に付くものです。

鉄壁のそれを身につけたいと思います。

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モニュメント。

この7日に、フィルムが散逸し失われた名作とされていた「忠次旅日記」のフィルムがどっかの田舎の蔵の中かなんかから出てきて、フイルムセンターだかどこだかでの発見記念上映会の際、某評論家が張り切っていち早く会場入りしたら既にパイプ椅子に座ってる先客がいて、誰かと思ったら萬屋錦之介だった、って話を書きましたが、これに出演している伏見直江、彼女は江東区は門前仲町出身なのです。門前仲町1丁目、赤札堂の向かいの、今は歯医者になってて、その昔には辰巳書房があった場所、ここはそのまた昔は深川座なる芝居小屋だったそうで、そこの楽屋で生を受けたとのこと。旅役者だった父親が落ち着いた先がここで、そこで生まれ、やがて子役として舞台に立つようになったのがキャリアスタートだそうです。

伏見直江っていったら戦前の日活の大看板幹部女優ですよ。その芸能活動のルーツがここ江東区にあるってわけですが、当地、それを示すような碑があるわけでもなきゃ看板が立ってるわけでもありません。もはや面白くもナンとも無い「門前仲町」という街の、その面白くもナンとも無さの象徴のような面白くもナンとも無いビルがただ建ってるだけです。

また、ここから徒歩数分の場所が小津安二郎の生誕の地でもあります。いわずとしれた巨匠、去年発表された「史上最高の映画100選」でもこの巨匠の手による「東京物語」が第四位でしたね。ってこのランキングは当然一位であるべき「七人の侍」が二十位だったり、そもそもオレとしては「東京物語」は小津作品の中ではさほど上位ではなかったりするので、その権威には私的に疑問もありますが、とにかく我が国の誇るべき巨匠であることは間違いないでしょう。

でもこの生家のあった場所には、ここが小津の生まれた場所ですよ、っていう看板が歩道橋のたもとに立ってるだけ。胸像があるわけでも出身地オリジナルグッズ屋が建ってるわけでもありません。

まるっきり関係ないですが大杉栄と伊藤野枝は亀戸三丁目に居住していた時期があります。

これは有名ですが浅沼稲次郎は区内の同潤会アパートに住んでおられた。

日本画家の伊東深水は森下出身で、「赤ひげ」で最初に死んじゃう六助役で知られる藤原釜足は区内の印刷屋さんのセガレで、奥さんの尻に敷かれてるダンナ役をやらせたら世界一の松竹・斎藤達雄は佐賀町の米の仲買人の息子です。

ついでながら麻原彰晃はオウム神仙の会を興す前にやはり区内大島に住んでたらしいです。単なるインチキ漢方薬屋だった時期の一時期だけらしいですが、そんなこともあってオウム真理教の設立にあたって、多少の土地勘のある江東区に登記状の本拠地を持ってきた、という説もある由です。

大杉栄や麻原はともかく、上記いずれについても生家跡に記念碑があるでもなく、江東区とのつながりに関する文献が豊富にあるわけでも無く、小津だけは申し訳程度な「ここらで小津が生まれたっぽいよ」ってだけな記載の看板がありますが、それっきりです。

あとはなんもない。皆無。

江東区は上記した以外にも、いろんな人やものごとの「ゆかりの地」だったりするのですが、どうもいずれについても扱いがよろしくない気がします。それでも数年前から区の施設でも「洲崎パラダイス・赤信号」を上映するようになりましたから、まぁマシにはなってきてるのかもしれませんが、いやぁ、まだまだ、ですね。

こういう事柄を大事にしたいと、文化は育ちませんですよ。

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成人の日。

オレ自身は成人式には行きませんでした。記憶は定かではありませんが確か未明までサタデーナイトショーとオールナイトフジを観てたせいで寝坊した次第です。

起床は昼過ぎでした。当時外廊下に面していたオレの寝室の窓をカツカツと叩く音が聞こえまして、それで起床。
ノソノソ起きて窓を開けたら、スーツ姿の中学時代の友人Oくんがおりました。

成人式帰りかと思ったらさにあらずで、聞くと行ったけど会場がいっぱいで入れてもらえなかったんだ、と。
締め出されたけど行くアテもなく、仕方ないからオレん家に来た、ってわけです。
ティアラこうとうがいっぱいになる程新成人がいたんですねぇ当時は。昨今では役所の担当部署が人集めに腐心してる由。少子化なんだなぁ、と実感します。

明日っていうか今日は成人の日。なんやかやで成人式は江東区では行われないみたいです。振袖などを揃えてこの日を心待ちにしてた方も多かったでしょうに。なにより親御さんの落胆を想います。

まぁ振袖着る機会はまたありますよ。年末に観たテレビ東京「年忘れ日本の歌」では、こまどり姉妹のお二人が振袖来て歌ってましたよ。御年82歳かな。結構な絵面ではありましたが、いつなんどきも着たらアカンってな法は無いのです。

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あけましておめでとうございます。

新年あけましておめでとうございます。今年も変わらぬご愛顧の程どうか宜しくお願い致します。

あれはサラリーマン時代、それもペーペーの新人の頃ですからもう20有余年も前になりますか、いきなりある屋外イベントの進行&収録を振られたことがありました。

その年は梅雨明け宣言は出たものの連日雨、それも驟雨続きで、事前段取りも思うようにいかず、苛々は募るばかり。焦燥でホトホト疲れ切ったものです。
屋外イベントですのでケーブルは雨が止むまで引けないし、舞台音声はどうするんだ、出演者は屋根のあるとこに待機させなきゃ、だとかなんとか、やらなきゃならんこと・決めなきゃいけないことはいっぱいあるのに、なにもかも雨でストップしてまってしまってどうにもならん、という。

その日も雨でなにも出来ず、仕方ないのでスタジオの中でボーッとしておりました。
スタジオの中にはやはりなんにも出来ずにボケッとスタジオモニターに映るサッカー中継など眺めてる先輩方。
雨、いつ止みますかねぇ、などと取り留めもなく話しかけましたら、その先輩、

ま ぁ 、 今 ま で 止 ま な か っ た 雨 は 無 い な 。

ああそうか、止まない雨は無いんだな。
この雨もいつかは止むんだ。
止んだらまた歩き出せばいいんだ。

……と、状況は何も変わってないのにも関わらず、なぜだかこの先輩の言葉に救われた気がして、スッと気持ちが楽になったのを覚えています。

たちかえって今般の我が国は正に長雨のさなかです。

タチが悪いのは、いまひとつ止む時期が見通せない、というところ。

でも、止まない雨はありません。この雨もいつかは止むのです。
止んだらまた歩き出しましょう。

上記した「屋外イベントの進行&収録」云々の話は丸々作り話で、新人時代どころか令和三年元日の段階でそんな案件をやったことはただの一度もありませんし、あらゆる「先輩」にこんなことを言われたことも一切無いし、そもそも雨でなんにもできないならトットと帰るに決まってるわけで、とにかく全部ウソ話なのですが、とりあえず「止まない雨は無い」ってのは真だと思います。

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センバツ高校野球がなんか知らんけど中止になった件について。

選抜高校野球中止ってマジですか。無観客開催ってんじゃなくて?
 
あくまでも私的には、ですが、中止は正直どうかと思うのです。相撲に比べても選手間での感染が成立しにくい競技だと思うのですよ野球って。まして甲子園は屋外だしね。無観客開催が難しいっていう事情がなにかあるんでしょうかね。
 
何でもかんでも中止にすりゃいいってもんでもないと思う。できること・やれることはむしろ積極的にやっていいでしょう。てかやるべきだ、と。こういう腰の引け方がなにより経済をダメにします。引かなくて良い腰は引いたらいけません。
  
フンドシ一丁で組み合う大相撲はやってるじゃないですか。開催のために相撲協会はすさまじい厳戒態勢で万全を期してますよ。そしてそれが高評価を得ています。
なぜか。
それが「腰の引けた対応」じゃないからですよ。
 
大相撲の本場所が開催出来て、屋外で、基本的に選手の接触を前提としていない、ある程度選手間の距離が保てる高校野球がどうしてやれないのか。なにやってんの高野連。てか朝日と毎日。
 
やれることからやりましょう。てかやれることはやらなきゃダメです。センバツは「やれること」だと思う。

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見る人が見れば、な話。

ひょんなことで知り合った某所のスナックだかクラブだかよくわからない店のママさんいわく、その客がヤクザかそうでないかってのは、ほぼ一瞬でわかるんだそうですね。どんな服装でどんなヘアスタイルetcでどんな腕時計をしてようと、大げさでなく入口ドアが開いた瞬間にわかるんだと。
なんでわかるのかと聞くと、やっぱしそういう空気というか雰囲気があるとしか言えない、とのことでした。
 
これはオレがヤクザでないからヤクザを例にとってそんな話をしてくれたってだけで、要はどんなに取り繕っても、見る人が見ればその生き方生業etcが丸わかり、バレバレだってことですね。
 
今年はちゃんとしようと思います。
そして、その「見る人」としての目も肥やしたいと思います。

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